既に名鉄公式サイト等にて明らかにされた名駅ビル群の再開発事業計画。

次の関心は既に、その手順に移りつつあります。
まず、2026年春には名鉄百貨店、名鉄グランドホテル、近鉄名駅パッセ、名鉄バスセンターがほぼ一斉に閉鎖。さぞや今年暮れの名鉄百貨店はクリスマスセールとかお正月セールと言うよりは、むしろお別れ大セールになろう。
ひとつ、店仕舞いバーゲンを可能な限り盛大にやって欲しいね。うん。
名鉄バスセンターについても、早く具体的な移転先を名鉄バスは明らかにすべきだ。
そして解体作業は2026年春頃から本格的に始まるようだ。
そして旧ビル群の解体が概ね完了する2027年春には2棟の高層ビル建設に着手か。2033年暮れか2034年春には竣工し、新たな名鉄バスセンターがオープンする運びになろうね。うん。
一方、名鉄名古屋駅について。
このプランによれば、どうやら2033年度末頃までには今のホームを一旦、閉鎖か。
代わりに可動式柵完備の新ホームが今の東側にオープン。恐らく、名鉄百貨店食品街の跡地部分に竣工するであろう。その新しい2線分を使い、暫定的に供用開始か。
それから2040年代に今のホーム部分を全面的にリニューアルして、4線化が竣工という形になろう。
とにかく、名鉄だけでは出来ず、近鉄やJR東海、名古屋市交通局、日本生命等の献身的且つ全面的な協力が得られてこそ、初めて今般の再開発事業を立派に成し遂げられる筈だと私自身は思いますよ。うん。


・追伸(3/25夕方)…………複数のXサイトでは、より正確な説明がなされているようなので、そちらも、どうぞご参照を。
また、その進捗状況も起工後、各位様が随時、検証する必要もありそうだね。うん。
葛西敬之氏が名鉄に意地悪、とは具体的にどのようなことでしょうか?
銀河さんが葛西氏を嫌うこと自体は自由ですし、私としてもそれに関しては存じ上げておりますが、ネット上の自由に閲覧できる場所に2022年にお亡くなりになるまで実在していた方をこのようにお書きになるのはいかがなものかと思います。
もしこれが葛西氏のご遺族や関係者の目に留まったら、最悪の場合訴えられるかもしれません。そうなったら個人の主観とか表現の自由という言い訳は通用しなくなると思いますが、本当に大丈夫でしょうか?
もし、銀河さんがこの文言に絶対の自信があり、これに対して相手がご遺族や関係者であっても徹底的に戦う、ということであれば、今回の私のコメントは読み流していただければと思います。
但し、具体的な細かい時期は忘れてしまいましたが。確か平成初期頃だったかと思います。うん。
当時の名鉄本社側からの強烈な不満が垣間見えましたね。
また私自身が葛西さんを好まない理由としては、旧国鉄への入社動機が極めて不純だったのも挙げられます。己は東大卒だから出世しやすいとのお考えだったそうな。あの考えが国鉄を駄目にしてしまったように思います。どうもJR東海在職時代でもそういういい加減な考えで経営されておられたような。
また名鉄だけでなく、特にJR東日本やJR貨物など近隣同業他社との関係も一時はかなり気まずい関係になりましたね。
今はその考え方もJR東海からすっかりと消え失せたようで、本当に良かったと私自身は思いますね。
ご指摘の部分は削除しますが、私個人的な考え方はその旨、ご了承願います。
余りにも独善的な経営方針で、ウィキペディア上でもワンマンだったと述べられたことがあります。
確かに明治村の開園に尽力されたり、積極的にOR車やSR車、そして赤いパノラマカーを導入させて戦後の名鉄を明るくしてくれたことは今なお感謝しなければなりません。
しかしながら、そのために高性能通勤車の導入が遅れてしまえば、何ともなりませんね。また、本線系以外のローカル的な車両は質を落としても良いという考え方のようにも思えました。
竹田さんはその方針を見事に是正。今なお感謝していますよ。但し、知多新線の建設については目算をやや誤ってしまったような。それだけは今も残念だ。
私自身の某出身三流?私立大学でも、先輩には名鉄本社に就職された方々は確かに結構おられました。大学の就職課に掲げられていた1978年当時の報告文によれば、ゼミはなるべく保守的なものに入っていた方が良いとか、コネを出来るだけ利用しろとか、入社筆記試験は一般常識と言うよりはむしろ思想を問うような内容が目立ったとか。確か67年に入社された先輩卒業生が書かれたものだとみられますが。
今後の名鉄の新型車両はどの方角に向かうかはよく分からないが、単に9520番代や9120番代だけでなく、かつてのパノラマカーのような夢のある後継ロマンスカーの出現にも期待しておこうか。
> また、名鉄でも土川元夫さんも私自身あまり好まなかったね。正直言えば。... への返信
>>積極的にOR車やSR車、して赤いパノラマカーを導入させて……
それが名鉄が転換クロスシートばかりだった原因ですが、お客様が求めてたのはラッシュ時に混雑しない車両で、ラッシュ時の津島線にパノラマカーが投入されてましたが、お客様からは「こんな車(パノラマカー)より、昼間のボロ(ロングシートの3730系)を持ってこい!」とお叱りを受けたと清水武氏が回想録で語られてました。