今回はまずホハ204の、国鉄であれば、1位側になる画像から。乗務員室の左隣の
窓に注意。これは戸袋窓である。そして最初の客ドアは右側乗務員室側に開く構造。
客用のドアは手動で、開閉用の把手が左側にある。なお、その左隣の窓は開閉可能。
ドアも木製で古風。しかも窓ガラスが小さく分割で、戦後の混乱期の雰囲気を想像。
前々回(クモハ73127)と前回(クハ79246,クハ76214)において、旧モハ63系の
モハ63やサモハ63の改造車の撮影画像を提示。今回は、電装も運転設備も結局は装着
設定されず、そのままサハ78となった車両を掲載で比較。
③サハ78330←モハ63116(①サモハ63116)、②1945~1946年製
④1978/06/03廃車
※旧型電車車両台帳:①P345電装なし、③P345、④P393
※国鉄電車の歩み30系から80系まで:①P75無電装車表、②P73
③サハ78324←モハ63093(①サモハ63093)、②1945~1946年製
④1978/02/28廃車
※旧型電車車両台帳:①P345電装なし、③P345改造、④P393
※国鉄電車の歩み30系から80系まで:①P75無電装車表、②P73
サハ78330もサハ78324も、客ドアが開く方向が全部同じ点に注意。直感的にはHゴム
改造を受けたサハ78324の方が見た目わかりやすい。両車ともにドアは左に開くため、
旧の運転準備室は右側と思われる。なお車両端部の右側の窓は2個とも開閉可能。
なおサハ78324の画像の車両端部右側下に①が読める。こちら側が川崎側奇数向き。
大元モハ63093が奇数車であれば、そのまま運転準備室を撤去した時と向きが同じ。
それに対してサハ78330の画像では、左側端部下に②が読める。こちらも川崎側。
ドアの開く方向はサハ78324とは逆で、運転準備室を撤去した側と反対側に②を表示。
大元のモハ63116が偶数向きであれば、運転準備室を撤去したときに、単純にそのまま
奇数向きとした可能性。物理的な方向転換ではなく、奇数向きの車両と称したと推定。
この点は、鉄道ピクトリアル2025/03別冊 72・73系電車のP127下に記載あり。
78330以降の16両はモハ63000代偶数車の改造であるため、78300代へ
の改造で方転・・・
下り向き偶数向き車を、運転準備室撤去を機に、奇数向きと中間車として、元運転
準備室側とは反対側を1位2位(第一エンド)として、①②を記載したように思える。
よってサハ78300代では、上り向きにドアが開く車両と下り向き側にドアが開く車両が
混在していた。
なお、サモハ63→サハ78300~への改造では、まず中間車化してサハ78とした後に
元運転準備室ドアを撤去、という2段階を経たように思える画像が以下にあり。
国鉄剛製電車史 モハ63形、中
*P20:サハ78389(元運転準備室ドアあり、中間)←63446
*p20:サハ78395(元運転準備室ドアあり、中間)←63458
鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション37、 63・73形電車の時代
**P26/P103:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370
車内P103:サハ78385(元運転準備室ドアあり、先頭)←63390
鉄道ピクトリアル684(73系電車)
**P50:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370
鉄道ピクトリアル938(72系旧型国電)
**P22/P72:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370
車内P72:サハ78385(元運転準備室ドアあり、先頭)←63390
鉄道ピクトリアル2025/03別冊 72・73系電車
**P19:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370
◆P127:サハ78375(元運転準備室ドアありなし、中間)←63370
実質的に確認できるのは、78389/78395/78375の3両であるが、全部偶数のサモハ63
からの改造車で、元運転準備室用のドアが残っている状態。車両下部を見ると必ずしも
鮮明ではないが、①②が元運転準備室用のドア側にあり、まだ向きは偶数車に思える。
このうち、サハ78375のその後の画像が上記の◆で確認された。
ドアの開く向きを確認で、戸袋側=元運転準備室とは逆側、の下に①が確認される。
この時点では、向きを偶数向きから奇数向き車となっていたと考えられる。
次はサハ78として製造された車両を確認。客ドアは、車両中心から端部側にそれぞれ
開くことに注意。従って車両端部の2個の窓のドア側は戸袋窓になる。以下、サハ78193
は三段窓のままの撮影、次のサハ78156は2段窓に改造で戸袋窓はHゴムとなっている。
後者の方が客ドアの開く向きがわかりやすい。
サハ78193、②1945~1946年製、④1978/05/29廃車
※旧型電車車両台帳:④P392
※国鉄電車の歩み30系から80系まで:②P73
サハ78156、②1947年製、④1980/05/07廃車
※旧型電車車両台帳:④P391
※国鉄電車の歩み30系から80系まで:②P73
上記の、サハ78として製造された車両のドアの開く向きは、一方向ではなく各車両の
端部側へ開くことになっている。
上記を理解でもう一度三池鉄道ホハ204を見たい。乗務員ドア横の窓を再確認する。
ドアの開く向きがサハ78として製造の車両と同じ、中央から車両の両端部方向に開く。
よって、運転準備室?車掌室の隣の窓(乗務員ドア隣の窓)が戸袋窓=サハ78と理解。
自分が最初にホハ204を見て、サモハ63ではなくサハ78ベースではないかと推定したの
は正にこの点。
サハ78に乗務員ドアを後で取付け、運転準備室?車掌室を設置と考える様になった。
よって「三池鉄道サモハロクサン」とは言えず表記を修正。見かけサモハ63との思い。
なお、国鉄剛製電車史 モハ63形、下(私鉄向け概要、P36)に、
三井鉱山三池鉄道はサハ78と同形体のホハ201~205を客車として自社発注
と記載あり。
この文面を真に受けると、車両端部貫通ドアは有りで乗務員室を後から設置、
に読める。
別途、鉄道ピクトリアル959、P52に
「日車の車両史」所載の図面によれば、乗務員扉がなく、前後とも非貫通・・・
との記載もあり。この文面に従えば、貫通ドアはあと付け改造になる。
これらを総合すると、どうも三池鉄道のホハ201~205はサハ78をベースで設計、
ただし当初は、側面の乗務員ドアはなかったように思える。
なお、車両端部の貫通ドアについては、サハ78ベースなら貫通用のドアはあったように
感じるが、上記の資料等でも差異があり、正直確証なし。今一つよくわからない。
この点について、もしご存じの方が居られましたら、ご教授お願いしたい状況です。
基本ホハ202と203は、自分が見た限りホハ204の撮影画像と似た形態であった。
ホハ201とホハ205は撮影できず。
ホハ201:両側貫通化で乗務員ドアを何故か3ヵ所設置らしい。
(ということは、初期は、両端は貫通ではなかった?)
※ピクトリアル959、P52参照。
なお、ホハ205の画像は見つけることが出来なかった。
次回は、ホハ204をもう少しよく見てみたいと思います
参考(詳細なページは、1-1の末も参照お願い)
全体:旧型国電車両台帳
国鉄電車の歩み(30系から80系まで)
国鉄電車発達史
旧型国電50年Ⅰ
三池炭鉱鉄道全般
鉄道ピクトリアル434(私鉄の電気機関車)
鉄道ピクトリアル557(九州の鉄道)
鉄道ピクトリアル721(戦前製旧型国電)
63系全般
国鉄剛製電車史 モハ63形、上
国鉄剛製電車史 モハ63形、中
鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション37、 63・73形電車の時代
鉄道ピクトリアル684(73系電車)
鉄道ピクトリアル938(72系旧型国電)
鉄道ピクトリアル959(私鉄の63形電車)
鉄道ピクトリアル2025/03別冊 72・73系電車
写真とイラストで綴る国鉄73・73系電車