機 番:106号機
新 製:昭和31年9月18日
製 造:東芝
製造番号:東芝No.302300-4
新製配置:東京機関区
最終配置:宇都宮運転所
廃 車:昭和58年12月6日
【廃車時の形態】
パンタグラフ:PS14
前照灯:原型(ハチマキ状ケース無し)
尾灯:原型内バメ式
正面窓:小型+Hゴム支持
Hゴム色:黒色
正面ヒサシ:大型
デフロスタ:あり
正面飾り帯継ぎ目:タイプ〈
列車電話:無し
電源車制御装置:無し
元空気ダメ引き通し管:無し
スノープラウ:固定式
ステップ:前端梁側面取り付けタイプ
汽笛カバー:大型
常磐線用列車無線:無し
側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ
側面エアフィルター:原型縦縞タイプ
側面ナンバープレート:板状タイプ
暖房装置:EG
【改造履歴(抜粋)】
昭和32年11月 5日~:丙修繕(施工は浜松工場で同年11月11日に出場)
SG煙突の改造。
昭和34年 3月30日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年4月8日に出場)
車警(A)の取り付け。
昭和37年 2月 2日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年2月9日に出場)
側面ハシゴを切り欠きタイプに改造。
前面に手すりと足台を取り付け。
昭和43年12月23日 :出張臨時検修(施工は大宮工場)
デフロスタの取り付け。
昭和44年 9月 4日~:中間検査B(施工は大宮工場で同年9月17日に出場)
デフロスタの位置を変更。
昭和46年 9月 8日~:全般検査(施工は大宮工場で同年9月20日に出場)
電気式速度計の取り付け。
避雷器をLA15に取り替え。
ワイパーをWP35に取り替え。
昭和48年 8月 7日~:要部検査(施工は大宮工場で同年10月9日に出場)
スノープラウの取り付け。
昭和50年 9月11日~:全般検査(施工は大宮工場で同年9月29日に出場)
暖房装置を電気式に改造。
ワイパーをWP50に取り替え(2基)。
昭和54年10月24日~:全般検査(施工は大宮工場で同年11月6日に出場)
側面扉をFRPに改造。
【転配履歴】
昭和41年 7月31日:宇都宮運転所に貸し出し
昭和41年 8月20日:東京機関区に返還
昭和42年 7月31日:宇都宮運転所に貸し出し
昭和42年 8月20日:東京機関区に返還
昭和42年12月30日:宇都宮運転所に貸し出し
昭和43年 1月 7日:東京機関区に返還
昭和43年10月 2日:長岡運転所
昭和54年11月 8日:宇都宮運転所
昭和57年 2月 7日:高崎第二機関区に貸し出し
昭和57年 8月 3日:宇都宮運転所に返還
第7次増備車として製造された106号機は、この時期にしては珍しいPS14を搭載しての落成になります。
昭和40年代に入ると、多客時を中心に宇都宮への貸し出しが多くなりますが、その前から大型のヒサシ(氷柱切り)を取り付けており、昭和43年に長岡に転属になると、東北本線、高崎線、上越線での運用を考慮して段階的に寒冷地仕様に変貌を遂げます。
昭和54年に晴れて(?)宇都宮に転配されますが、重装備は変わらず、東北本線で荷物列車を黙々と牽引していました。
貴重な茶色時代の106号機。決して89号機ではありません。(笑)
撮影は広島駅だそうです。
20系化された「はやぶさ」を牽引しているので、昭和34年からEF60に置き換わる昭和37~38年頃にかけての撮影ではないかと思われますが、20系牽引については色々と制約があるので牽引機は限定されて、それに伴って外板塗色もいわゆる「ブルトレ色」に変更されてます。106号機はそれの対象になりませんでしたが、20系牽引用の塗色変更は昭和35年から始まっているので、撮影時期は狭まります。
(画像提供:ウ様)
昭和57年2月13日、五反田駅にて。
打って変わって晩年の106号機です。
既に前面窓のHゴム化、暖房装置のEG化、デッキガーダーで隠れて見えませんがスノープラウを取り付けています。
牽引されるスロ81系和式客車ですが、画像裏面に編成が記録されていて、照らし合わせれば長野鉄道管理局の車両であることが判りました。この何年か後に12系改造の「白樺」が登場して置き換わっているので、長野局のスロ81にとっても晩年の姿になります。
東急池上線の旧形車両も懐かしいです。
(画像提供:マ様)