ご訪問の皆様、おはこんです。
現在週一の更新ペースで進めております、磐越西線の黄金時代。
昭和43年10月改正の貨物を含む時刻表と機関車運用図表を参考に一部考察を交えて記しています。
今回はED77と優等列車を中心に会津若松ー郡山の前半。資料は引き続き仙台鉄道管理局の機関車運用図表(部分)になります。文中会津若松を若松。磐梯熱海を熱海と略している箇所がありますがご容赦ください。
この時代に会津若松駅に出入りする各路線の列車は旅客貨物合わせておよそ120本でした。
特に郡山方面はとても多く、一本一本の列車を追うよりも運用面で注目しておきたいところを中心に記して参りたいと思います。
結果的に磐越西線郡山ー喜多方の専用機で生涯を閉じたED77交流電気機関車は基本的に貨物は重連、旅客は単機という運用だった印象ですが、ヨンサントオの頃は前年に電化されたばかりの状況で、蒸機牽引時代の名残がダイヤ上でも見られました。本籍は福島機関区、住所は会津若松運転区という電気機関車です。
電化前は若松側は広田→翁島、郡山側は磐梯熱海→上戸で補機(D51)の連結・開放をやっていました。
電化後は若松側からは重連で出発しますが、磐梯熱海でED77は1輛切り離し、下りの単機でやってくる貨物列車の補機になって上戸まで行く運用が1日数回ありました。また重連で郡山に行って郡山で分離して別々の列車を牽いて戻る、そして逆に単機で行って重連で戻るというパターンも見
られました。機関車1輛に運用が1つ割り当てられていたのです。それらの様子を運用表上で見ていきたいと思います。例によって今回も前半(お昼まで)の様子です。
では蒸機時代の補機運用をトレースした様なダイヤについて記します。若松EL13運用と10運用の
77が重連(上り貨物7276レ)で出発します。補機運用をこなすのは先頭の13運用です。磐梯熱海で切り離し、1時間35分後に単機牽引でやってくる下り貨物263レの後部(「後」って記されているので蒸機時代と同じくプッシュプルかと考察しますが、ホント?)に付き、上戸まで押して行きます。上戸では下り1番線を使用したと思われます。263レを見送ったカマは単機回送264レで磐梯熱海に戻ります。そして下り貨物7283レでまた上戸まで。今度は単機回送7284レで郡山まで行き、午後の普通列車231レに備えます。これ以降宵の口まで貨物列車は重連で若松ー郡山を往復
した様です。
続いて午前中の優等列車について見てみましょう。
上野から直通して来る夜行列車は定期の「急行ばんだい6号」1103~2203レの他に電車や気動車、在来型客車による季節及び臨時の夜行が3本設定されています。
郡山から2203レを牽くのは若松0時53分発の上り貨物280レでEL7運用の77です。EL4運用と重連(次位)で郡山までやって来ます。郡山操まで貨物を運んでから郡山に戻り、そこで別れて4運用は5時55分発の普通列車223レで若松へ帰ります。この223レが若松に着く前後、上野行きの
「急行ばんだい1号」2202M、仙台行き「急行いなわしろ1号」911D、EL8運用の郡山行き普通列車222レ、EL2とEL18運用郡山操行き上り貨物282レがわずか40分のうちに次々と会津若松を発車します。今ではこの華やかさは想像出来ませんね。D51やC57も一緒に屯していた構内です。
これらの列車が郡山に着く頃、仙台発新潟行き「急行あがの1号」911D、上野発喜多方行き「急行ばんだい1号」101M~2101M、EL21運用の新潟行き普通列車227レが若松に向けて30分の間に発車していきました。
そして今度は上野行き「特急あいづ」1014Mと新潟発仙台行き「急行あがの1号」913Dが郡山に向けて走るという中に磐越西線はお昼を迎えるのです。
この最中、日本で指折りのモーレツ運用をこなす郡山機関区急行気動車A1運用の普通列車1229Dがゆっくりと若松を目指します。
後半につづく
最後までお読みくださいまして
ありがとうございます。