今回から対象が主に北九州の列車を予定、その中で最初は、三池炭鉱鉄道を掲載。
ここでは三池鉄道とも称しての記載も行なう。主体はロクサン客車(ホハ202~204)。
そのため、この客車を最初に掲載で順に想定、極めて嗜好性が強い内容を予想である。
よって北海道の列車の走行撮影の様な、一般の方も多少とも楽しめる画像等ではなく、
見ても全く興味が沸かない、と思われる場合が多い可能性大。南武支線でもこの傾向が
あったが今回はもっと極端になりそう。この後は国鉄の九州北部が対象で、こちらも
各種の嗜好性が強い車両を中心に掲載想定であるが、ご了承。
今回の場所は福岡県と熊本県の県境付近。鹿児島線の大牟田と荒尾の近辺になる。
なお専用鉄道であり、一般者向けの時刻表等の記載はなし。炭鉱関係の貨物が主体。
それに加えて職員専用の通勤用の客車も運行。今回の主目的は、1984年までのこの
職員専用の客車になる。
※1984/10/01職員輸送列車廃止(鉄道ピクトリアル721、P66)
※1964年から1973年は、地方鉄道「三井鉄道」として運行の記載あり。
(鉄道ピクトリアル434P、P31)、この間は一般の人も乗車可能であったらしい。
この客車の画像を鉄道雑誌で昔最初に見た時は、衝撃的な驚きの記憶が鮮明にあり。
「サモハ63が現役で動いているではないか!」まさに驚愕と言ってもいいほどの感覚。
まるで、戦中戦後から車両だけ時間が止まっている、と思うインパクトがあった。
今回の冒頭の画像は、まさにサモハ63が稼働? と、一瞬思わせる雰囲気。
戦中戦後に増備のモハ63系は、戦後の混乱期の大量輸送に多大な貢献、4ドア通勤電
車の標準となった。しかしその反面、戦争に勝つまで持てばよいという粗雑な製造で、
信頼性、そしてさらに安全性を軽視していた。戦後もそのままフルに酷使されたため、
多くの犠牲者を出した国鉄黒歴史となる大事故(桜木町事故)の要因となってしまった。
そのため「モハ63」という言葉は、戦時設計という悪い意味での代名詞となった状態。
当然応急的な修繕が全車両で実施、その後も各種の更新が行なわれるという経緯。
その修繕更新された車両は、東京では、青梅五日市線/南武線/横浜線/鶴見線等で
比較的遅くまで使用された。そして1978~1980年頃に最終的には置き換わっている。
当時走っていた旧い茶色の電車といえば、定年を既に迎えた方なら覚えている可能性。
ただしもし一般の方で乗車経験がある方なら、まず大抵は良い印象がないと思われる。
自分が見たのは、その末期の頃の旧モハ63の修繕更新車、そのレベルも実に様々。
以下は比較的モハ63の雰囲気に近い状態の1両について、廃車直前の撮影になる。
クモハ73127←③モハ73127←①モハ63735、②1947年製、④1978/03/15廃車
※旧型電車車両台帳
①P355から電装あり(最初からMc車)、③P345、④P380
※国鉄電車の歩み30系から80系まで
①P75無電装車表に記載なしのため、電装あり(最初からMc車)、②P73
なおJR東海のリニア・鉄道館に、モハ63638が当時の姿に復元の上展示されている。
旧国鉄の黒歴史の代表的な車両?を、復元の上で一般に公開展示とは、よく決断して
いただいたと感じる点あり。世界遺産でも見られる、負の歴史遺産にも似ている?
できれば一度訪れてみたいと思う。
戦中戦後に63系電車は、モハ63(Mc)、サハ78(T)、クハ79(Tc)、として増産された。
なおモハ63(当時Mcはクモハではなくモハ)で電装や制御関係装備が間に合わず、
やむを得ずクハやサハ代用車が多数出現。これが1948年の特別処置で以下となった。
モハ63で、サハ代用車→サモハ63
モハ63で、クハ代用車→クモハ63(注:現在のMcをあらわすクモハとは全く別)
※国鉄電車の歩み:30系から80系まで、P5から抜粋
※同、P72:クハ79は17m木造電車の台枠切り継ぎ流用の剛体化改造
63系電車は見かけ雨樋がなく、屋根にドア上で水切りがある。これが大きな特徴。
しかし、戦後の整備更新等や、大事故の対応で大なり小なりの改造が行われていった。
その結果、Mcモハ63はモハ73,そして1959年の改定でクモハ73となって使用された。
とても特徴的であった屋根上の「へ」の字状の水切りはなくなり、雨樋が設置された。
両端(正面や連結面)の上部にあった大きな通風機も、最終的に撤去されてしまった。
先ほど提示のクモハ73127は、それでも比較的モハ63に近い形態と思える。
それに対して三池鉄道のホハ204は、上記のサモハ63がそのまま当時まで残存では
ないか、と思われる外観の印象をもっていた。以下これらの車両を中心に進めたい。
なおサモハ63の仮運転室側が先頭に出ている画像は、自分が見た限り以下三件あり。
・①国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、P75:サモハ63300、初版1968年
・②国鉄電車発達史、P158:サモハ63画像あり、初版1959年(1977年訂補)
・③国鉄剛製電車史 モハ63形、上、P11:サモハ63202、初版2016年
自分が当時見た画像は①と②であり、①のサモハ63300(前照灯はあるが)の画像の
イメージがまさにサモハ63であった。これと冒頭のホハ204がそっくりと感じていた。
なお最近の③の資料の画像が一番鮮明で、前照灯もなくイメージに一番近い。ご参考。
これから三池鉄道を掲載予定。まずはホハ204から、サモハ63についても記載予定。
最初に触れたように、極めて嗜好性が高い内容になる可能性大、あらかじめご了承。
なお、間違い等ありましたら申し訳ございません。順に修正させていただきます。
どうかよろしくお願いいたします。
参考
全体:旧型国電車両台帳
※P115:サモハ63081(中間)
*P128:サモハ改造のサハ78304(乗務員室ドアあり、中間)
国鉄電車の歩み(30系から80系まで)
※P4:サモハ63001の番号画像
※※P75:サモハ63300(先頭、前照灯あり)
国鉄電車発達史
※※P158:前照灯もないサモハ63と思える画像あり(先頭)
旧型国電50年Ⅰ
※P159:サモハ63001(中間)
※P159:サモハ63013(中間)
三池炭鉱鉄道
鉄道ピクトリアル434(私鉄の電気機関車、P30~、P42~)
◇P30:三井石炭鉱業(株)専用鉄道
鉄道ピクトリアル557(九州の鉄道、P130~)
◇P130:三井石炭鉱業(株)専用鉄道
鉄道ピクトリアル721(戦前製旧型国電、P66)
◇P66:三井三池炭鉱専用鉄道
国鉄剛製電車史 モハ63形、下(私鉄向け概要、P36)
◇P36:三井鉱山三池鉄道はサハ78と同形体のホハ201~205を
客車として自社発注
63系全般(サモハ63関係や三池鉄道ホハ200形の資料等が以下資料にあり)
国鉄剛製電車史 モハ63形、上
※P8 :サモハ63077(中間)
※※P11:サモハ63202(先頭)
※P12:サモハ63236(中間)
※P13:サモハ63300(中間)
※P13:サモハ63318(中間)
国鉄剛製電車史 モハ63形、中
*P20:サハ78389(元運転準備室ドアあり、中間)←63446
*p20:サハ78395(元運転準備室ドアあり、中間)←63458
鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション37、 63・73形電車の時代
◇P12:三井炭鉱専用鉄道、ホハ204
■P85~:桜木町事故の詳細な記述あり
※P20:サモハ63006(中間)
**P26/P103:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370
車内P103:サハ78385(元運転準備室ドアあり、先頭)←63390
鉄道ピクトリアル684(73系電車)
**P50:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370
鉄道ピクトリアル938(72系旧型国電)
**P22/P72:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370
車内P72:サハ78385(元運転準備室ドアあり、先頭)←63390
※P66:サモハ63006(中間)
鉄道ピクトリアル959(私鉄の63形電車)
◇P52:三池炭鉱専用鉄道、ホハ200形(ホハ204、ホハ201)
鉄道ピクトリアル2025/03別冊 72・73系電車
**P19:サハ78375(元運転準備室ドアあり、先頭)←63370
◆P127:サハ78375(元運転準備室ドアありなし、中間)←63370
写真とイラストで綴る国鉄73・73系電車
◇P158:三井三池炭鉱専用鉄道(ホハ202、ホハ203)
サモハ63等電装未装備等のモハ63の一覧関係
旧型国電車両台帳、P343~P357
国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、P75※
※詳細で若干他の資料と差があり、不一致車両は慎重な判断が要
鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション37、 63・73形電車の時代、P46
鉄道ピクトリアル2025/03別冊 72・73系電車、P192~P196
国鉄剛製電車史 モハ63形、上、P56~P79
国鉄剛製電車史 モハ63形、下、P94~P123