「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。

今年(2025年)で、75年を迎える京阪特急。
本題の「8000系」について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示や、手元の参考文献などにも触れながら項を進めています。
さて、会場では「8000系」にまつわるさまざまなものが展示されています。Nゲージの鉄道模型はじめ、見覚えのあるものもちらほらです。



京阪電車開業100周年を記念して一般発売された「細密イラストで見る 京阪電車車両の100年」(イラスト片野正巳・京阪電気鉄道株式会社編 2011年)という書籍。ブログ主所蔵。
これに、くだんのリーフレットを復刻したものが付属していたのでした。

「WING EXPRESS」と題された表紙には、空高く羽ばたく白鳩の姿。


それでは、リーフレットの中身をみなさんと拝読することにします。世はバブル全盛期、1989(平成元)年の発行です。

京都市内は国際的な観光地であることは言うまでもありませんが、その中でも洛北、八瀬・大原・鞍馬や比叡山界隈は、自然豊かでのどかな隠れた名所でした。
従来は三条京阪や四条河原町、「京都駅(京都市下京区)」から市バスや京都バスに乗り換えるなど時間も要していたものが、これら沿線を経由する「叡山電車」の始発駅「出町柳駅(同左京区)」まで京阪電車が「鴨東線」で延伸したことで、そのアクセスは劇的に改善されました。展示より。


洛北・比叡山方面と京都市内のみならず、大阪市内中心部へも直結させた「鴨東線」。「8000系」はまさにそのシンボルでもありました。


車内の様子。2人掛けの転換式クロスシート(進行方向に座席の向きが変えられる)はゆったりとした乗り心地良いバケットシート。
車両によって座席モケットはピンク、ゴールド地に分けられるなど、豪華な設えでデザイン性にも凝ったものでした。

ところで、京阪特急で特筆されるのは、現在でも専用車両では車内広告をいっさい省略していることです。これも、落ち着いた雰囲気を醸し出すひとつとなっています。
ちなみに、先々代「1900系」と先代の「3000系(初代)」では、座席モケットは茶柄のストライプ。加えて、枕カバーの部分にのみ小さな広告枠がありました。ひと昔前のタクシーの客席を思わせるもの。余談でした。ブログ主所蔵。

この時点でもすでに40年弱の歴史を誇るものでしたが、この後「中之島線」開業(2008年10月)に合わせた塗色変更まで続けられます。


引き継き車内に戻ります。
デビュー当時、小6だったわたしにとっていちばん度肝を抜かれたのは、運転室真後ろの座席。
「3000系(初代)」と比べものにならないくらい窓は大きく広く、とかく眺めが素晴らしいことに大興奮したのをよく覚えています。

奥は「3000系(初代)」。その違いは一目瞭然ですが、この大型側面窓のおかげで、車内の雰囲気は明るいものになりました。


高校を卒業し、わたしは京阪特急で毎日京都市内の大学に通うようになったのですが、ありがたいなあと思えたのはこの座席下。
先代「3000系(初代)」と決定的に違ったのが
前の座席下(蹴り込み)ががらんどうなこと。足を延ばせて毎日通学出来たのは、実にぜいたくなことなのでした。

他にも、伝統の「テレビカー」も先代に引き続き連結(4号車)。後年になり、地上デジタル放送やBS放送にも対応出来るようになります。

テレビの右下には、個室のカード専用電話。
こちらも、この時代には国内の特急列車の類には多数設置されたものでした。

貫通扉は、ハンドルを握ると自動開閉するものを採用。これも画期的な設備でした。

運転台。京阪でははじめて「ワンハンドル方式」が採用されました。この時代では、他社でも盛んに見られたものですが、かぶりつきで運転士さんが力行・減速をひとつのハンドルでこなす姿を見るに、感嘆したのを覚えています。
結局、現在に至るまで京阪電車で「ワンハンドル方式」を採用したのはこの「8000系」のみ。その操作方は特急に乗った時しか見られない、貴重な光景でした。

内部はこのようになっているのですね。興味深いものです。

そういったことで、1989(平成元)年10月のデビューから数年間は、先代(5代目)「3000系(初代)」とともに肩を並べるというところから「8000系」の活躍ははじまりました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。