日豊本線のL特急“にちりん”は博多~大分・宮崎・西鹿児島間に8往復が設定され、内西鹿児島往復はキハ80系で運転されていた。長躯西鹿児島から日向路、二豊路を8時間走り通した“にちりん8号”は最後のコースに向けて小倉でスイッチバックする。 5036D 小倉 S50(1975)/5/3
キハ66・67編成の急行“日田”は夕方の由布院で博多行“由布2号”と併結して日田まで進み、日田からは日田彦山線を北上し夜遅くなって小倉へと辿り着く。残り直方までの最終コースは小倉で進行方向を変える。 2708D“日田” 小倉 S50(1975)/5/3
485系特急“みどり”は南宮崎電化時に宮崎延伸で1往復増発され、大分・宮崎発着の2往復体制となった。下りは大阪~大分と岡山~宮崎、上りは大分~岡山と宮崎~大阪で運転され、上下列車で発着駅が異なる運用であった。クリームスカート赤帯のクハ481が小倉1番線にすべり込む。 大阪発大分行33M“みどり1号” 小倉 S49(1974)/12/27
急行“フェニックス”は西鹿児島~博多~小倉~宮崎と九州をひと回りするΩ運転の長距離列車であった。撮影時、日豊本線側からの視点では、下りが西鹿児島発博多経由宮崎行(2108D)、上りは宮崎発博多行(2109D)の運転であった。新幹線博多開業の昭和50(1975)年3月改正で廃止され、惜しくも気動車急行全盛時代から続いた名門急行の愛称が消えてしまった。 2109D“フェニックス” 日豊本線三毛門~中津 S50(1975)/1/2
クハ481 200番台の登場は直流クハ183の交直版のようで、485系のイメージは大きく変わった。前面の分割扉とそのドアレールが魅力的であった。博多発宮崎行4013M“にちりん1号”が中津平野を快走する。 日豊本線中津~東中津 S50(1975)/1/6
20系から24系24形(3段寝台)に衣替えした西鹿児島行7レ“富士”が佐井川橋梁を渡り、次の山国川を渡ったところで県境を越える。 日豊本線三毛門~中津 S50(1975)/7/26
ED7627〔大〕が牽く20系15輛編成“富士”は周防灘に面した平坦区間を軽やかに進む。 日豊本線築城~椎田 S49(1974)/8/12
ED7686〔大〕+ED7671〔大〕重連の上り貨物列車が広大な沖平平野を行く。東中津の場内信号機が見える。当時東中津はコンテナヤードがあった。 日豊本線中津~東中津 S51(1976)/3/21
昭和50(1975)年3月改正は九州への夜行列車が大幅に縮小され、14系客車を使った長崎・佐世保“雲仙・西海”、熊本“阿蘇”、大分“くにさき”に再編された。大阪発大分行205レ“くにさき”11輛編成が別府湾沿いを行く。 205レ“くにさき” 日豊本線東別府~西大分 S50(1975)/6/1
上り“高千穂”東京行最終日、3月6日の大分駅での様子。ホーム前方は大勢の人が集まってセレモニーが行われているようで、機関車正面から写真は撮れなかった模様。6輛の客車はほぼ埋まっていたと聞いた。 4102レ“高千穂” 大分 S50(1970)/3/6
上り東京行最終日3月6日の編成は8号車ナハフ1048〔鹿カコ〕/9号車欠車/10号車オハ3697〔鹿カコ〕/11号車ナハフ1120〔鹿カコ〕/12号車ナハ1057〔鹿カコ〕/13号車オハ35963〔鹿カコ〕/14号車/オハフ456〔鹿ヤコ〕/ED7676〔大〕→門司/であった。
大分を発った上り“高千穂”は門司で“桜島”編成と併結し、翌3月7日16:06東京に到着。編成はそのまま品川へ回送され、翌最終日の3月8日10:00発の下り1101レ“桜島・高千穂”となる。
3月8日、東京駅での生々しいレポートを趣味誌から抜粋する。『構内放送ではさかんに“桜島・高千穂”が最終日であることを告げている。9時39分、12番線に品川方向から“桜島・高千穂”が入線してくる頃にはホームはファンでいっぱいになった。そして老いも若きもしきりにシャッターを切っていた。10時ちょうど大さわぎの12番線を尻目に“あさかぜ3号”が13番線に進入し、数分遅れて“桜島・高千穂”は最後の旅へと旅立って行った。』(鉄道ファンNo.170/ブルートレインスペシャルから)
日豊本線の特急“彗星”は最大5往復が運転されていた。昭和50年3月改正では寝台電車583系が登場し3往復へと整理された。新大阪~都城間は客車24系25形、新大阪~大分、新大阪~宮崎間の2本は電車583系が充当された。 3011M“彗星3号” 大分 S50(1975)/4/6
457・475系急行は博多・小倉~大分間に“ゆのか”8往復が、門司港・小倉・別府~宮崎間は“日南”3往復が設定されていた。付属編成が付いた堂々の10輛編成は特に迫力がある。 3514M“ゆのか7号” 大分 S50(1975)/6/26
小倉発大分行3501M“ゆのか1号”はクハ455+モハ474+クモハ475+サロ455+サハシ455+モハ474+クモハ475の7輛編成でやって来た。 日豊本線西大分 S50(1975)/6/1
朝の下り貨物は毎日DE10が付いた重連であったと聞いた。DE10は佐伯もしくは延岡での入換仕業だろうか。大分のDE10は21輛が配置されていた。 563レ 日豊本線幸崎~佐志生 S50(1975)/5/18
撮影:BBSさん 写真所蔵:転轍手