《前回からのつづき》
2012年3月17日のダイヤ改正をもって、登場から20年を経た20000形RSE車と371系は、「あさぎり」をはじめとしたロマンスカーとしての定期運用から退いていき、その座を60000形MSE車に譲りました。そして、最後まで残存していた第2編成が2013年11月に廃車・除籍されたことで、20000形RSE車は小田急から形式消滅したのです。
JR東海の371系も、2012年3月17日のダイヤ改正をもって「あさぎり」の定期運用から離脱、その後は波動用として様々な臨時列車の運用に充てられました。東海道本線から御殿場線に乗り入れる列車が中心でしたが、中央西線にも乗り入れた実績もありました。しかし371系も、2014年11月30日に運転された「御殿場線80周年」キャンペーンに合せた急行「御殿場線80周年371」号をを最後に、波動用も含めたすべての運用から退き廃車、371系は廃系列となりました。
バブル期から21世紀初頭にかけて、「あさぎり」を支えてきた両雄といっても過言でない20000形RSE車と371系から60000形MSE車への交代は、単なる車両の置き換えに留まらず、「あさぎり」自体が大きな変化をするものだったのです。
特急「あさぎり」の3代目として登場した60000形MSE車は、本来は小田急の歴代ロマンスカーとしては初の試みとなる地下鉄直通用としての仕様で開発された。これによって、小田急ロマンスカーは都心部にも乗り入れるようになり、より多くの需要を取り込むことを目ざした。一方「あさぎり」としても御殿場線に乗り入れるが、再び小田急からの片乗り入れとなるなど、需要と社会情勢の変化によって変わっていき、列車名も伝統ある「あさぎり」から「ふじさん」に変えられた。(小田急60000形MSE車 読売ランド前ー百合ヶ丘 筆者撮影)
2013年3月17日に行われたダイヤ改正は、「あさぎり」にとってその歴史で最大級の変化をもたらしたものでした。
「あさぎり」に充てられる車両は、それまで小田急とJR東海の両社から乗り入れてくる「相互乗り入れ」でしたが、この改正では小田急の60000形MSE車だけになりました。すなわち、JR東海からは「あさぎり」に充てる車両はなくなり、3000形SE車時代と同じ片乗り入れへと戻ったのです。
さらに、「あさぎり」の運転区間も、1991年3月16日の改正で沼津駅まで延長されたのが、2013年3月17日の改正では御殿場駅まで短縮されました。言い換えれば、3000形SE車時代とまったく同じ運用に戻されたのでした。
また、それまで4往復運転されていたのを、3往復に減便されてしまいました。やはり、景気低迷が長引いていることや、マイカーへの移行も進んだこともあり、利用客が減少していたことの現れだともいえます。
加えて、最も大きな変化は、長年親しまれてきた「あさぎり」の愛称が消滅したことでしょう。気動車時代の「朝霧」に始まり、3000形SE車に変わるとともに「朝霧」からひらがな表記の「あさぎり」へと改められ、以来、小田急線―御殿場線直通列車の愛称として、54年の長きに渡る伝統ある列車名も変えられたのです。
2018年のダイヤ改正で、「あさぎり」は「ふじさん」という愛称に替わりました。東京都心から富士山南麓を結ぶ列車として、特に観光輸送を重点に置いた列車の愛称としては、かなりストレートなものだといえます。
これは筆者の個人的な意見であり、誤解を恐れずにいえば、なんともセンスのない列車名だと感じたものです。これ以外にも、最近設定された優等列車の愛称は、例えばJR東日本の「はちおうじ」や「おうめ」など、あまりにも安直というか捻りのない列車名に辟易とさせられていますが、もう少し、ほかにいい愛称っがなかったものかと考えさせられるのです。
とはいえ、インバウンドを目当てにするのであれば、かなりわかり易い愛称であることは確かだといえるでしょう。この改正で「あさぎり」から「ふじさん」に名を変えた御殿場線連絡特急は、時代とともに進化し続ける列車であるともいえます。
想定より長い期間運用せざるを得なかった3000形SE車は、富士山を横目に多くの観光客を運び続けた。富士南麓に広がる観光地などへの輸送を担い続け、いわば「あさぎり」といえばこの車両といえるほど、看板であり顔でもあったといえるだろう。(©Shellparakeet, CC0, ウィキメディア・コモンズ経由)
戦後間もない頃から構想が立てられ、1950年代に大手私鉄の列車としては異例の気動車による優等列車として運行が始められ、乗り入れ先の国鉄の事情から私鉄の乗務員が国鉄線でも乗務するという、「あさぎり」以外には名鉄の「北アルプス」ぐらいしか例のない異例の運用形態、小田急のロマンスカーの中でも「特別準急」や「連絡急行」という種別もまた、際立って異色だったといえるでしょう。いずれにしても、異色の経歴を持ちながらも、東京都心や小田急沿線から富士山南麓、さらにはそこから路線バスを経て箱根への観光輸送を担い続ける役割は、今日も変わることはないでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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