ローカル線放浪記&模型

主にローカル線とNゲージを紹介。 他、身近にあったこともついでに。

相鉄線の貨物輸送を知っている人はもうほとんどいないでしょうけど・・・

今では相鉄線と言う方が沿線住民では一般的な名称でわざわざ相模鉄道という人はほとんどいないと思います。そんな相鉄線は元は神中鉄道で、本来の相模鉄道は現在の相模線ですが、作られた目的が相模川の砂利輸送になります。相模鉄道は相模線になる前の相模鉄道と神中鉄道を合併したものの、現相模線は相模原に基地があった関係で国有化され、残された神中鉄道の路線だけが相模鉄道として残った形です。

砂利輸送は私が生まれるだいぶ前に廃止になっており、私が知っている貨物輸送というと厚木基地へのジェット燃料の輸送になる訳ですが、これは子どもの頃何度か見に行ったことがあるのですが、すでにカメラを持っている頃でもまだジェット燃料の輸送が行われていたので、今思うと撮っておけば良かったなと思うのですが、後の祭りです。これはモニ2000にも言えることですが。

ということで模型でしか楽しめませんで。(ED12は3.11の地震で壊れてしまい廃車に)

さて、そんな相鉄の貨物輸送ですが、私が知っている時代はすでに厚木線を使ったものだけで、西横浜はすでに連絡線も切られた状態で留置線は今よりも小さい規模でそこに電車が止まっていることも無かったと記憶しています。古河電工への線路は途中で切られて、そこにトム260など無蓋車が留め置かれていた記憶があります。あのスノープラウ付きの独特な貨車です。そんな西横浜駅廃線跡を辿るために訪れて見ました。

この日は留置線には9000系が1編成止まっているだけでした。

引いて撮影してみました、概ね構内の配線はこのような感じ。道路の橋脚の右側の1線はポイントからのカーブが急のため、モーターカー専用の線路と思われます。

こちらは横浜寄りの留置線。昔、この場所にスノープラウ付きのトム260が置かれていました。ただ、私の記憶では置かれていたのはこの写真の作業車が止まっている線では無く相鉄の上りとの間の線、今の入出庫用の線のところだったと思います。つまり1線増えている訳です。

西横浜の駅舎はシンプルな橋上駅舎です。

貨物輸送当時はここまで線路が来ていた車止めの跡でしょうか?

すぐ近くまで貨物線の跡と思われる測線が延びています。その先に架線柱があるので上の砂利のところまで来ていたかは判りませんね。

調べてみたら本線から直接、線路が出ていて真っ直ぐマンションの方に延びていた線路があったみたいです。

留置線の一番外側にはレール運搬トロッコとモーターカーが留め置かれています。

このこぢんまりした車庫は当時からあったものでしょうか?扉は開いていますが中は空っぽです。

湘南新宿ラインE231系

横須賀線はこの日総武本線で人身事故があった関係で運転間隔がバラバラで全然来なかったり3分くらいで連続してきたりでした。方向幕が花になっています。

後ろ側ですが、8000系。東急の9000系同様、そろそろ撮っておいた方が良い車両ですね。

横須賀線はすっかりE235系に取って代わってしまいました。今月は鎌倉に墓掃除に行く用があるのですが、横須賀線に乗るかまだ決めていません。

東海道線E233系。首都圏はE233系だらけでなんかつまらないというか。

12000系。後ろ向きはまぁそこそこ撮れるのですが・・・

上りは架線柱や柱が多くてちょっと無理ですかね。

残りはついでにやったスタンプラリーの模様をちょっとだけお送りしようかと思います。