一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

三池鉄道ロクサン客車 1-3(ホハ204)

1981/02/25 三池鉄道 三池港、ホハ204

 今回はまずホハ204の、国鉄であれば、1位側になる画像から。乗務員室の左隣の

窓に注意。これは戸袋窓である。そして最初の客ドアは右側乗務員室側に開く構造。

客用のドアは手動で、開閉用の把手が左側にある。なお、その左隣の窓は開閉可能。

ドアも木製で古風。しかも窓ガラスが小さく分割で、戦後の混乱期の雰囲気を想像。

 

 

 前々回(クモハ73127)と前回(クハ79246,クハ76214)において、旧モハ63系の

モハ63やサモハ63の改造車の撮影画像を提示。今回は、電装も運転設備も結局は装着

設定されず、そのままサハ78となった車両を掲載で比較。

 

1977/04 南武線 武蔵中原、サハ78330、ドアは全部左側に開く

    ③サハ78330←モハ63116(①サモハ63116)、②1945~1946年製

      ④1978/06/03廃車

     ※旧型電車車両台帳:①P345電装なし、③P345、④P393

     ※国鉄電車の歩み30系から80系まで:①P75無電装車表、②P73

 

 1977/07 南武線 矢野口、サハ78324、ドアは全部左側に開く

    ③サハ78324←モハ63093(①サモハ63093)、②1945~1946年製

      ④1978/02/28廃車

     ※旧型電車車両台帳:①P345電装なし、③P345改造、④P393

     ※国鉄電車の歩み30系から80系まで:①P75無電装車表、②P73

 

 サハ78330もサハ78324も、客ドアが開く方向が全部同じ点に注意。直感的にはHゴム

改造を受けたサハ78324の方が見た目わかりやすい。両車ともにドアは左に開くため、

旧の運転準備室は右側と思われる。なお車両端部の右側の窓は2個とも開閉可能。

 

 なおサハ78324の画像の車両端部右側下に①が読める。こちら側が川崎側奇数向き。

大元モハ63093が奇数車であれば、そのまま運転準備室を撤去した時と向きが同じ。

 それに対してサハ78330の画像では、左側端部下に②が読める。こちらも川崎側。

ドアの開く方向はサハ78324とは逆で、運転準備室を撤去した側と反対側に②を表示。

大元のモハ63116が偶数向きであれば、運転準備室を撤去したときに、単純にそのまま

奇数向きとした可能性。物理的な方向転換ではなく、奇数向きの車両と称したと推定。

この点は、鉄道ピクトリアル2025/03別冊 72・73系電車のP127下に記載あり。

  78330以降の16両はモハ63000代偶数車の改造であるため、78300代へ

  の改造で方転・・・

 下り向き偶数向き車を、運転準備室撤去を機に、奇数向きと中間車として、元運転

準備室側とは反対側を1位2位(第一エンド)として、①②を記載したように思える。

よってサハ78300代では、上り向きにドアが開く車両と下り向き側にドアが開く車両が

混在していた。

 

 なお、サモハ63→サハ78300~への改造では、まず中間車化してサハ78とした後に

元運転準備室ドアを撤去、という2段階を経たように思える画像が以下にあり。

   国鉄剛製電車史 モハ63形、中

     *P20:サハ78389(元運転準備室ドアあり、中間)←63446

     *p20:サハ78395(元運転準備室ドアあり、中間)←63458

  鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション37、 63・73形電車の時代

    **P26/P103:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370

    車内P103:サハ78385(元運転準備室ドアあり、先頭)←63390

  鉄道ピクトリアル684(73系電車)

    **P50:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370

  鉄道ピクトリアル938(72系旧型国電) 

    **P22/P72:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370

    車内P72:サハ78385(元運転準備室ドアあり、先頭)←63390

  鉄道ピクトリアル2025/03別冊 72・73系電車

    **P19:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370

     ◆P127:サハ78375(元運転準備室ドアありなし、中間)←63370

 

 実質的に確認できるのは、78389/78395/78375の3両であるが、全部偶数のサモハ63

からの改造車で、元運転準備室用のドアが残っている状態。車両下部を見ると必ずしも

鮮明ではないが、①②が元運転準備室用のドア側にあり、まだ向きは偶数車に思える。

 

 このうち、サハ78375のその後の画像が上記の◆で確認された。

ドアの開く向きを確認で、戸袋側=元運転準備室とは逆側、の下に①が確認される。

この時点では、向きを偶数向きから奇数向き車となっていたと考えられる。

 

参考イラスト

 

 

 次はサハ78として製造された車両を確認。客ドアは、車両中心から端部側にそれぞれ

開くことに注意。従って車両端部の2個の窓のドア側は戸袋窓になる。以下、サハ78193

は三段窓のままの撮影、次のサハ78156は2段窓に改造で戸袋窓はHゴムとなっている。

後者の方が客ドアの開く向きがわかりやすい。

 

1978/03 南武線 矢向、サハ78193

   サハ78193、②1945~1946年製、④1978/05/29廃車

    ※旧型電車車両台帳:④P392

    ※国鉄電車の歩み30系から80系まで:②P73

 

1980/03/07 仙石線 陸前原ノ町、サハ78156

    サハ78156、②1947年製、④1980/05/07廃車

    ※旧型電車車両台帳:④P391

    ※国鉄電車の歩み30系から80系まで:②P73

 

 上記の、サハ78として製造された車両のドアの開く向きは、一方向ではなく各車両の

端部側へ開くことになっている。

 

 上記を理解でもう一度三池鉄道ホハ204を見たい。乗務員ドア横の窓を再確認する。

ドアの開く向きがサハ78として製造の車両と同じ、中央から車両の両端部方向に開く。

よって、運転準備室?車掌室の隣の窓(乗務員ドア隣の窓)が戸袋窓=サハ78と理解。

自分が最初にホハ204を見て、サモハ63ではなくサハ78ベースではないかと推定したの

は正にこの点。

 サハ78に乗務員ドアを後で取付け、運転準備室?車掌室を設置と考える様になった。

よって「三池鉄道サモハロクサン」とは言えず表記を修正。見かけサモハ63との思い。

 

 なお、国鉄剛製電車史 モハ63形、下(私鉄向け概要、P36)に、

   三井鉱山三池鉄道はサハ78と同形体のホハ201~205を客車として自社発注

と記載あり。

 この文面を真に受けると、車両端部貫通ドアは有りで乗務員室を後から設置、

に読める。

 

別途、鉄道ピクトリアル959、P52に

 「日車の車両史」所載の図面によれば、乗務員扉がなく、前後とも非貫通・・・

との記載もあり。この文面に従えば、貫通ドアはあと付け改造になる。

 

 

 これらを総合すると、どうも三池鉄道のホハ201~205はサハ78をベースで設計、

ただし当初は、側面の乗務員ドアはなかったように思える。

なお、車両端部の貫通ドアについては、サハ78ベースなら貫通用のドアはあったように

感じるが、上記の資料等でも差異があり、正直確証なし。今一つよくわからない。

 この点について、もしご存じの方が居られましたら、ご教授お願いしたい状況です。

 

 

 基本ホハ202と203は、自分が見た限りホハ204の撮影画像と似た形態であった。

ホハ201とホハ205は撮影できず。

 

  ホハ201:両側貫通化で乗務員ドアを何故か3ヵ所設置らしい。

    (ということは、初期は、両端は貫通ではなかった?)

    ※ピクトリアル959、P52参照。

 なお、ホハ205の画像は見つけることが出来なかった。

 

 

 次回は、ホハ204をもう少しよく見てみたいと思います

1982/03/25 三池鉄道 原万田/大平、ホハ204/コハ104/No1、平井発三池港行

 

 

  参考(詳細なページは、1-1の末も参照お願い)

    全体:旧型国電車両台帳

       国鉄電車の歩み(30系から80系まで)

       国鉄電車発達史

       旧型国電50年Ⅰ

 

   三池炭鉱鉄道全般

      鉄道ピクトリアル434(私鉄の電気機関車

      鉄道ピクトリアル557(九州の鉄道)

      鉄道ピクトリアル721(戦前製旧型国電

 

   63系全般

      国鉄剛製電車史 モハ63形、上

      国鉄剛製電車史 モハ63形、中

      鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション37、 63・73形電車の時代

      鉄道ピクトリアル684(73系電車)

      鉄道ピクトリアル938(72系旧型国電

      鉄道ピクトリアル959(私鉄の63形電車)

      鉄道ピクトリアル2025/03別冊 72・73系電車

      写真とイラストで綴る国鉄73・73系電車