4月13日の開幕に向けてカウントダウンが始まった2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)。しかし、私なんかもそうなんですが、日本での万博開催が決まった当初の盛り上がりとは180度違って、今は何となしにしらけムード。会場本体は勿論のこと、パビリオンもまだ完成の目処が立っていない箇所がいくつもあり、建設費の高騰によって予算を上積みせざるを得なかったり、建設途中でコロナ蔓延があったりして、計画そのものも練り直しという事態になったりして、そういう「負の連鎖」みたいなのが次々に襲いかかり、チケットも売れ残っているそうじゃないですか。東京オリンピックにも同じ事が言えますが、全てはコロナが狂わせたんでしょうね。でもそれを差し引いてもやはり、昭和39年の東京オリンピック、あるいは昭和45年の大阪万博を超えるイベントにはならないと思います。アクセスについても先行で大阪メトロ中央線の延伸が少し話題になっただけで、そっちの盛り上がりもイマイチなのが現状だし実状になります。
そこへいくと、昭和45年の大阪万博は国家と国民が一丸となって盛り上げ、高度経済成長期の集大成とも言えた画期的なイベントだったようですね。私は産まれたばかりだったので記憶は無いけど、開催中の延べ入場者数が6421万人というから、その数だけでも日本中の期待を一身に背負っているのが解ります。
この国家イベントに国鉄、私鉄がタッグを組み、総力を挙げて輸送に当たります。国鉄は開催中に臨時列車を大量に設定し、新幹線と在来線を合わせたその数累計5859本。新幹線は万博を機に300両を新製して全列車を16両編成化させ増発を実施します。12系客車も万博輸送用に製造されたのは有名な話。
私鉄も万博会場へのアクセスとして北大阪急行電鉄を開業させ、親会社の阪急電鉄(当時は京阪神急行電鉄)は「エキスポ準急」なる臨時列車を走らせたり、万博会場の至近に臨時駅を設置するなどして対応しました。
国鉄における万博会場の最寄り駅は茨木駅か千里丘駅になりますが、関西各地から最寄り駅までの輸送用として運転されたのが「万博号」でした。
弊愚ブログで「万博号」を扱うのは今回が3回目なので、時刻等の詳細は割愛しますが、国鉄は「万博号」運転のためにわざわざ車両を新製せず、横須賀線の113系を大阪に派遣して輸送に充てました。まぁ、「おそらく」という形容が付されますけど、「万博号」用の車両としては誂えず、別の名目で東海道/横須賀線用に113系を新製して、炙れた113系を大阪に転配させて「万博号」に充てたと予想します。
京阪神快速用の車両と識別する意味合いがあったのかどうは知らんけど、大阪派遣に際して塗り替えは行われず、そのため関西では珍しいスカ色の113系が走ることになります。
「万博号」は河瀬-茨木間と姫路-茨木間に設定されましたが、この列車の凄いところは、京阪神緩行や快速が複々線の内側線(電車線)を走るのに対し、「万博号」は複々線の外側線を走れたこと。ということは、「万博号」は大阪鉄道管理局が独自に設定したものではなく、国鉄本社が設定した列車になります。このため、「万博号」は停車駅こそ多いものの、列車線を特急や急行並みにビュビュン飛ばしました。この光景を目の当たりにした大鉄局は「万博終了後もあの「万博号」を定期的に運転出来ないものやろか?」と考え、具現化したのが新快速であるというのも有名な史実ですよね。でも、大鉄局の思惑とは大きくかけ離れたものになりますけどね。
私の記憶が確かならば、万博終了後も113系は大阪に残り、前述の新快速にそのまま充当した他、新快速が153系に置き換わってからは阪和線に転じたり、京阪神快速や関西線快速に転用したりとその後の車生は様々です。
万博輸送で少しだけ増収傾向にあった国鉄ですが、万博終了後の旅客需要を考えて乗り出した企画が「ディスカバージャパン」というキャンペーン。団体旅行から個人旅行、特に若年層の女性にターゲットを切り替え、「鉄道を使ってゆっくり旅をして下さい」が功を奏し、雀の涙ほどではありますが、大赤字の国鉄が少しだけ潤った時期になります。
それから55年後。
JRにおける万博会場最寄り駅はJRゆめ咲線の桜島駅だという話は聞いたことがありますが、桜島から夢洲までどうやって行くの?
また、「万博号」のような臨時列車を設定するのかな?
大阪・関西万博のために「のぞみ」を大増発したりはしないと思うし、やっぱりEXPO ’70とは意気込みも思い入れも全然違うような気がしてなりません。
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
日本鉄道旅行歴史地図帳第9号「大阪」 (新潮社 刊)