《前回からのつづき》
キハ54形を製造するにあたって、コストを可能な限り抑えることが重要視されたといえます。10年前の1970年代であれば、「必要だから」という理由で鉄道債券を発行し、借金をしてでも目的に合わせた車両を設計・製造したことでしょう。しかし、国鉄の財政は破綻していたため、分割民営化が決まっていたのですから、鉄道債券を発行することなど国が許すはずもなく、ふんだんに資金をつぎ込むことは不可能でした。
コストを抑えて運用が想定されている地域に見合った性能をもつ気動車をつくらなければならないというのは、国鉄の技術陣にとってもそれまでの考え方では非常に難しい課題だったといえます。そして、従来の国鉄形気動車では、搭載するエンジンは国鉄が開発した制式のものではならないというのが常識でしたが、ここに来てその考えをすべて捨てることになります。
DMH17系エンジンは国鉄で初めて実用化された気動車用ディーゼルエンジンだったが、直列8気筒17リットルという構造はそれ自体が重量が重く、しかも燃費の割には低出力という問題を抱えていた。また、排気管の過熱という欠陥も抱えており、後にこれを起因とする列車火災事故も起こしている。(キハ52 152に搭載されたDMH17C形 上総中野駅 2013年6月30日 筆者撮影)
搭載されたエンジンは、キハ40系などに使われたDMF15HS系ではなく、これよりさらに排気量が少なく、そして高回転で高い出力を出すことができるDMF13HS形を採用しました。このエンジンは、もともと新潟鐵工所が船舶用エンジンとして開発したものを、鉄道車両向けに改良したもので、6L13Aと呼ばれるものでした。これを国鉄が採用したときに、制式エンジンと同じ命名規則に従ってDMF13系という名前がつけられたのです。
このDMF13HS形は、直列6気筒で排気量は13リットル、従来の国鉄制式エンジンでは当たり前だった燃料噴射方式を予熱室式から直噴式に変えられました。そして、このエンジンの最大のメリットである小型軽量でありながら、出力はDMF15HS系と同じ220PSを出すことができ、さらに排気量が少なくなったことなどで燃費の軽減も実現できたことで、運用コストの軽減も期待できました。
高性能なエンジンを搭載した一方、変速機は廃車発生品を再利用することで、製造コストの軽減を図っていました。キハ20系などが装備するTC-2A形やDF115A形で、1段直結のこの変速機は多くの国鉄形気動車に使われていました。言い換えれば、DMH17系エンジンとの組み合わせは、ローカル運用のキハ20系から急行用のキハ58系まで、どの気動車でもこの組み合わせだったのです。そのため、気動車の運転士にとっては最も馴染みのあるもので、エンジンの出力向上による走行性能の若干の変化があっても、運転操作そのものが極端に変わることがなかったので、乗務時の負担を軽減させることができたと考えられます。
これに加えて、台車も廃車発生品を再利用しました。DE22形は国鉄気動車の標準品ともいえる台車で、枕ばねはコイルばねを、軸箱支持はウィングばね式というごくありふれたものです。極寒地向けの500番台は、冬季に走行すると舞い上がる雪がコイルばね部分に付着し、ばねの隙間に入り込むことで「雪を噛んだ」状態になって伸縮できなくなることを防ぐため、ゴム製の覆いをコイルばね部分に取り付けたものになりましたが、基本的には0番台と500番台の差異はありませんでした。
JR四国に継承させることを前提として、高効率かつ高性能のエンジンとしてDMF13HS系エンジンを搭載し、軽量ステンレス車体でつくられたキハ54形0番台は、製造から既に40年近くが経とうとしている。新型車両への置き換えが思うように進めることが難しい経営状況もあるが、それでも一線級の車両として遜色がないといえるだろう。(©Sun Taro, CC BY-SA 2.0, ウィキメディア・コモンズ経由)
このように、新型車として製造されたキハ54形ですが、既に破綻状態になっていた国鉄の財政事情から、すべてを新品や新開発品とすることは叶わず、廃車となった車両から出た部材を再利用することで、製造コストを抑えることに苦心したともいえます。そのため、エンジンは新型で高性能、国鉄制式のものと比べて低燃費かつ高出力となりましたが、最高運転速度は時速95km/hが限界となったのでした。
《次回へつづく》
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