「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪れる〜その21 | ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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趣味の鉄道の話題を中心に、お出かけ記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。



「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。


今年(2025年)で、京阪特急の誕生から75年。本題の「8000系」について取り上げる前に、その歴史について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示や、手元の参考文献などにも触れながら項を進めています。


さてここまで、75年にも及ぶ長い歴史を誇る「京阪特急」のフラッグシップを担った専用車両たちについて取り上げて来ました。

京阪特急としては初の新造車両「1700系」。1951(昭和26)年デビュー。


国内随一の高性能車両として、さらに京阪特急名物の「テレビカー」をはじめて連結した「1800系」。1953(昭和28)年デビュー。


明治の開業以来、京阪の悲願だった淀屋橋へ地下線での延伸に合わせて登場。乗り心地が良い空気バネ台車を装備した「1900系(右下)」。1963(昭和38)年デビュー。


伝統の「テレビカー」はカラーテレビに、全車冷房を完備し、豪華な転換式クロスシートで人気を博した「3000系(初代)」。

1971(昭和46)年デビュー。ここまで出典①。


「3000系(初代)」からバトンを受ける形で、1989(平成元)年にデビューしたのが「8000系」。現在、京阪特急の6代目専用車両として活躍を続けています。

ようやく、今回の展示の主題である「8000系」にたどり着きました。


「8000系」は1編成7両と、先代の5代目特急専用車両「3000系(初代)」に組み込むための中間車5両、合計12両がその1989(平成元)年10月にまずデビューします。出町柳にて。

以来、平成・令和の現在に至る30年あまりの間さまざまな進化を遂げて来ました。
現在は10編成、80両の陣容となっています。



昨年からは「2025年大阪・関西万博」ラッピング編成も登場。公式キャラクター「ミャクミャク」のヘッドマークを掲げているのが目を惹きます。京橋にて。


個人的には、デビューからもうそんなに経つのかと感慨に耽ってしまうのですが、先日の「3000系(初代)」の記事に引き続き、ここからは手元の京阪電車広報誌「くらしの中の京阪」から拾ってみたいと思います。


1989(平成元)年9月号より、木津川橋梁を渡る試運転中の「8000系」。

モノクロでも新車の美しさがわかりますが、これは貴重なショット。読者が撮影したものをこの当時は表紙写真に採用していました。
よくうまいこと撮られたなあと感心します。


中面から。


トップ記事は「鴨東線(おうとうせん)開業」について。同年、10月5日に「三条〜出町柳間(2.3km)」の開業が決定と触れられています。


これに合わせて大幅なダイヤ改正が同時に実施され、くだんの「8000系」が新特急車両として12両(うち7両1編成、残り中間車5両は先代の「3000系(初代)」に組み込まれ、6→7両編成化される)登場。



そう、主題の「8000系」は「鴨東線」開業に合わせてデビューした、平成初の京阪特急専用車両なのでした。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 2011年3月発行)