今日はKATOオハネ25の話です。24系寝台特急”はくつる”に連結する予定の銀帯車、実車写真もUpしますが全車金帯だった訳ではありません。余っている100番台銀帯の車体を使えばいいやと思っていたんですが、在籍が無かったことに気付いて😅改造で0番台を再現することにしました。
いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。
EF81 98が牽引(予定)の24系寝台特急”はくつる”です。余剰車を活用して再現しようと色々やっています。’94年に金帯”あさかぜ”編成を転用して客車”はくつる”が誕生したんですが..
全てが金帯車だった訳では無い が実車写真から確認できます。この写真からは1両目の電源車に加え,2,7両目が銀帯だったことが分かります。
1995/05 東北本線 小湊-西平内 11レ EF81 98牽引(模型と同じ😁)
この写真はカニが白帯、続く2両目が銀帯、後方の10,12両目も大窓なので白または銀帯だったことが分かります。客車”はくつる”は12両編成で夜行1往復だったので所要2編成、電源車とA寝台を除く10両×2が必要ですが、’94年のあさかぜ編成から盛アオに転属したのは丁度20両、予備無しの数だったんです😲。なので既存の銀、白帯車が混ざっていた..私の撮影した範囲ではオール金帯で揃った編成は皆無でした。
1995/9 東北本線 苫米地-北高岩 11レ EF81 133牽引
なので銀、白帯を数両混ぜたいと考えました。24系”はくつる”を組成しようと思ったのは写真の”ホワイトスノー安比”予備編成を活用しようが発端です。以下記事↓で一旦銀帯を金帯に置換えたので、余った銀帯ボディーを使えばいいや と思っていたんですが、写真の2両は寝台側小窓の100番台でした。一方実車はというと、盛アオのオハネ100番台は”あさかぜ”由来の転属車ばかりで全部金帯、銀帯は0番台しか居なかっただろう、に気付きました😲。
現状床下,台車パーツが足りないんですが、既に銀帯100番台ボディーを活用しようと発注してしまっているので😲、寝台側の小窓を拡張して0番台化改造をやろう というコトになりました。KATOのNゲージ製品に0番台の設定が(多分)無いからです😞。写真上は酔った勢いで手を付けちゃって😅ちょっと拡張し過ぎた部分がありますが、酔っ払い作業の割にまーまーの出来だったので行けるかな?でした😁。今回写真下、オハネ25 156の窓を0番台仕様に拡張します。シラフであってもフリーハンドでは失敗するような気がしたので、ここまで削るの目標にマスキングテープを貼りました。
マスキングテープに合わせて削りを入れ、大窓化しました。先日のEF58 36で苦労しましたが↓、”目標”があると無いとでは作業時の安心感がだいぶ違います😁。
窓パーツは余っている反対=通路側のパーツを切り貼りで使います。左右逆に付けるので床下固定爪の位置が変わる~カットしたり彫ったりしてアレンジしました。
削ったエッジ部に青20号(大昔に発売があったKATOの分売塗料)を挿して窓ガラスを取付け、まずまずイイ感じにfitしました😁。元車番消去~インレタ改番をやって盛アオ車番=オハネ25 6となりました。足りない台車、床下は借り物で撮影しています。
取り外していた幌パーツ、行先表示を復活させました。寝台特急”富士”のパーツがあったので取付けましたが
自作シール;特急はくつる 青森行を貼付け、号車札も自作の11号車に変えています。実車写真2枚の2両目=11号車に銀帯が繋がっているケースが多かったからです。11号車はレディースカーだった筈、銀帯車にレディース指定車があったんではないか?と想像するので右のカニ24 23と連結する設定にしてみました。
通路側は改番と号車札交換だけです。当時のレディースカーって表示がどうだったか?の記憶がありません。ドア上のB寝台はそのままだった気がするんですが..。Hゴムは白表現としてみました。盛アオ車は順次黒Hゴム、白帯化されて行った筈なんですが、いつ頃?の時期が掴めません。両者混在の過渡期?位のイメージで行こうかな?と思っています。(当初の目論見より白Hゴムが増えそうな予感😅)
再び最初の写真;足りない床下パーツなどが来てから本格引用になるんですが、銀帯0番台化改造車オハネ25 6の登場、ちょこまかと準備は進んでいます😁。
最後までご覧いただきありがとうございました。