朝日を浴びながら終着の東京に向けてラストスパートをかける急行「銀河」の臨時便になります。湯河原-真鶴間かと思いきや、戸塚-保土ヶ谷間での撮影だそうです。
今でこそ、夜行高速路線バスを使っている関西外遊ですが、夜行高速路線バスを使うようになったのは言うまでもなく「銀河」が廃止されたから。「使うようになった」というよりも、「使わざるを得なかった」という表現の方が正しいと思います。
車両の老朽化やJR東海の陰謀など、様々な廃止要因が挙げられる「銀河」ですが、車両を置き換えてでも(JR西日本681系(当時)の間合い利用とかね)存続させるべき列車だと思った方は少なくないと思います。ただまぁ、仮に681系になったら「ドリーム号」の方がコスパ的には優位だろうし、第一、681系にする意味が無いか。「銀河」のアイデンティティは「横になって寝られる」ことにあるから。
それでも、国鉄時代も民営化後も東京と大阪を行き来するビジネスマンや観光客に愛された「銀河」ですが、繁忙期を中心に定期便をフォローする臨時便が運転されていました。No.1183の「金星」に次ぐ50番台臨時列車の特集です。
「銀河」の臨時便がいつから設定されていたかは不明でしたが、急行「なにわ」の廃止後に座席車主体の季節臨が設定されたことから、43.10改正時に登場したものと考えられます。当然のことながら、登場時は旧型客車を使用し、昭和47年に14系座席車が登場すると、「銀河」の臨時便も14系に置き換えられたのはないでしょうか。
運転自体も定期の「銀河」の前後をピタリとくっつくようにして走っていました。
例えば、画像は昭和53年に撮ったものだそうなので、それを基に時刻を調べてみると、下りは臨時先行で東京発が21時50分で大阪着が7時42分、後発が定期便で同じく東京発は22時45分で大阪着が8時ちょうどになります。夜行だけど急行なのでこまめに停車し、大阪とうちゃこの時間を考慮して主要駅では停車時間を長くしていました。逆に上りは定期先行で大阪発が23時10分で東京着が9時36分、後発が臨時便で大阪発が23時23分ですが、上りだけ品川止まりになりまして品川着が9時34分になります。双方7時台に着きたいところですが、通勤ラッシュの時間帯とバッティングしてしまうので、東京エリアに入るのはそのラッシュを避けてからというのがよく判ります。
時折、臨時の「銀河」が2本設定されることもありました。
よく知られる「銀河51号」は大阪行きですが、「銀河52号」は京都止まりでして、東京発は23時59分。さらに下りのみの設定で東京へは乗客を乗せない回送扱いなんでしょうか?
お復習いしますと・・・
下り銀河51号・・東京-大阪間
下り銀河52号・・東京-京都間
上り銀河51号・・大阪-品川間
上り銀河52号・・設定なし
ということになります。
いつの時代もこれで推移していたみたいですが、臨時ゆえにダイヤが変わることもあります。上り51号を東京行きにしたり、あるいは上り52号を設定してみたりと、その辺は弾力的に対応してたみたいです。
53.10改正以降は下りが「銀河51号/53号」、上りが「銀河52号」になります。
60.3改正辺りからでしょうか、臨時便の号数を50番台から80番台に変更されます。これは多分、定期特急列車の運転本数が増えて定期でも50番台が食い込んだがため、やむなく後ろにずらしたものと考えられます(号数に関して特別な記述は無し)。「銀河」もご多分に漏れず、「銀河81/82号」になりました。
その場その場の対応によるんでしょうけど、定期の「銀河」が大阪の宮原が受け持っていたのに対し、臨時便は機関車が東京機関区、客車が品川客車区の配置車をそれぞれ充当していました。画像もおそらくそうだと思います。ただ、牽引機関車がEF58からEF65PFに変わった時、臨時便は東京の機関車を使ったのか、あるいは宮原の機関車を使ったのかは不明です。管轄が東京南であれば、EF65PFも東京機関区配置機なんですけどね。
「金星」の時も申したように、私は臨時列車、とりわけ臨時特急や臨時急行が好物。「○○51号」という表示を見るとコーフンしたとその時お伝えしました。もう一つコーフンの材料になったのが発車が23時台というもの。特に理由は無いんですが、時刻表とかで23時50分台に発車する列車を見つけると、ムラムラしましたね。だからといって、東武の「スノパル2350」はその対象外になります。
今も多客臨は多く設定されていると思いますが、国鉄時代のようにカオスな列車じゃないのが残念です。
【画像提供】
ひ様
【参考文献・引用】
国鉄監修・交通公社の時刻表 1978年8月号 (日本交通公社 刊)
時刻表 1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)
ウィキペディア(銀河、臨時列車)