こんにちは
引き続き、大和路線で活躍した201系を振り返ってみます。
前回記事では2010年ごろまでを振り返りました。
この頃になると撮影回数が少し減ってしまい、変化のあった時期が少し曖昧です。
誤りがありましたらご容赦ください。
大和路線、おおさか東線で活躍していた201系に、ここで大きな変化が見られます。
2013年1月
行先表示器がLED化されました。
環状線で2012年12月から導入されていたものがこちらにも登場。
当初は路線記号もなく、英字表記もないシンプルな表示でした。
「大和路線」「おおさか東線」などの路線表記がある場合、横一列となり文字が小さくなっていました。
視認性は何とも…。
交換された行先LED表示、これが曲者で、普通に写真を撮っているとまぁ綺麗に写りません。
シャッタースピードを1/60まで落としてなんとか、といったところ…。
2013年3月
おおさか東線が開業5周年。
記念ヘッドマークが取り付けられました。
さて、この頃からカメラを向ける回数が少し減ってしまいます。
理由はというと…。
走行写真を普通に撮ると、行先が全く写りません。
一つ前の写真の行先が真っ黒なのもそう。
無理矢理流し撮りをすれば撮れなくもないかもしれませんが…そこまでやるかと言われると…。
とはいえ、回数は減っても撮ることは撮ります。
快速列車は種別が枠で囲われた特徴的な表示でした。
5087レで到着したEF65の百済貨物駅入換シーンと、通過する201系
どちらも好きな車両でしたが、どちらもこの場所では見れなくなってしまいました。
2017年(春ごろ)
4月~5月ごろかと思いますが、行先LEDに路線記号表記が追加されました。
末期まで続く、見慣れた表示はこの頃からです。
(上の写真は別時期の撮影です)
2017年11月
環状線へ323系が本格的に投入されはじめると、押し出しにより森ノ宮の201系が奈良に転属してくるようになります。
最終的に6編成が転属、201系は全22編成の陣容となりました。
やってきた201系に押し出されて、2018年の1月には大和路線の103系6両編成が引退。
大和路線を走る黄緑色の列車は全て201系に統一されました。
2018年11月
おおさか東線の新大阪延伸を控え、試運転列車が走り始めました。
写真はかつての梅田信号所で折り返す試運転列車。
今ではこのルートは地下線になり、駅も出来、この辺りの景色も随分変わりました。
2019年2月
おおさか東線全線開業記念と八尾市制施行70周年を記念したヘッドマークと、戸袋部へのステッカーがND614編成に掲出されました。
ヘッドマークを出すのは久しぶりで、戸袋部へのステッカー貼付けは大和路線の201系では初だったかと思います。
写真はおおさか東線開業前の鴫野駅にて。
定期列車を放出から延長運転する形で、試運転が日常的に行われていました。
2019年3月
開業を控え、側面窓、窓下にステッカーが貼り付けられました。
八尾のヘッドマーク編成といい、ただならぬ力の入れようを感じました。
開業が近くなると、普段は見ることのない運行番号で列車が走り始めました。
そして3月16日
おおさか東線が全線開業。
201系が再び日常的に新大阪駅に顔を出すようになりました。
この時点で201系は、奈良在籍時代で一番多い19運用を受け持つこととなります。
放出~新大阪の延伸区間では新たな撮影地も増え、記録の幅が広がりました。
城北公園通駅南側のグネグネと曲がった線路は衝撃的でした。
2019年5月
ND611編成に、関西本線 湊町(JR難波)~柏原間開業130周年を記念したヘッドマークを取り付け。
5月12日には同編成を使用した団体列車が、JR難波~柏原間で運転されました。
201系が団体表示を出して走ることなんて滅多にないので、頑張って行先表示が写るように撮影してみました。
ちょっとブレてます。
201系は奈良に残るのみとなりました。
2019年8月
八尾ヘッドマークを取り付けていたND614編成が吹田へ入場していたのですが、検査を明けると、なんと床下機器が全て灰色になっていました。
201系の床下機器がグレーになるのはこれが初めてで、出てきた時は違和感しかありませんでした。
(写真は別時期に撮影。もうだいぶ汚れていますね)
2019年11月
東大阪市にてラグビーワールドカップが開催されることを記念し、ND612編成に公式キャラクターの描かれたヘッドマークと、ステッカーの掲出が行われました。
新大阪からおおさか東線を経由し奈良まで向かう臨時特急「まほろば」も11月から運転開始
車両は違えど9年ぶりに名称が復活しました。
この時は、まほろばが定期列車に昇格して、専用車両が用意されることになるとは思ってもいませんでした。
今後検査を出場する201系は全て床下が灰色になるのかな…?と思ったのも束の間
部分的に灰色だったり、編成の半分だけ灰色だったりと様々なバリエーションが登場しました。
結局、全部グレー一色という編成はほとんど居なかった気がします。
2019年は東線の新大阪延伸、ヘッドマーク掲出列車、床下機器のグレー化など、話題が尽きない一年でした。
ところが翌年2020年、公式が201系の置き換えに言及します。
引退は2024年度と。
そして特に運用が減った訳でもなく、突然1編成が廃車になりました。
ND603編成、201-67 奈良から最初の廃車でした。
引退が目に見えると、日常的な風景も記録していかないとな、という気になります。
2021年9月
一部の201系が221系に変ります。というポスターが駅に貼られます。
いよいよ置き換わるんだな、という実感が沸いてきます。
その一方で…
同じく9月、ND607編成が出場。
床下は黒とグレーが混在した形態であるものの、こんなに綺麗な201系は最後かも…と思い何度か撮影に。
難波・新大阪方の先頭に貼っている車番の91が、営業開始時点で9が剥がれ1となっており少し話題になりました。
元から貼っていなかったのか、剥がれたのか…真相はいかに。
結果的に、この編成が201系の最終出場となりました。
2021年10月
予告通り
201系の一部運用が221系に置き換えられました。
運用を離脱した201系は、写真のように宮原や、向日町、森ノ宮へ疎開され、一部の編成は廃車されました。
(写真は別時期に撮影)
2022年3月
一時期19運用あった201系も、この改正では僅か7運用にまで減ってしまいました。
このとき和歌山線・桜井線での定期運用が終了。
この頃から、各地に疎開された編成が奈良に戻って検査を受けたり、運用入りしている編成と疎開している編成が適宜入れ替わるようになります。
廃車にせず疎開させ休車することで、なんとか活躍期間を延ばしていたんだと思います。
2022年から、有料のツアー形式での吹田総合車両所公開イベントが始まります。
見ることが出来るラインナップは毎回異なるものの、廃車前の201系も何度か登場。
うち数回では電源を入れた状態で展示され、ヘッドライト、行先表示が点灯した状態を見ることができました。
参加者リクエストで行先表示の切り替えができ、写真では「みやこ路快速 京都」を表示しています。
相変わらず見にくいLEDですが…。
2023年の3月には梅田貨物線を旅客化し、おおさか東線が大阪駅まで延伸。
それまで207系・321系で運転されていた直通快速も221系に変わり、おおさか東線を走る列車は全て221系に統一されました。
2024年3月
予告されていた時期が迫るダイヤ改正で、運用数が3にまで減少。
うち1運用は朝夕のラッシュ時間のみの運用であり、日中に走る201系を見れるのは僅か2運用のみとなってしまいました。
長らく続いた4ドア車による大和路線の快速運用も終了です。
全盛期のことを思うと、今更あまり写真を撮る気にもなれず…。
一方で駅や沿線には撮り鉄の姿を多く見かけるようになってきました。
王寺駅の201系のイラストが描かれた倉庫の存在もネットに上がっていた写真を見て知ったのでした。
これっていつからありましたっけ…?
2025年1月
迎えた2025年。
1月下旬から、ND606編成に「合格祈願」のヘッドマークが取り付けられました。
久しぶりのヘッドマーク掲出。最後の装飾ですね。
そして
2025年3月
ダイヤ改正を控えた数日前から、徐々に221系への置き換えが進みます。
3月14日
朝の列車を以って201系の大和路線での運用が終了。
その最後の列車の様子は、少し前の投稿に。
2006年12月のデビューから約18年3ヶ月
201系は大和路線での活躍を終了しました。
201系の歴史では半分にも満たない年数ではありますが、大和路線に限った話では最初から最後まで活躍を見届けたというのは、なかなか感慨深いものがあります。
だとすると環状線もそれなりに思い入れはあるわけですが、その時はこのように活躍を振り返って、それを文字に書き起こすことがなかったので…。
また機会があれば、今度は環状線も振り返ってみましょうか。
なんとなく写真を眺めているのと、文字に起こす前提で写真を見返すのはやっぱり違いますね。
時系列で追うことでいろんな思い出も蘇りました。
大変でしたが、良い気付きでした。
まだ書き足りないことはありますが、文章が纏まらないのでここまでにします。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。