まだまだ活躍?長野211系と運用表を見てみる。その② N300編成(3000番台、高崎転属車)

「こんばんは。鶴川です。とっくに年も明けまして1月が終わろうとしています。はやいです。はやすぎます。」
…と冒頭に書いてあった、ということはこれ1月中に書く予定だったっぽいですね…約2か月の遅延を経て公開。記事書く時間なかったマジで…ごめんなさい。

記事を書くネタ、何にしよう…?と思っていた矢先、親友が「211オタクになりたい」的なことを話していたのを思い出しました。教えるのが複雑な211系を手っ取り早く教えるには記事が一番早いんじゃないか、と思いまして今回の続編を作ることになりました。前回の記事も案外好評なんですよね、ありがたいです。

そんなこんなで今回もやっていきましょう。N600よりも沼なN300の世界へ、皆様をご招待します。

まだまだ長野211わからないよー泣って人は
N600からゆっくり観察してみましょう…。

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北関東向けと南関東向け211は違う?

本題に入る前に、今回取り上げる「N300編成」と前回取り上げた「N600編成」は、211系電車、長野・山梨エリアの活躍という点が共通しているため、両数以外何が違うの?と思う方もいらっしゃるかもしれません。
実は、N600編成とN300編成は「改造内容が大幅に異なる」んです。

暖地向けを無理やり改造した「寒冷地対応車」

もともと、長野211系の6両固定編成は「田町車両センター(現在廃止)」のチタN0/N20/N30編成を改造してつくられた車両。
田町向けに配属された211系は「ボックスが0番代、ロングが2000番代」を名乗り、主に東海道線の東京から熱海、沼津、静岡間・伊東線で使用されていました。
元を辿れば「老朽化が深刻だった113系初期車を置き換えるために投入された少数派」。そのため、装備は暖地向けのものを採用しました。
時は流れ2012年、上野東京ライン開業を数年後に控えたタイミングで、全編成がE233系3000番代に置き換え。東京口から撤退となりました。
その時、すでに長野では「115系C編成(6両固定)14本の老朽化が進行」という状況でした。
田町に配属された211系は基本編成が14本。そして、「4M6T(←熱海Tc-MM-Tsd-Tsd-T-MM-T-Tc)」だったため、中間のサハ(T)・サロ(Tsd)を抜いて長野向けに転用されることが決定します。
この時、暖地向けの装備で山梨・長野に入ったら普通に乗客殺し案件になってしまうため、半自動ドアの設置・融雪設備の強化・車内暖房の強化等々が行われ、ほぼ別番代と名乗ってもいい状態にまで改造されました。これが現在のN600編成です。

ところでなんですが…田町に配属されていた付属編成全14本は新潟115系の置き換えに回される予定だったのをご存じですか?
付属編成14本は「2M3T」という組成。こちらもサハを抜き取り、4両化。新潟に回す予定でしたが、改造費などを考慮した際、「新型車両を作った方が早いぞこれ」となったため、計画は解けました。この新型車両がE129系です。

サハを抜いてちょっと改良しただけの「寒冷地対応車」

一方、北関東に3000番代ロング62本(A編成)、1000番代ボックス11本(B編成)が配属された211系。こちらは、「冷房化改造を行っていない115系を撤退させるために作られた車両」。山梨長野とほぼ同等の寒さを観測する栃木県・群馬県を走るため、しっかりとした寒冷地対策が取られています。(落成当初から半自動ドアを設置している点など)

時は進み2000年、高崎線・宇都宮線(東北線 上野 – 黒磯)に新型車両「E231系1000番代」の導入が決定。その4年後の2004年にはグリーンサービスが開始されることが決まり、211系も対応に追われます。
北関東211系は地方への転出を見込み設計された区分でもあることから、編成の組成方式が「McM-T-T-Tc」という変則的な偏りのある組成、5両基本の編成でした。そのため、東京に出る際は2編成をつなげて10両ないし3編成つなげた15両での運行が基本でした。
ですが、グリーン車を連結する際に、「サロを4号車・5号車に持ってこないといけない」という課題に直面。そのため、「3000番代で10両編成を組み、どちらかの編成からサハ2両を脱車、廃車させる」という方法に出ます。
そのため、「McM-T-T-Tc+McM-T-T-Tc」から「McM-T-T-Tc+Tsd-Tsd+McM-Tc」という編成に変更。この10両固定編成は新たな区分に分けられます。これが現在の「高崎C編成」の原型。
このような組成に変更された211系でしたが、こちらも上野東京ラインが開業する1年前の2014年に撤退。理由としては、新規開業する「上野東京ラインの神田駅付近の勾配が越えられないから」ということが有力なんだとか…。
こちらものちに大部分が長野に転属となりますが、生まれ持った寒冷地対策をフルに使い、転属改造は半自動ドアボタンの取り換え、ドア前滑り止めの設置等の簡易的なものにとどまりました。
(と言いつつも、追加で耐寒設備を増設しているらしいです。)

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N300編成にはどんな形態がいる?

さてお待たせいたしました。N300の沼に入っていきましょう。
そもそもN300編成とは、長野総合車両センターに所属する211系のうち、3両編成につけられた編成番号です。

N300は番代・転属元・屋根上のタイプから3種4グループに分けることができます。これは一番簡単な分け方ですので、各記事で細かく分けていきましょう。
順に、

  • 高崎から転属してきた3000番代 パンタグラフ1基…2回
  • 高崎から転属してきた1000番代 パンタグラフ1基…3回
  • 幕張から転属してきた3000番代 パンタグラフ1基…4回
  • 幕張から転属してきた3000番代 パンタグラフ2基(撤去済)…4回

の4形態です。「…」の後は何回目の記事で取り上げるかという計画書のようなもの。今回は1番上、高崎から転属してきた3000番代です。

この「高崎から転属してきた3000番代 パンタグラフ1基」という名称のグループも、ざっくり3種類ぐらいに分けることができまして…

  • 国鉄時代に製造された編成・現LED(N306 – N311)
  • 民営化後に製造された編成・現LED(N312・N313・N316)
  • 民営化後に製造された編成・現幕(N314・N315)

といった形に分けられます。
これよりも細かい分け方は次の章で見てみましょう!ということで、各編成の紹介です。
なお、これより以下では「A〇〇編成」という呼称をする場合がありますが、高崎5連時代の編成、もしくは高崎4連のことを指します。
「A+車番下二桁(例:3010=A10)」で表すことができるので便利なんですよね…。

見方としては
高崎時代の編成(Axx編成)…現時点での編成(Axx編成/Cxx編成/N3xx編成)といった感じ。
A1編成…N306編成の場合、「高崎時代のA1編成は現在の長野N306編成」といった形で解釈していただければ大丈夫です。

なお、すべて3000番代のみの紹介です。「国鉄4次車・国鉄5次車」は3000番代がいないため、また次回の記事以降紹介します。
また、「高崎から直接転属してきた車」がいない「JR東2次車・JR東3次車・JR東5次車」は「幕張回」で解説します。

①国鉄1次車(N306)

屋根上を見せるためにあえて変な構図にしました

ロングのなかで唯一1次車に当てはまるN306編成。登場は1985年12月19日なので、N1(=現在のN601)の3日後に落成した、同日に落成したB1編成(=現在のN317)と同じく北関東211系の中で一番古い車両です。
3000番代における国鉄1次車はA1編成からA4編成。
A1編成…N306編成
A2編成…廃車回送済
A3編成…廃車回送済
A4編成…C4編成上野側
といった形。最古参のA1ことN306編成は、2024年度から始まった211系電車の延命工事対象第1編成だったようで、40年を超えて営業運転をすることがほぼ確実なものになりました。どこまで活躍させる気なんでしょうか?

ベンチレーターが撤去されて屋根上がきれいになっているのにもかかわらず、列車無線アンテナの台座が残っているのが特徴的なところでしょうか?ライブカメラなどで編成を特定するときに使う手段の一つだったり…。
急に表れるゴツっとした謎の平たい台座がアクセントの彼ら。N306編成は最古の編成であるにもかかわらず、まだまだ活躍しそうですね。

②国鉄2次車(N307/N308)

国鉄2次車はN307・N308編成の2本が該当。この2編成、どちらともベンチレーターが撤去されていない、長野転属当時の姿を残した編成なんです。
また、N307編成は長野3000番代唯一の日焼け編成だったり。車番はN307編成が3013、N308編成が3016です。

国鉄2次車はA5 – A16の11編成が該当し、順に
A5編成…C4編成高崎側
A6編成…C2編成上野側
A7編成…C2編成高崎側
A8編成…C13編成上野側
A9編成…A9編成(国鉄サハ最終車)
A10編成…廃車回送済
A11編成…C17編成上野側
A12編成…C17編成高崎側
A13編成…N307編成
A14編成…C13編成高崎側
A15編成…C15編成上野側
A16編成…N308編成
となっています。A9編成は「国鉄製造サハを最後に組んでいる車」だったり…。
高崎側は、C13(A8+A14)編成とC17(A11+A12)編成が延命済。

2025年春のダイヤ改正で、山梨県内において日焼け3連のバルブ撮影が難しくなった今、N307編成は最後の希望の光。とは言いつつも運用がなかなか追えていないので撮るのはしばらく先になりそう笑

③国鉄3次車(N309/N310/N311)

先頭車乗務員室後ろ、客室との仕切り板部分に窓が3枚ある211系。そのうち、「真ん中だけ(=貫通扉として開く部分だけ)が拡大されたグループ」である国鉄3次車。N309・N310・N311編成が該当します。3編成とも延命済。

国鉄3次車はA171 – A21の5編成が該当し、順に
A17編成…N309編成
A18編成…N310編成
A19編成…C6編成上野側
A20編成…N311編成
A21編成…C6編成高崎側
です。

このうち、N309編成とN310編成は「国鉄車なのに方向幕部分にビートプレスがある」編成。なぜ設置されたのか、理由はよくわかっていません。国鉄車なのに方向幕部分にビートプレスがある編成はこの2編成と東海K51/K52編成のみ。どれも川重製造。もしかしたら、「日車製造の初期車は国鉄ライトケースを使用した」みたいな”そういうこと”なのかもしれませんね…。
比較画像を載せておきます⇩

方向幕横にビートの有無の差があるのがわかるでしょうか…?
JR編成では当たり前になった方向幕横のビートプレス。実は国鉄車はなかったので帯ごと消えていたんですよね…。そこだけプツンと切れた帯が特徴的でした。東日本管内では、今でも高崎所属の編成と南武支線で見ることができます。

西日本の205系で代用しますが、こんなイメージ。

また、N310編成のクハ(Tc210-3018)の一部ドア上には「手すり」が設置されています。高崎時代に混雑時の手すりとしてA1編成をはじめ、一部編成に取り付けられたようですが、撤去。ですが、N310編成のクハだけは残されました。いまでも取り付けられているため、乗ってみた際にはぜひ見てみてはいかがでしょうか…✨

この後に「A22編成(現C8編成上野側)」のみが該当する「仕切り板部分の窓が3枚とも拡大された国鉄4次車」、「東海K51/K52編成」のみが該当する「3次車の特徴を持った0番代(暖地向け1000番代状態)の国鉄5次車」がありますが、長野にはいないので省略させていただきます。(国鉄4次車は1000番代がいるので次回取り上げます)
いつかここら辺もしっかり取り上げたいなぁ。

④JR東1次車(N312/N313)

国鉄4次車と5次車を経て、ついに民営化しました。JR東1次車です。国鉄車とは

  • 方向幕横のビートプレスが全編成に搭載
  • クモハ床下の抵抗器配置変更(真ん中に空間がある)
  • ライトボックスが「外4:6内」の比率に変更
  • 車内荷物棚が「網から棒へ変更」
  • JRマークが落成当初から貼り付け済み

等々、見た目の変更はパッと見ないのですが、細かいところが変更されています。
JR東日本1次車は「国鉄4次車で誕生した『仕切り板部ガラス窓が3枚とも拡大』された」編成。それ以外は上記に挙げた一般的なJR編成のそれです。

該当編成は
A23編成…N312編成
A24編成…N313編成
A25編成…A25編成
A26編成…A26編成
A27編成…A27編成
A28編成…A28編成(矢絣塗装)
A29編成…C8編成高崎側
A30編成…A30編成
A31編成…A31編成(Wパン)
A32編成…A32編成(Wパン)
A33編成…A33編成(Wパン)
A34編成…A34編成(Wパン)
A35編成…N301編成

の13編成。このうち、N312編成・N313編成と高崎A25-A28、C8(A29-A22)、A31編成は延命済です。

N312編成、延命する前は画像のように塗装がボロボロだったんですよね…。長野、結構ボロボロな編成が多数存在してまして…。
で、JR東2次(該当なし)・3次車(A36-A46)を経まして…

⑤JR東4次車(N314/N315・N316編成)

高崎→長野の編成の中で一番といっても過言ではないほどの迷要素を持っているといっても過言ではないJR東4次車。実は当初、小山に配属されていたんです。
該当編成は

A47編成…C15編成高崎側
A48編成…N314編成
A49編成…N315編成
A50編成…N316編成
A51編成…A51編成
A52編成…A52編成
A53編成…N302編成

の7編成。このうち、N315編成は延命工事済です。また、A52編成が入場中とのことで、延命をして出てくるんでしょうかね?
1次車との変更点は、「2次車で確立した、『ベンチレーターが鉄からステンレスに変更』、『ATS-P形設置準備工事施工済』」という点に「3次車で確立した『変更したドア溶接技術』」を使い、さらに「クモハ・モハの床下点検蓋を省略」したもの。これにより、車内床がすっきりとした印象に変わりました。

N314/N315/N316編成は本当に面白い編成なので、せっかくなら各編成の特徴をまとめてみましょうか…。

N314編成

意外とクハ側の素材がなかった

N314編成、転属当初は「クモハがLED、クハが白幕」というちぐはぐな幕で転属してきました。これはN316編成も同じ。もともとこの2編成が「C編成」という封じ込め編成だったことが要因だそうで…。
N316編成の幕は2021年6月ごろにLEDに変えられ消滅。一方のN314編成は同時期に両方とも白幕になった?とのこと。
実はトレードしていたという…笑

また、このN314編成、N300の中で唯一「クハに雨どいもひさしもついていない編成」なんです。高崎の頃からこうだったらしく、電気連結器を付けたN600みたいな見た目をしていますね…!、といいつつ、落成当初は実はひさしが付いていませんでした。
3000番代の中だと一番原型に近い編成なのかなぁ…?
現在は青膜になっているため、余計N600みが増しています…笑

N315編成

昔の自分ナイス👍

この3編成の中で一番まともな編成、N315編成です。長野に来た当初から両方とも幕の編成です。ひさしもついており、普通に幕の211…と思いがちですが、「高崎から転属してきた車」なのでドアボタンは高崎型。幕張転属組とは違うのが特徴です。
こちらも現在は青幕に変えられています。

この車、今では延命化もされていて、さらにカオスさを増しています。
高崎編成×幕×延命…。とってもいい匂い…。

N316編成

この編成は先ほども軽く触れましたが、N314編成と同様に「クモハがLED、クハが白幕」という形で出てきた車両です。
2015年の10月(13日)に幕が壊れたN316編成。LEDにした…のではなく、なんと「青幕」を新規に投入したんです。


まさかの方法で故障を乗り切ってきましたが、そんな形態もまさかの1か月足らずで変更。同年11月には再度「白幕」へ変更していることが確認されています。なんでやねん。
そして21年の春にLED化。すごい幕が変わった編成でもありました。

実は「〇両」にする計画があった…!?

さて、ここまで紹介してきた「高崎から直接転属してきたグループ」。この編成の「モハ」に注目してみましょう。
「モハ」の座面、実は『原型モケットのまま』なんです。

実は、長野に転属する際に「VVVF化・1M化を行い新系列電車にする」という計画が7編成ほどに検討されていたこと、の名残なんだとか。

←転属してきた種車|計画案→

これは、長野の115系「N50編成」を置き換えるためのものだったらしく。(N50が7編成)
検討され実行に移す、と思われましたが、結局すべて3両編成で置き換えることになっています。番代何にする気だったんだろ、「7000番代」?笑
武蔵野205系でも新系列電車にする計画があり、こちらは実行されましたね。5000番代だったっけ?

基本的に原型モケットを積んだ車は「廃車する」予定だったため、高崎残留組も「サハだけが原型モケット」という状況になっています。

ちなみに7編成とか言いながら実際には「モハだけ原型の車は7編成もない」っていうのは秘密(N306/N312/N313の3本?)。

まとめ・付録の運用表

そんなこんなで今回は「N600との違い」「国鉄とJRを通して何が変わったか」について軽く、本当に軽く触れてみました。
前回よりも車両がメインの記事となりましたね…笑(というか運用表は代走だらけで書いたところで感があるので…)

シリーズ次回は「1000番代、N317-N327編成」をターゲットに記事を書いていきます!1000番代、これはこれで沼なんですよ…。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!次回は…そうですね…なるべく早く出します!笑

あ、運用表忘れてましたね。今回の付録としての運用表は「カッターパン、B80運用」です。長野区にはWパンタの211系がいない代わりに、「霜切りパンタグラフを付けた専用編成」を作り、カッター運用という固定運用に回します。時期は限られていますので、211系情報を更新している皆様を頼りにしてください…。

コメント  ご意見やご感想等お気軽にどうぞ。

  1. 匿名 より:

    JR西日本岡山 山口が欲しがっているから譲渡されたらまた面白いですね。一応227系を新製していますが、お金がないから中古を並行導入という選択肢もあるかと、西武鉄道が中古導入をする時代、鉄道業界も縮小の時代です。

この記事を書いた人

鶴川
#中央本線が好きだ
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