sunriseの鉄旅備忘録

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惜別 パーイチ・ナナロクを振り返る その②

前回の記事はこちら。

 

sunrise-tetsutabi.hatenablog.com

 

定期運用を終えたパーイチ・ナナロクを振り返る企画の第二弾。今回はEF81の400番台を振り返ります。

晩年の400番台は403号機、404号機、406号機の3両が運用についておりました。

それでは、各機の撮影の思い出を振り返ります。

 

◯EF81-403

こちらは吉塚駅での1枚。普段はもう少し編成が長いのですが、この日は休日だからかスッキリとまとまってくれました。403という数字のゴロが好きで、多少なりとも熱心に追っかけていた釜だったのですが、遭遇率はあまり高くなく、私はちょっと嫌われていたのかもしれませんね…

甲種などの役割につくことも滅多になかった同機。僚機の404、406よりも一足先に離脱しました。門司機関区で行われた新旧銀釜撮影会の際にはサプライズ出演していたようですが、先日行われた銀釜撮影会では姿を見せることはなかったようです。 

また、昨年の踏切事故によって大きな損傷が見られた銀釜でしたが、右側スカートは引退した403号機から移植したのだそうです。403の右スカートは縦の凹みが特徴的なので、銀釜についていても目立ちますね。

↑スカート移植後の銀釜

 

◯EF81-404

門司機関区でスノープラウがついた最後のパーイチとなってしまったのがこの404号機でした。シュッとした印象が好きな私はスノプラ大好きマンですので、こちらの釜も結構追っかけておりました。後ほど紹介しますが、色々あってローピン釜は同機しか残っていないので、最後は遭遇率もかなり高かった印象です。

門司機関区のナンバー2であった同機は甲種輸送に充当される場面もありました。

九州の甲種輸送といえば銀釜充当がほとんどなのですが、銀釜が事故で離脱していたこの時期は404号機が充当されておりました。でも、もうパーイチ牽引の甲種輸送を見ることはないでしょう。   JR九州が来年度もう一機DD200を導入してくれれば良いのですがね…

 

先日行われた銀釜撮影会でサプライズ出演した同機。ホーンが全検出場時の赤に戻されておりました。この写真を撮ったときは、撮影会から一週間ほど経っていたので、すこーし擦れてはいますが連結器、スノープラウは黒く塗り直されているのが分かります。門司機関区の方々の丁寧なお仕事の賜物です。

ファンサービスで両パンあげて下さることもしばしば。

回転灯を抜ききらなかったのは少し残念ですが、これは高さの問題なんでしゃーなし。

これを撮影した次の運転の際には元通り黄色ホーンになっていました。滑り込みセーフでしたね。

色々と思い出深い404号機でした。同機は最後まで残るでしょうから、もう少し撮影の機会があるかな…

 

◯EF81-406

こちらも遭遇率はそこまで高くなかった印象でした…

ちょこちょこ故障する印象の同機でしたが、もう本線上で姿を見ることはできません。

というのも…

www.sankei.com

この事故の当該機が406号機でして、台車を含めいろんな部分がおかしくなっていたそうです。結局、門司機関区への回送もままならず現在も川内貨物駅に留置されているようです。

 

これが事故の一週間ほど前?に撮影した、私にとって406号機の最後の記録でした。

このときは、まさか同機がこんな最期を迎えるとは思っていませんでしたが、現実は非常に残酷なのであります。

車輪削正のために福岡タを訪れたときは、缶付きの姿を間近に捉えることができました。

車両の背景に映っている、機関庫の換気扇?とともにノスタルジーな感じを演出しています。

当時は交通安全運動のタイアップHMがついていましたが、車輪削正は1週間くらいで終わってしまうので天気と睨めっこしながら早く撮りに行かないとっ、てな感じで焦っていた記憶がありますね…  土日は削正作業はお休みなのですが、関係者の方々が撮影しやすい位置まで機関車を引き出して下さるので、確実に撮影することができていました。

このような配慮をして下さった関係者の方々に、この場を借りて改めて関係者の皆様には御礼申し上げます。

九州の貨物輸送を支えたローズピンクたち。定期運行、お疲れ様でした。

 

次回は450番台を振り返ります。