転轍器

古き良き時代の鉄道情景

サロ455

 何気に撮った基地の風景は模型レイアウトセクションのプロトタイプになりそうな構図だ。検査か編成の組換えだろうか、サロ455だけが置かれている。中間車の妻面を見る機会はあまり無く、貫通扉のガラス面に「グリーン車」標記が施されているのを改めて意識する。 大分電車区 S53(1978)/11

 サロ455の後位側は回送運転台の窓が付いて独特な妻面となっている。窓下に取付けられた掛け金具は「回送」や「試運転」の表示板を掲出するのに使われるらしい。窓回りクリーム色の帯は妻面まで巻かれているのがわかる。基本編成7連のうち、クハ+モハ+クモハの3連が分離されてこの顔が現れ、良いタイミングに出会っている。この時サハシ455はまだ編成に組込まれている。 大分電車区 S52(1977)/8

 小倉発宮崎行“日南3号”に組まれたサロ455-8〔分オイ〕。 509M 日豊本線今津~天津 S53(1978)/8/29

 昭和53(1978)年10月改正で457・475系はサハシ455が離脱し基本編成6連となった。サロ455の屋根上はAU12角形クーラーとベンチレーター、回送運転台側のヘッドライトがよくわかる。 507M“日南7号”  日豊本線東別府~西大分 S55(1980)/8/3

 大分の457・475系は昭和48(1973)年10月改正で付属編成が、昭和50(1975)年3月改正で基本編成が配置されて九州内の急行列車に運用された。基本編成は下り向←クハ455+モハ474+クモハ475+サロ455+モハ474+クモハ475の6連、付属編成はクハ455+モハ474+クモハ475の3連であった。 5509M“ゆのか9号” 日豊本線東別府~西大分 S55(1980)/9/15

 急行列車と思いきや、よく見ると号車札は入っているが愛称札は外されている。別府~大分間は457・475系急行編成の間合いで普通列車が数往復設定されていた。サロ455は「GREEN CAR」マークは付いているが淡緑色の帯は消されている。 2543M 日豊本線東別府~西大分 S55(1980)/9/23

 大分に在籍したサロ455は延べ22輛で、昭和50(1975)年3月初配置の際は門ミフ南福岡から7輛、鹿カコ鹿児島から10輛の17輛(4~14、18~20、42~44)であった。色掛け部分は九州外からの転属で何れも昭和53(1978)年3月以降に金サワ金沢から2輛、仙セン仙台から3輛が加わっている。以後の動きは手持ちの趣味誌で把握できたものだけを拾っている。昭和57(1982)年11月の急行運用の廃止で鹿児島への南進が始まる。昭和59(1984)年2月改正以降、普通列車の短編成化による先頭車の必要からサロ455の先頭車化改造が行われクハ455 600番台が誕生している(サロ455改造5輛/サロ165改造6輛)。

 宮崎発大分行普通列車に457・475系が使われている。従来の時刻表はグリーン車連結の普通列車グリーン車マークが掲載されていたので、改めて昭和59(1984)年3月号を開いてみるともう使われていなかった。 2532M 日豊本線下ノ江 S59(1984)/4/13

 クハ455 600番台はサロ455改造車が601~605、サロ165改造車が606~611と付番されている。遠目からはサロ455の成れの果てと思っていた。改めて画像を拡大するとナンバーはクハ455-610と読め、今になって元サロ455ではない事に気づく。 日豊本線高城~鶴崎 S63(1988)/5