鉄道ライター14人斬り  | 京阪大津線の復興研究所

京阪大津線の復興研究所

大津線とは、京阪の京津線と石山坂本線の総称です。
この大津線の活性化策を考えることが当ブログの目的です。
そのために、京阪線や他社の例も積極的に取り上げます。
なお、記事と無関係なコメントはご遠慮ください。

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今回は、「鉄道ライター」もしくはそれに準じた肩書きを名乗る人々の一部を五十音順に取り上げ、その実態を検証します。根拠のない批判はしていませんが、それなりに過激な内容なのでご注意ください。

 

阿部等
読み:あべ ひとし
生年月日:1961年8月30日

 

作家としての活動にも積極的ですが、本業は株式会社ライトレールの社長です。さらに、過去にはJR東日本で17年間の実務経験を積んでいるという、輝かしい経歴の持ち主です。


ところが、それが信じられなくなるような執筆をたびたび行うことで知られています。具体例を挙げましょう。


「新在乗継の盲点(1)」の記事で紹介した「夜行新幹線」は詰めが甘いという程度で容認できますが、それだけでは彼の本質は語れません。

 

「総2階建て車両という詭弁」をぜひご覧ください。鉄道の知識をお持ちの方なら、目が点になり、開いた口が塞がらず、二の句が継げないこと必至の、恐るべき内容が書かれています。


梅原淳
読み:うめはら じゅん
生年月日:1965年6月6日
 

鉄道ジャーナリストにして合同会社ウメハラトレイン代表社員でもあります。東洋経済新報社系の媒体に、たびたび記事を投稿しています。特に、鉄道事業者の路線別営業係数を独自試算していることをご承知の方も多いのではないでしょうか。


しかしその実態は、平均通過数量すなわち旅客輸送密度を指標として推計するというお粗末なものです。大学院で交通経済学を叩き込まれた私から見れば、神をも恐れぬ行為に映ります。何よりも危惧すべきは「独自試算」の数値が独り歩きすることです。


私は以前の記事で、2009年度の京阪大津線の赤字が約13億円、中之島線の赤字が約16億円であることを突き止めました。詳細はリンク先でご覧頂くとして、ここでは概略を述べます。


まず大津線ですが、これは『鉄道統計年報』が京阪線と区分して、償却前と償却後の営業係数を記載しているため、毎年確認できます。大津線は軌道法に準拠する軌道、京阪線は大半が軌道発祥ながら紆余曲折を経て、現在は名実ともに鉄道事業法に準拠する鉄道となっています。何より両者の輸送実態が違いすぎるため、統計も分離されたのでしょう。


一方、京阪は中之島線の第二種鉄道事業者として運営のみを行っています。線路を所有しているのは第三種鉄道事業者の中之島高速鉄道です。その対価として年間24億円の線路使用料を支払っていることが『鉄道統計年報』に記されていたのです。

 

さらに、中之島線の2009年度上半期の増収効果が約4億円との新聞報道があったため、幸運にも1年換算での赤字額を特定できました。しかし、中之島線単独の支出を知る術はありません。よって、中之島線の営業係数は不明です。


路線別営業係数を究明することがいかに困難か、ご理解頂けたでしょうか。分からないことは「分からない」と明示するのが、本当の誠意であることを改めて実感させられます。


川島令三
読み:かわしま りょうぞう
生年月日:1950年9月21日
 

鉄道アナリストを自称する人です。鉄道に対して、利用者の視点から改善策を示したパイオニアとして一定の評価があり、私個人もこの姿勢自体には共感します。例えば京浜東北線の快速運転は、彼の提言が発端で実現したとも言われています。


ただ、表現面の問題を別にしても、デビュー当時から気になっていたことがあります。それは、鉄道事業者がすぐにでも実行できそうな改善策と、膨大な投資を伴う提案を同じ腕の振りで投げ込んでくる点です。これが野球のピッチャーなら一流ですが、評論家としては大いに問題があるでしょう。


しかし、彼の評判を決定的に落としたのは、2005年4月25日に起こったJR福知山線脱線事故に関して、その主因が事故車207系のボルスタレス台車の構造にあると断定したことです。これに対しては、鉄道技術者の視点から、久保田博氏らが十分すぎる反論を示しておられるので、ここでは触れません。


それ以上に問題なのは、「なぜ停める?中山寺駅」の記事で述べたように、JR西日本が福知山線の快速の余裕時分を削って走らせていたことが事故の一因であることに全く触れていない点です。

 

というよりも、余裕時分を削ってまでスピードアップを図るJR西日本の姿勢を手放しで絶賛していたのが、当の川島氏なのです。それを否定されたくないがために、身の程をわきまえず技術論に足を踏み入れたであろうことは、容易に想像がつきます。


ここは、潔く非を認めて謝っておくべきでした。もはや、汚名をそそぐ機会は巡ってこないでしょう。彼自身が、あまりにも多くのことを喋り過ぎたからです。



岸田法眼
読み:きしだ ほうがん
生年月日:不明
 

2007年から活動を開始し、フリーランスのレイルウェイ・ライターの肩書でネットを中心に記事を書いている人です。

 

ただ、例えば「サンライズエクスプレス」こと285系に関して、運転台のハンドルの構造ゆえに後継車を作れないと断じるなど、執筆内容は押し並べて稚拙です。私もその記事にコメントを書いたので、こちらをご参照ください。


しかし、本質的な問題点はそこではありません。ひとたび内容を批判しようものなら、たとえそれが客観的な根拠を伴っていても、烈火のごとく怒り出すのです。前述の記事はMerkmal(メルクマール)という媒体で発表されたものですが、一年と持たずに喧嘩別れしたと彼自身が明かしています。


一方で、攻撃すれば反撃されるのが世の常です。現に、ネット上には彼への批判があふれかえっています。


今回取り上げた他の13人は、あくまでも鉄道ライターとして多少の問題点を抱えているだけですが、彼は人格そのものに異常さが感じられます。精神年齢がよほど低いと判断せざるを得ません。


これ以上語っても無意味でしょう。その代わりに、いつ消されるとも知れない上記の「コメント」をここにコピーしておきます。


>機器の標準化がそこまで重要な問題なのか。無理やり難癖をつけているようにしか思えない。それよりも、東京の発車時刻が繰り上がったことやコロナ禍の影響で乗車率がどのように変化したのかなど、具体的なデータを示して欲しい。経営的に苦しくなっているのであれば、下りは岡山・上りは姫路で「みずほ」と接続して九州旅行にも使えることを積極的にアピールすれば良い。


櫛田泉
読み:くしだ せん
生年:1981年
 

「経済ジャーナリスト」を自称する人です。『鉄道ジャーナル』にも記事が掲載されたことがありますが、その内容には多くの批判が集まっています。詳細はこちらのブログをご参照ください。


なぜ外部へのリンクを張ったかと言えば、彼の書く記事は概して論点が曖昧で、具体的な内容が頭に入ってこないのです。読むのが苦痛で、翻訳者が必要なレベルです。恐らくは、今回取り上げた14人の中で、文章力、特に要約力が並み外れて低いのではないでしょうか。

 

ただ、これだけは分かります。彼は某大学院の商学研究科経営管理修士(MBA)コースを修了しており、それが現在の肩書きを裏付けているのでしょうが、交通経済学をマスターしたとは到底思えない記事を乱発しています。似た経歴を持つ者としては、一緒にされたくないと言いたくなります。


彼は「鉄道乗蔵」という、お戯れが過ぎる別名でも多くの記事をネットに投稿しています。当然、上記の岸田法眼氏とはそりが合わず、早速噛みつかれていますが、喧嘩両成敗が妥当な処置でしょう。その櫛田氏に執筆を依頼するほど人材不足に陥っている『鉄道ジャーナル』が休刊に至るのは、もはや当然の帰結です。



杉山淳一
読み:すぎやま じゅんいち
生年:1967年

 

鉄道系のフリーライターの1人ですが、大学は経済学部卒、大学院は工学系研究科の前期課程修了という経歴の持ち主です。では「文理両道」かと言えば、とんでもありません。工学はいざ知らず、経済学に関しては素人同然です。

 

2016年11月11日付の『週刊鉄道経済』に掲載された彼の記事が、それを物語っています。これは、一時期浮上してすぐに消えた、JR西日本の関空アクセス特急「はるか」と南海「ラピート」の統合案に関するものですが、その背景の分析が迷走しまくっているのです。

 

「JR西日本にとって、現在の阪和線のダイヤは飽和状態である。もし共同運行となれば、阪和線の「はるか」の運行は半減する。あるいは読売新聞が指摘するように、関空特急をすべて南海電鉄経由とすれば、もっと阪和線に余裕ができる。空いた時間帯を紀勢本線方面の「くろしお」の増発に使ったり、関空快速など阪和線の普通列車の増発に使える」

 

ここまでは良いとして、問題はその次です。

 

「しかし、そんなことは南海電鉄だって分かっている。南海電鉄は逆に、ラピートを阪和線経由にして、南海本線の和歌山行き特急「サザン」や空港急行を増やしたいだろう」

 

「結局のところ、商売としてうまみの少ない関空アクセス特急の押し付け合いとなる。互いに1時間に1本の特急を受け持って、30分間隔の運行を維持するというセンで落ち着くかもしれない」

 

「どうして特急列車の押し付け合いが起きるか。それは商売のキホンが低単価高回転だからである。高単価低回転モデルは利益を得にくい。低単価高回転の通勤電車のほうが、高単価低回転の特急列車より儲(もう)かる。ラーメン屋と寿司屋(回らないほう)ではラーメン屋のほうが儲かる。そのセオリーは鉄道も例外ではない、ということだ」

 

これは、「関空アクセス特急の押し付け合い」を「特急列車の押し付け合い」に拡大解釈し、さらに商売全体にまで当てはめる乱暴な論理展開です。ちなみに、ラーメン屋は飲食店の中でも一般に原価率が高く、儲けるのが難しいと言われています。

 

そもそも「はるか」と「ラピート」を減らしたいのに、「くろしお」と「サザン」を増やしたいとは何が根拠なのでしょうか。実態が逆であることは、「「はるか」と「ラピート」の統合案(1)」の記事で指摘した通りです。

 

日本の鉄道は、新幹線や地下鉄を除けば多くが第二次大戦前までに開通しています。現代とは比較にならないほど旅客が少なかったのに、なぜ次々に新線を建設できたかと言えば、鉄道の運賃への規制が緩く、物価に対する水準が高かったからです。大雑把に言えば現代の2倍程度であり、ゆえに鉄道建設は事業として魅力があったのです。

 

翻って現代では、有料特急を運転する場合、距離にもよりますが概ね運賃と同額程度の特急料金が徴収されます。よって、戦前並みとは言わないまでも、新線建設のハードルは「高単価低回転モデル」のほうが低くなります。伊勢鉄道然り、智頭急行然り、北陸新幹線延伸前の北越急行然り、りんくうタウン―関西空港間の線路を所有する新関西国際空港株式会社然り、「なにわ筋線」然りです。

 

昔、山手線のほうが東海道新幹線より儲かっている、という主旨の本が発売されたことがありますが、彼はおそらくそれを鵜呑みにして「低単価高回転」のほうが優れていると思い込んだのでしょう。しかし、山手線が勝っているのはあくまでも「利益率」です。「利益額」は、東海道新幹線の足元にも及びません。

 

そして、基本的に大企業は利益率よりも利益額を重視して行動します。簡単な話で、そのほうが自由に使えるお金を多く手にできるからです。鉄道の場合、料金は運賃規制の対象外なのだからなおさらです。こんなことも理解できない人が、ライターなどと名乗るに値するでしょうか。
 

 

竹島紀元
読み:たけしま としもと
生年月:1926年2月
死去:2015年7月26日


『鉄道ジャーナル』の前編集長にして『旅と鉄道』の元編集長でもあった人です。映像作品も数多く残しており、経歴自体には文句のつけようがありません。


しかし、編集部内では長らく独裁政権を敷いていたようです。その傍若無人ぶりは外部へも容赦なく向けられ、それを語り始めたら際限がなくなります。


よって、ここは以前に書いた記事「鉄道ジャーナルの負の遺産」へのリンクを張ることで代えさせて頂きます。


なお、下記の種村直樹氏とは長らく一枚岩でしたが、晩年に亀裂が走ったようです。その詳しい経緯までは、知りたくもありませんが。


種村直樹
読み:たねむら なおき
生年月日:1936年3月7日
死去:2014年11月6日


「レイルウェイ・ライター」の元祖であり、雑誌にも数々の記事を投稿してきた「巨匠」です。ただ、立ち位置が似ている宮脇俊三氏と大きく異なるのは、好んで取り巻きを引き連れ、各人にあだ名をつけて、徒党を組んで旅していたことです。

 

このため敵も多く、筆が鈍るに従って評価が下がり、その最期は寂しいものでした。1日後に亡くなられた自動車評論家の徳大寺有恒氏のもとに、各界から続々と哀悼の意が寄せられていたのと比べ、残酷なまでのコントラストを呈していました。


その理由を改めて探るため、『鉄道ジャーナル』1991年12月号に掲載された、近鉄大阪線の平日朝ラッシュ時の青山町発上本町行き区間快速急行の乗車記を一部引用します。


「大阪線はかなりカーブしながら上本町へ向かうので、ひょっとすると発車後は左が日陰になるのかもしれないと、電車を待っていた高校生に尋ねてみる。

『さあ、向こう側(右側)じゃないですか』

通いなれている高校生なら明快な答えが返ってくるだろうとの期待をよそに、つとめて標準語を使おうと努力している返事は、あいまいだった」


大阪線の線形を知っているのなら、どのあたりでどちらが日陰になるのかぐらい、地図を読み返せば尋ねるまでもないでしょう。この高校生は大阪線を1駅しか利用しないことが直後に判明するのですが、もちろんそんなことは問題ではありません。親切に答えようとしている相手に対し、容疑者を取り調べるかのような視線を投げかけているのが許容できないのです。


これを「上から目線」と言わずして、何と呼べばいいのでしょうか。嫌われる所以がこのあたりにあることは、想像に難くありません。あくまでも一般論ですが、こんなことを繰り返す人間には "The bitter end" が訪れても仕方ありません。

 

それにしても、あの「取り巻き」はどこへ消えたのでしょうか。後述の森口誠之氏ならご存知かもしれません。


土屋武之
読み:つちや たけゆき
生年月日:1965年7月28日


1997年にフリーライターとなり、2008年から『鉄道ジャーナル』の執筆を手掛けるようになった経歴の持ち主です。


ただ、「歴史の改竄(かいざん)」で指摘したように、「京阪神最新ライバル模様」と題する記事において、実際よりも阪急を大きく、京阪を小さく書いた前科があります。今までに私を最も激怒させた記事は、まさにこれなのです。


編集部内においては、下記の鶴通孝氏の後輩に当たりますが、必ずしも仲は良くなかったと推測されます。というのも、鶴氏が書いたと思しき記事の中に、朝ラッシュ時の大阪方面行きの京阪特急に関して、京都中心部から乗り通している人が阪急より多いと見られる旨の一節があったからです。

 

土屋氏は阪急好きを自認しており、印象を覆すべく暴挙に走ったのでしょう。そんな内輪揉めを見せられる読者の身にもなって欲しいものです。


一方で、上記の種村直樹とは親しかったらしく、共に旅行したこともあったようです。「取り巻き」の行方が、ようやく1人だけ判明しました。どんなあだ名をつけられていたのかまでは、知りたくもありませんが。



鶴通孝
読み:つる みちたか
生年:1960年


1989年に鉄道ジャーナル社へ入社し、2017年には副編集長へと昇進した人です。彼の最大の長所は、悪意がないことです。この社内では珍しいというべきでしょう。


では、彼の最大の短所は何かと言えば、それも「悪意がないこと」なのです。以下、具体例を挙げて説明します。


「京阪四宮駅の不都合な真実」で指摘したことですが、彼は『鉄道ジャーナル』1998年3月号において、京都市営地下鉄東西線の開業に伴い「四宮駅の利用者が増えた」と報じたことがあります。京阪に取材して得た情報らしいのですが、その後に公表されたあらゆる統計が「激減した」という事実を示していました。


人を疑うことを知らないのは、記者としては致命的です。

 

私は何の宗教も信仰していませんが、仏教の根底には「無知」を一種の罪とみなす思想があります。何も知らないまま罪を犯す者に比べれば、悪意があってもそれを自覚して行動する者のほうが、まだしも救いの余地がある、と拡大解釈しています。

 

無能な善人より有能な悪人のほうが役に立つことが多々あるのは、世の常です。「悪意がないこと」が短所というのは、つまりそういうことです。



原武史
読み:はら たけし
生年月日:1962年8月29日


明治学院大学名誉教授にして放送大学客員教授という輝かしい肩書きを持つ人です。専門は日本政治思想史ですが、鉄道にもたびたび口を挟みます。


もちろん、そのこと自体を否定するわけではありません。むしろ、政治学者特有の視点で鉄道を語ってくれれば、読む側も嬉しいのですが、私の知る限り、彼の書いた記事にそうした要素は一切ないどころか、根拠もなく偏向した主張を繰り返しているだけです。


具体例を示します。驚くなかれ、彼は『鉄道ジャーナル』において、阪神の客層を「失業者風?」と表記したことがあるのです。現在ならば、それだけで彼自身が本物の失業者になっても不思議はありません。

 

今回取り上げた中でも最悪の失言です。名誉毀損の時効は、刑法上も民法上も3年であり、それよりは確実に前の出来事ですが、道義的な責任は免れないでしょう。


古本を立ち読みしただけなので、さすがに何年の何月号だったのかまでは記憶にないですが、そう書かれていたことだけは間違いありません。また、「東大の助手のころ(1992年4月~1997年3月)、何度か頼まれて寄稿しました」と本人が語っているので、その期間に刊行された号のどれがである可能性が大です。

 

別の記事でも述べましたが、私の長期記憶は尋常ではない段階に達しており、忘れたくても忘れられないのです。他の13人に関しても、誰がいつどこで何を呟いたのかを覚えているからこそ、今回のような記事が書けるのです。


南正時
読み:みなみ まさとき
生年月日:1946年8月24日


記事の執筆だけでなく、写真の撮影もこなす器用人です。前者はさておき、後者は一流です。加えて、アニメにも造詣が深いようです。鉄道ジャーナル社からは特派員として欧州に派遣されていました。

 

言わばエリートですが、相応に頭が高いです。それを端的に物語るやりとりを『旅と鉄道』1996年冬の号から引用します。


「叡山八瀬遊園駅ちかくのかま風呂へ行ってみた。だが『本日は団体の予約が入っていますさかいに、入浴はできまへん』とフロントでニベもなく断わられ、京都観光の思い上がりを見たようで腹が立った。まだまだ京都では、個人観光客が歓迎されないようではある」


どう考えても、これは団体客か個人客かではなく、予約客か飛び込み客かの問題です。予約客を優先するのは当然であり、扱いを逆にしたら大変なことになります。察するところ、単に京都弁が気に入らなかったのでしょう。

 

あるいは実際の接客態度が悪かったのかもしれませんが、たとえそうでも、論点をずらし「逆ギレ」するなど、いい大人のすることでしょうか。この一事をもってしても、彼の傲慢さが分かろうというものです。


「上から目線」にせよ「逆ギレ」にせよ、これらの記事が書かれた頃にはまだ存在しなかった言葉でしょうが、それは表現が追いついていなかっただけのことです。該当する人間は、昔から居たということです。


宮脇俊三
読み:みやわき しゅんぞう
生年月日:1926年12月9日
死去:2003年2月26日
 

元中央公論社常務取締役であり、編集者としても紀行作家としても大きな功績を残した人です。同時に、今回取り上げた14人の中では、間違いなく一番の人格者です。


私が初めて意識した宮脇作品は、『たくさんのふしぎ』 1986年3月号の「御殿場線ものがたり」です。子供にも分かる簡潔な表現、それでいて子供相手でも一切手を抜かない深き内容、さらには軍人の口調一つで時代の変化を伝える点などに、多大な感銘を受けました。

 

よって「斬る」という表現は明らかに失礼ですが、かといって「鉄道ライター」として無視するわけにはいかないでしょう。なおかつ、重箱の隅をつつけば、問題点が出てこないわけではありません。


気になったのは、JR誕生前の執筆内容が国鉄に偏り、私鉄を軽視しがちである点です。例えば、指宿枕崎線に乗車した際、終点の枕崎駅から伊集院駅までを結んでいた鹿児島交通枕崎線を使わず、指宿枕崎線で引き返したことがありました。

 

なるべく多くの鉄道を紹介するほうが、作品としても価値が上がります。しかも、鹿児島交通枕崎線は1984年に廃止されてしまったので、二度と乗ることはできません。乗車記が遺されなかったことが悔やまれます。


この傾向はのちに緩和され、京福電気鉄道(現・えちぜん鉄道)の三国芦原線への乗車記が書かれたこともありました。ただ、福井駅の窓口で切符を購入する際に交わされた以下のやりとりを読んで、どう思いますか?


「三国港まで」
「三国までね」
「いや、三国港まで」
「三国港まで行っても、何もないですよ」


この係員は、この客が外来者であるとなぜ特定できたのでしょうか?大きな鞄を持っていたから?だとしても、地元客が旅行から帰ってきた可能性は残ります。宮脇氏の顔を知っていたから?いや、そんなことを匂わせる記述は前後にありません。


三国港駅は三国芦原線の終点であり、旧三国町の中心に位置する三国駅に比べれば寂れています。しかし、周辺にはそれなりに住宅があり、乗降人員も三国芦原線の中では多い部類に属します。地元客の利用が皆無であるはずがないのです。


よって、上記の会話は十中八九創作です。目くじらを立てるほどのことではないにせよ、ドキュメンタリーにフィクションを混ぜるのは、若干の問題があるでしょう。


とは言え、立ち位置が似ている某氏とは違い、現在も多くの読者に愛されているのは疑いのない事実です。ただ、読者に恵まれているかどうかは別です。その一例を以下に示します。


森口誠之
読み:もりぐち まさゆき
生年:1972年


自他ともに認める、宮脇俊三氏の崇拝者です。その分だけ種村直樹氏には厳しく、世界広しといえども、種村批判をやらせたら彼の右に出る者はいません。また、原武史氏に対しても辛辣な批判を展開しています。


そんなことはどうでもいいのですが、私は昔から彼に目を付けていました。1999年8月15日初版発行の『鉄道未成線を歩く vol.1 京阪・南海篇』と題する著書において、何の根拠もなく、京阪を「関西大手私鉄の中でもっとも地味な私鉄として知られている」「新生・京阪電鉄の規模は関西大手五社の中では最下位に位置づけられるようになる」と決めつけた前科があるからです。

 

本人が忘れていても一向に構いません。重要なのは、私が覚えているという事実だけです。


その後に書かれた記事は統計や史実などに裏付けられたものが多かったのですが、今年に入ってボロを出しました。「『なんでこんなに安いんや?』隣の駅まで100円“激安運賃”の謎 大阪の私鉄“延伸”1年 新線区間でも安い!」と題する記事において、北大阪急行電鉄の運賃の安さを語るにあたり、56両の車両を大阪市交通局へと売却し利益を得たことに一言も触れなかったのです。

 

彼が軽蔑してやまない川島令三大先生でさえ、それを指摘しているのにも関わらずです。

 

説明が足らないだけでは、嘘をついたとは言えません。ですが、鉄道ライターを名乗るには、詰めが甘いと言わざるを得ないでしょう。

 

今後、密かに加筆修正される可能性があります。しかし、少なくとも2025年3月25日の時点では、車両売却に関する記載は一切ありませんでした。

 

なお、この記事には私が書いたものを含めて3つのコメントが寄せられており、それら全てが否定的な内容です。左上に表示される「コメント」のボタンをクリックすれば閲覧できるのですが、ボタンの横にはなぜか「0」と表示されています。

 

少なからぬ読者が、この記事にはケチのつけどころがないのだと、先入観を植え付けられてしまうでしょう。記者がコメントの扱いを任意で決められるのなら、公の場で記事を書く資格などありません。

 

一方、「『日本一運賃が高い』の噂も返上へ!? 『南海泉北線』誕生の大きな“意味” 長年のライバルに差をつける」の記事では、泉北高速鉄道自体の運賃が高いわけではなく、南海との合算が理由であることを認めています。ならば、北大阪急行の運賃が事実上、御堂筋線との合算額をもって評価されることに触れないのは公正さを欠きます。

 

なお、タイトルにある「ライバル」とは、泉北高速鉄道と南海高野線の接続駅である中百舌鳥まで伸びてきた御堂筋線のことですが、記事の主旨は泉北高速鉄道改め南海泉北線です。御堂筋線は、泉北線でなく高野線のライバルではありませんか。表題と中身が一致していません。

 

彼は御堂筋線の影響について「南海中百舌鳥駅の他会社線からの乗車人員は1986年5.7万人/日から1988年4.6万人と2割減となります」と述べています。実数としては1.1万人減ということになりますが、いずれにせよ何故出典を明記しないのでしょうか。

 

『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号では、当時の南海の山中取締役鉄道事業本部次長が「地下鉄の中百舌鳥延長は昭和62(1987)年4月でしたが、当時1日6万人の旅客が当社線から地下鉄に転移しました」と述べておられます。到底、誤差の範囲内ではありません。

 

さらに、森口氏はこの記事で、1965年に大阪府が泉北ニュータウン新線の建設を南海に要請した際、南海本線の複々線化や難波駅の大改造、高野線複線化などに巨額の投資を行っていたことを理由に断られたと述べています。

 

しかし、南海本線の複々線化は戦前の時点ですでに実施されているので、言い逃れできない事実誤認です。これに関しては、辛辣かつ的確なコメントがその記事に寄せられているので、そちらをご参照ください。

 

京阪に関する失言以来、なかなか馬脚を露わさなかったのは、自分のペースで執筆していたからでしょう。出版社の依頼で期日までに事実確認を徹底できるほど優秀ではないと考えれば、立て続けの失態も腑に落ちます。プロの鉄道ライターとしては、明らかに力不足です。

 

まだまだ言い足りませんが、それはまた別の話。

 

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