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かつて、日本の全国津々浦々で陸上交通を支えてきた日本国有鉄道、国鉄が分割民営化されてから35年以上が経ち、2年後の2027年には早くも40年が経とうとしています。民営化後に設立された旅客会社6社と貨物会社1社、これに加えて座席指定券の予約販売など「みどりの窓口」に設置されている「マルス」などを扱う情報システム会社、鉄道電話を中心に電気通信事業を扱う通信会社、そして鉄道技術研究所と鉄道労働科学研究所を継承した鉄道総研の8社1法人が設立されましたが、これだけの年月が経ったことで、それぞれの会社や法人を取り巻く状況は大きく変化し、会社自身も変化と進化を遂げてきました。
特に本州三社と呼ばれた東日本と東海、そして西日本は早いうちに株式の公開により完全民営化が実施され、それぞれの経営基盤に立った経営方針を打ち出し、かつて「同じ釜の飯を食った』とは思えないほど、独自の道を歩んでいます。また、三島会社と呼ばれた北海道と四国、そして九州のうち、九州会社はその経営努力などによって株式の公開に漕ぎ着け、現在では本州三社と肩を並べるほどの上場企業へと成長しました。
その一方で、北海道と四国、そして貨物会社は今なお政府が全株式を保有する特殊法人として残っています。これら三島会社と貨物会社は分割民営化前から経営基盤が非常に脆弱で、新会社設立後も厳しい経営状態が続くことを予想されていて、実際に北海道と四国は沿線の過疎化や少子高齢化などの社会情勢の変化によって、非常に厳しい状態になっていることはご承知のところでしょう。
これら国鉄を分割して発足したJR各社は、設立時は国鉄が設計製造し、運用していた車両を引き継いで事業を継続しました。大都市圏では新型車両を優先的に投入してきたこともあって、一般的になりつつあったステンレス車両である205系や211系といった電車が継承されました。しかし、利用者が少なく輸送量の少ないローカル線は非電化のままであり、多くが老朽化の進む気動車が使われていたこともあって、新会社もこれを継承せざるを得ないという実態がありました。
いずれ近い将来に老朽化による代替えが必要な車両を継承させなければならないことや、これを引き継いだ新会社の経営基盤が弱く、新型車両を製造するには財政面でも負担が大きいことなどから、できる限り国鉄という公共企業体でいられる間に新型車両をつくっておき、それを新会社に引き継がせて経営の足しにさせようと、分割民営化直前に様々な車両がつくられたのでした。
とはいえ、既に国鉄の財政は破綻した状態だったので、可能な限り製造コストを軽減させつつ、中長期的にわたって使える車両を開発しました。なけなしのお金を注ぎ込み、新たに生まれる新会社のために車両を造り、経営の足しにしてもらおうとした「親心」とでもいえる、国鉄の最末期に登場した車両たちにスポットを当ててみたいと思います。
以前、当ブログでもご紹介したキハ31形気動車も、分割民営化によって設立される新会社の一つ、JR九州の経営基盤を考慮して、可能な限り発生品の再利用と安価なバス用部品、そしてやはり安価で高性能な民生用エンジンを多用して新製した。実際、JR九州に継承されたキハ31形は、製造から32年に渡って使い続けられ、より効率性と省エネ性に優れる後継車にその役割を譲り、2019年に全車が退役していった。(キハ31 3〔北チク〕 小倉駅 2007年10月9日 筆者撮影)
《次回へつづく》
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