【注】「大井川鐵道のダイヤ改正」の【余談】を分離し、改編を加えました。元記事の「コメント一覧」と照らし合わせてご一読ください。
私はブログを始めて11年目に突入しました。その矢先、過去を振り返っても前例がないほど、非礼極まりないコメントを上記の記事に付けられました。本来は即刻削除すべきですが、見せしめにするため敢えて承認し、それを全否定するにふさわしい返信を送りつけました。
かつ、書き込みをブロックする設定にしたところ、「関西のある中学校の鉄道旅好きの集まり」と称する別アカウントから改めてコメントが届きました。その内容は謝罪半ば、自己弁護半ばと言いたいところですが、よくよく読めば、謝罪しているのは「運転士」の問題に関してだけです。
そもそも、この者は読解力が致命的に欠如しています。以下、私が大井川鐵道に送った質問内容に対するコメントの一部を引用し説明します。
>(1)現状の機関車の向きは調べればわかりますよね。
この質問が(2)の導入部であることを理解していません。
>(2)(3)(4)あと1ヶ月もしないうちにわかりますからもう少し待ちましょう。
前もって知ろうとすることがなぜ問題なのでしょうか。逆にこの指摘が、「お問い合わせフォーム」を用意している大井川鐵道に対して失礼であることに気付いていません。
>(5)金谷駅へのSL列車の乗り入れは、最近も何度か電車が故障等で不足した際に代走として行われています。これも、調べれば出てきます。
非常事態において乗り入れとドアカットを行うことはあるでしょう。私が知りたいのはあくまでも、通常時において通達の適用外になっているか否かです。
>鳥塚社長が「列車ご乗車に必要な情報ではなく、撮影等に関しての情報とお見受けされる部分がございます」とおっしゃっている、まさにその通りです。
先方にそういう印象を与えたのは事実だとしても、私の目的が撮影でなくブログの執筆であることは、この者にも理解できるはずです。ちなみに、記事を投稿する前の段階で、鳥塚社長にはお礼を兼ねて、私の意図を説明するメールを返信してあります。
記事に対する賛否はあって当然ですが、少なくとも私が私なりに大井川鐵道のためを思ってこの記事を書いていることは、最低限の国語力があれば読み取れるはずです。ましてや、鳥塚社長を侮辱するつもりなど毛頭ありません。曲解するにも程があります。
さらに、著名人である鳥塚氏に媚びる一方、「乗り鉄」の立場から「撮り鉄」にマウントを取っているのも気に障ります。非常識な撮り鉄の迷惑行為をたびたび報じるマスコミの尻馬に乗っているのでしょうが、該当する輩は一部に限られます。
この態度は、大多数の節度ある撮り鉄の方々に対して無礼千万です。逆に乗り鉄の中にも、好きな座席を確保するため列に割り込んだり、隣に荷物を置いて他人を遠ざけたりする者が一定数存在します。要はマナーをわきまえているかどうかの違いであり、撮るか乗るかの問題ではありません。
それでもなお、この者は思うでしょう。「我々旅好きの乗り鉄は、対価として運賃や料金を支払っている。しかし撮り鉄は自動車で撮影に来てそのまま帰ることが多く、鉄道会社にも地域社会にも何ら貢献していない。だから乗り鉄のほうが偉い」
この者のコメントは「大井川鐵道を毎年5回ほど旅させていただいる者です」から始まります。ここに乗り鉄としての驕りを見出しても、決して深読みではないでしょう。
乗り鉄も撮り鉄もあくまで「趣味」だということを忘れているから、こういう勘違いに陥るのです。乗りたいから乗り、撮りたいから撮るのが自然な姿勢です。対価云々という発想自体がおかしいのであり、貢献の義務など本来ありません。
また、撮影には相応の機材が必要ですから、運搬上自動車を使わざるを得ない面があります。被写体がローカル線の場合は本数が少なく、移動手段としての制約が大きいという問題も無視できません。もっと言えば、列車内に機材を積み込んだら積み込んだで「他の乗客の邪魔になる」とケチをつけるに違いないのです。
このコメントを付けた者は中学生ですが、関西在住で大井川鐵道を毎年5回利用するのは多いと言えます。かつ、旅好きを自認する以上、他の鉄道にも頻繁に乗車しているはずです。この年頃にしては裕福な部類に属すると考えて差し支えないでしょう。
加えて「ある中学校の鉄道旅好きの集まり」と名乗るからには、何らかのクラブやサークル、同好会などに所属していると思われます。ただ、通常の公立の中学校にそうした団体があるという話は、まず聞きません。
よって、この「ある中学校」は十中八九私立です。これは、上記の「裕福」という観測とも一致します。
しかも、所在地が関西であることをわざわざ明かしています。その中で「鉄道研究部」「交通研究部」「鉄道研究同好会」などが存在する中学校は限られています。個人情報を隠したい一方で、自己顕示欲を抑えられない青さが垣間見えます。
もはや校名を特定するのは時間の問題であり、すでに候補を絞って目星を付けてあります。今後、この者がどちらのアカウントで記事を投稿しようと、それは校名をより明確にする役にしか立ちません。
さらに、(読みたくもありませんが)過去の記事をことごとくチェックすれば、この者がどこの学校に属しているかなど、外部の手を借りずとも暴けるでしょう。しかし、それを隠すために投稿済みの記事を改変するのは、この者のプライドが許しません。前述の「青さ」に縛られるからです。
たとえそれを克服できても、「集まり」の他のメンバーの記事にまで手を加えることはできないでしょう。その中に、例えば「帰宅のついでにちょっと乗り鉄」といった主旨の記事が含まれていたら、もう決まりです。
別の角度から言います。仮に他のメンバーがこの者を庇うため、校名の特定につながる記述や写真、動画を削除しても徒労です。他の中学校には、そんなことをする動機がないからです。
よって、地元の情報が不自然に欠けている中学校が、この者の隠れ家だと消去法的に炙り出せます。空間軸と時間軸の双方において、逃げ道は存在しないのです。
もちろん、団体自体を否定しようなどとは思っていません。その自浄作用に期待するだけです。仮にこの者が「ある中学校の集まり」を牛耳っているとしても、私立校はほぼ例外なく中高一貫です。高校生に一喝してもらえば解決します。
話を「乗り鉄としての驕り」に戻します。大井川鐵道を年に5回利用しているから何だと言うのでしょうか。旅行者としては多くても、たかがその程度で鉄道事業の収入の足しになると考えるなどは、いかに大井川鐵道の経営環境が厳しいといえども、それこそ非礼というものです。暇を持て余しているのなら、具体的な増客策の一つでも提案したほうが、よほど貢献できるでしょう。
即ち、この者は私だけはでなく、法人としての大井川鐵道、鳥塚社長や全ての社員の方々、そして撮り鉄をも侮辱しているのです。こういうケースも少年法の保護対象になるのかどうかは、寡聞にして知りません。ただ、人間として最低限の礼儀を備えていないのは明白であるため、「出禁」の処分を下しました。水面で戯れる雑魚に、百尺下の水の心を知ることはできません。
いつになった追撃を止めるのか? "Until the bitter end" と言いたいところですが、私は「死ねば誰でも仏になる」という、日本特有の大乗仏教の思想を好みません。以前の記事では逆のことを言いましたが、あれはあくまでも例外中の例外です。よって、終わりなどはありません。それどころか、過去に遡って、初めから存在しなかったように改変することも辞さないつもりです。