東京の都心部にありながら、営業時間が基本的に日中に限られ、さらに時間帯によっては最大2時間ほど停車する列車がないなど特異な駅だった京成電鉄の博物館動物園駅。
早いもので、この駅が営業休止となってすでに28年(正式な廃止からは21年)の月日が経過しています。
廃止後も駅舎やホームはそのまま残され、20188年には駅舎が鉄道施設としては初めて東京都選定歴史的建造物に選定され、京成電鉄でも同年からイベント時に旧駅の一般公開を行うなど、今でも独特な駅の空間に触れる機会があります。
博物館動物園駅は1933年に京成本線が上野公園駅(現在の京成上野駅)への乗り入れを開始したのと同時に開業し、駅名の通り上野動物園や東京国立博物館、東京科学博物館、さらに周辺に複数ある学校の最寄り駅として利用されていました。
1945~1953年と1976年(6~12月)と2度の営業休止をはさみながら営業を続けていましたが、京成本線の普通電車の6両編成での運転が始まるにあたって、地下駅のため4両編成にぎりぎり対応するだけの長さしかない同駅のホームの延伸が困難なことが問題となり、その結果普通電車でも6両編成の列車はすべて通過し、また上記のように乗降客もある程度限定されるため、駅自体の営業時間もおおむね77~18時頃に限定されるようになりました。
そして駅施設の老朽化や乗客数の減少を理由に1997年3月31日をもって3度目の営業休止に入り、そのまま再開されることなく2004年4月1日に正式に廃止となりました。
私は小学生の頃にこの駅の存在を知って以来、一度行ってみたいと思いながら長いことその機会がありませんでしたが、1997年の営業休止の直前に一度だけ訪れることができました。今回はその時の思い出を記したいと思います。
1997年3月20日、この日の私は知人と上野駅周辺で一緒に食事をした後アメ横をぶらぶら歩き、上野公園でまだちらほらとではあるものの咲きはじめた桜を眺めて春分の日の祝日を楽しみました。
15時過ぎに知人とは上野駅で別れましたが、私は電車に乗らず、少し歩いて博物館動物園駅へ向かいました。実は知人と上野公園を散策中に同駅の入口の前を通ったので、この機会に一度行ってみたかった同駅を利用してみることにしました。
博物館動物園駅の出入口は国会議事堂の中央部のような三角屋根の建物が特徴で、これも都の歴史的建造物選定の理由の一つと思われます。入口をパッと見た感じは他の地下鉄の地下駅のそれとあまり変わりはないように思えましたが、改札階への階段の降り口の柱には京成高砂・船橋方面への列車の発車時刻表が掲示されていました。それを見るとやはり都心部にもかかわらず平日・土休日の別や時間帯によっては最大で2時間ほど停車する列車がない時間帯があることに改めて驚かされました。また時刻表には停車する列車が少ないので京成上野駅の利用を推奨する注意書きもあり、この点からしてすでに博物館動物園駅が「普通の駅」ではないことを感じました。
何はともあれ、駅の入口から改札階への階段を下りていきます。最初のうちは他の地下駅へ入っていくのとそれほど大きな違いはないようにも思いましたが、階段を下りていくうちにだんだん廃墟に潜入していくような独特の感覚を感じるようになりました。
そして改札階にやってくると、まず目を引いたのが大きな立て看板。そこには、当駅が3月31日限りで営業休止となるという衝撃の内容が。
正直、私はこの時点まで博物館動物園駅の休止を知らず(もしかしたら鉄道雑誌のニュースページに情報が出ていたのかもしれませんが、私は気づきませんでした)、私がこの日やってきたのもあくまですぐ近くまで来たからというのにすぎませんでした。なので、思わぬ形で休止直前の駆け込み初訪問ということになりました。
改札階は当時でもほかの駅では見られない特異な空間になっていました。
まず、少なくとも都市部の駅では当たり前の設備であるきっぷの自動券売機がこの駅には存在しませんでした。
ではどこで乗車券を購入するかといえば、改札のそばにまるで宝くじ売り場か小さな遊園地の入場券売り場のような小さなブースが設けられ、そこに座っている駅員さんから直接切符を購入するという形になっていました。
私はここから電車に乗った後、青砥駅で同駅始発の京急線直通電車に乗り換えて京急の横浜駅あたりまで行ってから自宅に帰るつもりでいたので、駅員さんに京急の横浜駅までの切符を所望しました。
すると駅員さんいわく、この駅では京成線内の駅までの切符しか発売していないので、連絡会車線へ乗り継ぐ場合はその線との境界駅までの乗車券を購入し、下車駅で精算してほしいとのこと。つまり私の場合は京成と都営地下鉄浅草線との境界駅押上げまでの乗車券を購入し、京急の横浜駅で乗り越し精算するという形になります。
そういうわけで押上駅までの切符を購入して改札を入りますが、改札にしてもその当時急速に設置が進んだ自動改札は1台もなく、木製(?)の古びた駅員さんの立つ囲い(ラッチ)が1つか2つしか設置されていないという、昔の映画の中の駅のような光景が広がっていました。改札に駅員はおらず、切符にも「入鋏省略」の表示がされていました。
改札を入ったところにあるホーム(上り京成上野方面用)は休日の多客に備えてか幅は広いようで、天井も高いので圧迫感はあまりなかったと記憶しています。ただ照明は全体に薄暗く、開業から休止、廃止まで大規模な改修工事がほとんど行われなかったこともあってホームや通路はなんとなくすすけた印象がありました。(一説には、終戦直前に国か国鉄の重要機関の業務を空襲から守るための施設として国鉄の客車を使用するために尾久客車区から客車を収容するために使用されたSLの煤煙が原因とも言われています)
博物館動物園駅は2面2面の相対式ホームの駅でしたが、上下線のホームは互い違いにずれて配置されていました。
改札から下り(京成高砂・船橋方面)のホームへは会談と通路で線路をくぐってアクセスしていました。ホームもそうですが会談や通路も歩いているとまるで廃墟探検に来ているような気分を味わうことができ、その手の趣味のない私でも何だかドキドキわくわくする体験になりました。
下りのホームも雰囲気は上りホームとほぼ同じで、薄暗いホームにベンチ代わりにパイプ椅子がいくつか置いてあるだけのがらんとした空間でした。
ホームから見えるトンネルの壁には上野動物園の最寄り駅ということで東京芸大の学生が描いたというペンギンや象のイラストも残されていましたが、これもまた煤けて少々かわいそうな状態になっていました。
そんな、他の駅では絶対に出会うことのない独特の空気間の中、パイプ椅子に座って何本かの通貨列車を見送ること約30分、前の停車列車から1時間余り空いた博物館動物園駅停車の下り普通電車が到着し、私は同駅を後にしました。
この日15時半前後の同駅は、お花見シーズン間近の祝日、しかも営業休止まであと11日というタイミングにもかかわらず私以外の利用客は2~3人ほどしかおらず、改札階の立て看板がなければ廃止前提の営業休止直前というのが信じられないほどの静けさでした。
おそらくこれが現在だったら、駅の営業休止がネットで多くの人の知るところとなり、当日は相当な人手になっていたかもしれないと思うと隔世の感があります。
博物館動物園駅が駅としての機能を事実上終えてから30年近く。現在はイベントの際に時々公開されるだけの同駅ですが、その独特のたたずまいを生かしてアートイベントなどにも活用されているようです。
1997年の時点でもまるで時が止まったままのような雰囲気が感じられたこの駅が、今後もできるだけその独特の空気間を残したままいい形で活用されていくことを期待したいものです。