それは阪神淡路大震災から2ヶ月くらいたったあの日。
テレビを付けたら朝ラッシュの都心の地下鉄の電車の中にサリンが撒かれ、日本中が騒然としたことを。
テレビに写し出された光景は駅に倒れ込む人たち。
救急車が地下鉄の駅に殺到している。
もう何が起こったのか分からなかった。
母親が仕事で千代田線の電車に乗っていた。
1本後で事件が起こったという。
その後この事件がオウム真理教という宗教団体が起こした事件だったということを知った。
当時オウム真理教と言えば国会議員の選挙などにも参加したり、色々なバラエティー番組にも出たりしていた。
しょこしょこしょーこーなんて歌を歌っていた。
それがそんな恐ろしい事件を起こしたと聞いてすごいびっくりしたことを覚えている。
そしてその数日後山梨県の富士山麓、上九一色村にあるオウム真理教の施設に警察のメスが入った。
捜査員がガスマスクに鳥籠に入ったカナリアを持って入る姿が印象的だった。
駅のゴミ箱がテロ対策として撤去されてすごく不便だった事を思い出した。
こんな事件が起きたせいか、うちのまわりではカリスマ性のある変わった人に尊師というあだ名を付けたり、ポアという言葉が流行ったりした。
今ではとても恐ろしいことだ。
でもその後の世界中のテロ事件を見て、地下鉄サリン事件が世界に与えた衝撃は凄まじかったと今でもすごく痛感する。
しかも教団は麻原や実行犯こそ死刑になったものの、今でもア○フとして継続していることに恐怖を感じる。
あれから30年。
あの事件の事は今でも忘れられない。
今でも昨日のように感じる。
そういえば爆笑問題の太田さんが、今後歴史のテストでこの事件の年表を覚えるとき、人食い急行(1995)地下鉄サリンだと言っていた事を思い出した。
そんな気持ちになった春分の日だった。