ブロ友さんの気動車区シリーズに触発され…
今回は国鉄気動車キハ35の回顧録を順に追って
概要
大都市近郊の非電化通勤路線向けとして開発され、1961年(昭和36年)から1966年(昭和41年)にかけてグループ総計で413両が製造された。関西本線を皮切りに北海道地区を除く各地の非電化路線に配属された…ウイキペディアより

昭和51(1976年)年8月5日 山陰本線 保津峡駅
昭和51年8月23日 鹿児島本線南福岡〜竹下間
元祖「ガチャ列車」4両目がキハ35ですね
昭和52年6月14日 篠栗線 城戸駅…かな(現在の城戸南蔵院前駅)
直方気動車区総出の朝ラッシュ帯ですね
昭和60年3月 香椎線 西戸崎駅
まだ機関助士の頃、貨物合理化で仕業が減り余剰員していた頃に「線見」と称して添乗していました
この翌月九州鉄道学園 動力車乗務員本科(DL.DC分科)に入園しました
キハ35-174は1965年製で私より3年後輩ですね…
香椎機関区で見習乗務の時に「仕業別要注事項」
表紙のDCは何故か…キハ90⁉️
今でもJRではダイヤ改正毎に作成していると思います。
もちろん、山陽新幹線も有りました
第12仕業は竹下気動車区泊まり
夕方送り込み回735Dは箱崎停車(待避)
早朝送り込み回721Dは博多駅〜香椎駅ノンストップでしたので各駅停車ばかりの香椎線運転士にとって優等列車気分でした吉塚、箱崎通過時ホーム蛍光灯の流れる灯火が気分良かったですね
朝ラッシュの1725Dは西戸崎駅から博多駅まで6両編成直通運転でした
各駅「客扱い」で遅れて博多駅に着いていました
天気良かったので…西戸崎に線見
キハ28+キハ35+キハ40
本務になって先頭車がキハ35は怖かった…外まで目の前1メートルも無かった様な感覚
踏切事故にでも遭えば両脚切断コース
冬場は貫通戸から冷気侵入し寒かった
それに外吊り扉の不安定だ事、走行中知らせ灯がチラチラ点滅したり
キハ35が中間車で良かった
横道に逸れました…キハ35特集でしたね、一気に時代は流れ
2014年3月9日 水島臨海鉄道 キハ30 100
部品取り車のキハ30 98
既に後部標識が抜かれていました🔴
当時キハ35を運転するのは嫌だったけれど…今となってはいい思い出です
香椎機関区での機関助士のお話はご笑覧ください