今から50年前
今年の3月10日で山陽新幹線は博多開業から50年の節目を迎えたわけであるが、もうそれだけの年月を経たことを改めて思います。
1975年…その前日私は、岡山にいました。
岡山駅で最後の特急つばめ・はとなどの特急列車を写真に収めるためでした。
当時は中学2年生、その前年に買ってもらった中古のPENTAX SPを持って親戚の鉄道好きな叔父さんに連れられて来たのでした。
連れられて来たというちょりも、叔父さんにお願いして連れてきてもらったというほうが正解でした。
初めて乗る新幹線にワクワクしながら、岡山までの道のりはアッという間でした。
そして、このショートカットのおかげで、それまで撮影が不可能だった特急列車を撮影することもできたのでした。
それは、特急「なは」であり、特急「日向」でした。
当時和歌山に住んでいたこともあり、早朝の7時台に出発する電車を撮影しようと思えば、和歌山駅を4:00に出る新宮発の夜行列車に乗るしかなかったのですが、当時中学生の子供ではそれもまかりならず、撮影したくても撮影できない…そんな日々を送っていました。
それが初めて撮影できるとあって、期待感は最高潮でしたが・・・失敗写真ばかりでしたね。
今では考えられない場所で撮影
それでも、撮影する場所に困るということはありませんでした。
ホームの罵声大会もありませんでした。
それほど、当時は撮影者もマナーがよかったのでしょうか?
いえいえ、そんなことはありません。
撮影者のマナーは今も昔もあまり褒められたものではありませんでした。
それでも、そうならなかった背景には、当時の寛容なというか、緩い時代であったからでした。
下記の写真を見てほしいのですが、明らかに駅の構内で撮影していますよね。
えーっという場所で撮影していますよね。
実際に、当時はこうした場所での撮影が許可されていたわけではありませんが、容認されていました。
(本当はだめだけど、運転に支障しなければ大目に見ましょう的な暗黙の了解)
があった時代なのでした。
このEF582号機のほうは普通にストロボ焚いていますが、乗務員は降りていますので、まぁそれは大目に見ていただくとして。
こんな風に駅のホームから降りて撮影が許されていた時代でした。
もっとも、昭和30年代の写真では余部橋梁で列車が来ない時間帯に線路の上を歩いている写真などを見ることができますので、今ではちょっと想像できない時代であったことは間違いないでしょう。
最近も撮り鉄の問題が社会問題化されることがありますが、現在の高性能なカメラや手振れ補正のレンズがあれば、昔のように三脚で固定しないといけないといったことはないと思うのですが、大きな三脚をもって場所取りしたり撮影したりする人を見かけますが、正直なんだかなぁと思ってしまうのは私だけでしょうか。