2024年 南東北ちぇりー☆とりっぷ⑦平日限定!新幹線総合車両センターPRコーナー | 風かおる 鉄の路

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主に私が乗車した乗り物関連(鉄道中心)、その他気になったことを綴っていきます。

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東北本線の支線 

おはようございます。
旅の3日目。最終日です。
 
今日は月曜日ということで、平日しか行けない場所に行ってみたいと思います!
 
ということで、仙台駅にやってきました。
 
今日乗る列車はこちら。
普通列車利府行きです。
 
701系に乗って、さあ出発です。
 
列車は東北本線を北上していきます。
 
仙台から2駅、岩切に停車。
ここから列車は東北本線の「本線」から分かれて、通称「利府支線」へと入っていきます。
 
利府支線は東北本線岩切~利府間4.2kmを結んでいます。
独立した路線名はなく、東北本線の一部として扱われています。
 
東北本線の本線から分かれた列車は単線の線路を進んでいきます。
 
やがて…
 
たくさん新幹線が並んでいる光景が目の前に広がってきました。
ここは新幹線総合車両センター。
JR東日本の新幹線車両の全般検査を一手に引き受ける拠点車両基地です。
 
列車はE5系やE3系、最新のE8系といった新幹線の主力車両が並ぶ姿を横目に先に進んでいきます。
 
新利府に停車。
新幹線総合車両センターの通勤需要のために設置された駅です。
 
新利府を過ぎると、さらに新幹線に接近!
 
新幹線を見ながら走り、列車は終点の利府に到着しました。
 
利府駅は利府支線の終着駅。
頭端式ホームになっていて、線路はぷっつり途切れています。
ですが…1962年まではこの先にも線路が伸びており、利府駅は途中駅でした。
さらに言うと、この利府支線は当時支線ではなく、本線の一部だったのです。
 
東北本線はもともと、仙台~岩切~利府~(旧)松島~品井沼~という経路で建設されました。
しかしながら利府の先には最大16.5パーミルの急勾配があり、補機の連結が必要など輸送のネックとなっていました。
そこで、勾配を緩和した新線の建設が計画され、1944年、岩切〜陸前山王〜新松島信号場(現・松島駅)~品井沼間が開業し、「海線」と呼ばれるようになりました(岩切〜陸前山王間は塩釜線からの編入)。
 
しばらくは新松島経由の海線と利府経由の山線が併存していましたが、次第に優等列車は海線経由が大半となっていき、最終的には東北本線が複線化されるにあたり海線が複線化の対象となり、山線は廃止されることとなってしまいました。 
 
1962年、山線の利府~品井沼間が廃止。
しかしながら岩切~利府間は代替交通手段が無いことから存続し、利府支線として今に残っています。
 
 
昔は青森まで伸びる路線の一部ですが、今はローカル線の様相。
ただ、利府駅の近くにある宮城県総合運動公園でイベントが開催される際は賑わうのだとか。
 
駅舎内には利府の名産品を販売する自販機。
利府町のキャラクターは「リーフちゃん」だそうです。
 
観光協会も入っているみたいですね。
 
外に出てみました。
外観はステンドグラスがが目立つおしゃれな駅でした。
 

試験車両の中へ! 

それでは、目的の場所まで歩いて向かいます。
 
やってきたのは…新幹線総合車両センターの正門!
年に1回車両基地開放イベントがあるのですが、それ以外の時期も構内にある「PRコーナー」には入れます。
ただ、開館が2022年頃から平日のみになっているようで、訪問難易度が上がってますね。
 
PRコーナーに入るには、まず門の守衛さんに声をかけて、このような見学者用バッジを受け取ります。
帰るときはまたこれを返すようになっています。
 
門をくぐると、まず現れたのは保存されている新幹線たち!
 
まずは一番手前の車両。
200系に見えますが、実はそうではなく… 
 
961形という試験車両です。 
961型は1973年に作られ、当初は東海道新幹線・山陽新幹線で試験走行を行っていました。
その後、1979年より後に東北新幹線の一部となる小山実験線に移動し試験を実施。
同年12月7日、当時の電車世界最高速度記録である319km/hを達成しています。
東海道・山陽系統と東北系統の両方を走行したのはかなり珍しく、他には軌道試験車921-1しかありません。
 
現在は200系と同じ塗装ですが、新製から廃車まで一貫して0系と同じ青白で塗られており、東北新幹線もこの色で走行していました。
緑色に塗られたのは廃車後のこと。
よく見ると、緑色の塗装がところどころ剥げていて、現役時代の青色が見えています。
青白の新幹線が東北新幹線を走っていたというのは面白いですね。
 
961形は車内にも入れます。
 
先頭車両(961-1)に入ってみると、いろいろな座席が置かれていますが…
どう見てもE5系の座席。
現役当時ここに座席はなかったそうで、これは保存時に置かれたものです。
 
お隣、961-6には長テーブルと椅子。
こちらも現役時代にはなかったものです。
 
他にも、客室入口ドアに非常口サインが設置されているなど、現役時代とはだいぶ様相が異なる車内。
 
その中にあって、比較的原型が保たれているのが運転席です。
 
乗務員室の中、一段高くなったところに運転台があり…
 
こんな感じ。
 
速度計は300km/hまで表示できるようになっています。 
 319km/h出したときは針が振り切れたのでしょうか…
 
窓は小さめですが、高い位置にあるので眺めはいいですね。 
 
961形には他に食堂車(961-3)、そして新幹線車両としては唯一の寝台車(961-4)が製作され、連結されましたが、両先頭車以外は解体されたため現存しません。
 
↓以下は当時撮影された961-4の車内。 

 

 
(山陽新幹線(岡山-博多間)技術のすべて - 小笠原忠雄 [ほか]より引用)

 

 

新幹線の広い車内を活かし、「にの字」形に寝台が配置された開放寝台の他、個室寝台や昼間用個室も試作されていたようです。

 

夜行新幹線、国鉄は実際に運行させる予定だったようで、山陽新幹線の兵庫県内の駅が多いのは夜行新幹線の行き違いを考慮したためと言われています。

 

結局騒音問題が解決できなかったことから日の目を見なかった夜行新幹線。

 

実現してたら面白かったでしょうね。

 

続きます。

 

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