補欠要員として下書きに突っ込んでいる過去画記事です。この手の過去画記事って結局スマホで撮った写真で当時の一眼で撮った写真も添えつつ焼き直しているので、需要あるかわからないんですけどね。
旅はいつも甲府駅南口、武田信玄公像前からはじまる。暇なクソ大学生だった私、この日はどこに行くんだろう。クソ大学生だった自覚はあるが、そもそもFラン国公立なんか進学した時点で終わってるんだし授業もクソみたいだったし、行く価値があったかと言われたら何とも言えないが。信玄さんのお膝元である山梨に住むことができたのはよかったと思ってる。
コロナ禍で素直に自粛しているまじめで品行方正な学生ばかりだったので(笑)、安くて快適な高速バスに奴らが乗ってくることもない。おかげさまで安心して高速バスを利用することができた。
この内装は京王バスさんだね。甲府新宿線は山梨交通・京王バス・富士急バスの3社での合同運行だった。3社ともお世話になりました。久しぶりにバスで甲府に行くのもいいんだけど、でも自分で運転して行きたいからってのもあるし迷うところ。冬ならまあプロの運転で行く方が安全だからアリかな。
甲府駅南口を出てからいくつかのバス停を経由して中央道に入るのは確か勝沼インターからだったはず。特急便だと違ったっけ。盆地にも春が来ていた。確か笛吹市内での撮影。
国道20号での1枚かな。もう執筆日の時点で4年前になるのか。甲府盆地の春は美しい。この記事が出る頃には答えが出ていると思うが、E217系最後の春となる令和7年3月~4月の廃車回送を山梨の桜や桃と共に撮ることができたらと思う。
新宿では一服してから中央線に乗って東京駅を目指す。東京も春だった。そりゃまあ3月下旬ですからね。まあこの前の年の3月末には雪降ったけどね。山梨だけかと思ったら都内でも降っていたみたいで、215系が耐寒耐雪構造ではなかったにもかかわらず運行開始初日?にいきなり雪塗れできたのは今でも笑えるし最高にロックだ。
それがこれね(笑)、NL-2編成は一番遭遇した編成だったなあ。検索欄に215系って入れると検索候補で失敗って出てくるけれど、私は決してそんなことはなかったと思っている。居住性はともかく2階席があるので風光明媚な中央本線の行楽列車にはおあつらえ向きだったろうし。まあ区間快速アクティーとしては乗降に時間がかかるとか、湘南ライナーとしては同じ料金で乗れる185系等に比べて居住性は下がる上に知らないオッサンとボックス席に放り込まれるとか、いろいろあったけどさ。それでもどんな車両でも欠点はあるだろうし、そこもまた愛嬌ということで。←なんて書きながらも私が湘南ライナーユーザーだったら215系はグリーン車しか乗りたくないかな。4人で乗って酒盛りするなら普通車でいいけど。
閑話休題。
御茶ノ水付近での撮影。春のうららの隅田川~~~。でもここ隅田川じゃないと思うよ。
東京駅の横須賀線・総武快速線ホームに降りたらあらビックリ、発車標が新しくなってました。もう見慣れたようなそうでもないような。3色LEDのあっちのイメージは未だに抜けない。して私が中学生の頃になんか駅メロが変わっていた気がするが、それでも総武地下1番線はSH-2、同2・3番線はtwilight、同4番線はSH-5って相場が決まっている(個人の見解です)のに、なんか駅メロが新しくなってしまって個人的には残念。JREシリーズが嫌とまでは言わないけれど、でもなんかなあ、みたいな。中央線の新宿の特急ホームとか、東海道線下りのドリームパークとかもそう。
さあ、我が故郷の千葉県に帰りましょう。既に廃車になっているY-33編成での帰省だった。地下2番ってことは東京始発か。まだE235系1000代が少数派だったので別にこれといった感動もなかったのかどうかはわからないが、一つ言えることとしてE217系もいなくなるんだなってちょっと寂しい気持ちになっていたのは確かだろう。まあこのY-33編成は比較的最後まで残ってたけど。
この当時の私に会えるのであれば、院進学なんて夢見てんじゃねえってこと、E217系の引退を前にしてもう少し撮っておけばと後悔しているということ、そして当時の彼女とはこの年の年末にクリスマスを前に別れているということ、某氏野郎みたいな繋がる前から苦手だったのと翌月に繋がることになるから気を付けろと伝えたい。色々と伝えたいことだらけじゃねえか(笑)
コロナ禍でガラガラなの助かるわ~(笑)。という訳で明るい時間だけどおかまいなしにボックス席で酒を飲んで千葉を目指そう。まだ実家が佐倉だったので船橋で京成に乗換えていたのだろうか。209系2100代とE217系で育った佐倉を離れた私がこうしてE217系で帰省できたこと、昨年E217系がまだいるうちに千葉県に帰ってこられたこと、そしてこうして千葉を離れている間にも帰省というかたちでお世話になれたこと、幸せだったと思う。
ボックス席独占ウェーイ(笑)。ウェイ系ってなんでウェーイって言うんだろうね。ウェイ系だからか。陰キャの私にはわからない。ウェイ系気取りが勝手に私の写真をインスタのストーリーに上げていたことが何回かあったが、あれは痛かったし普通に不愉快だったので消させたのも懐かしい。社会人が居候の分際で、私が夏にTシャツとパンツで当時の家にいるのを勝手に写真撮ってインスタに上げるって頭おかしいだろ(笑)
船橋で降りた。まあうすいに行くには京成の方が楽だからね。船橋と津田沼と稲毛で下りの総武快速を降りると駅メロでホリデイV2が脳裏に流れてくるが、それも変わってしまったようで残念。市川のムーンストーンと楽々鉄道旅行も変わったら嫌だなあ。あ、駅メロヤクザのドヤ顔マウンティング知識自慢ってそろそろ来ませんかね。紅茶でも用意して待っている。でもそろそろ外が暗くなってきたね。同じ話を何回も聞かされるのマジで苦痛だったな(笑)
ちゃんと撮れ(笑)。案の定船橋では京成に乗換えていた。弘前生まれとはいえ京成沿線で育った身としてはやはりこの赤と青の電車を見ると安心したものだった。紆余曲折あってこうして再び千葉県民となった今、再び京成沿線(要出典)に住むことができているのは嬉しいことだと思う。まあ京成での最寄りの新千葉まで歩いて10分かかるけど。京成の中途採用募集広告を見て千葉に帰ってきた時に少し心は揺れたのだけど、でもファンのままでいたいし京成の社員だったらこんな攻めた記事なんて書けないし、受けなくてよかったのだろう。
3033編成の4号車、平成28年度の落成時に33-4だって話題になってたのが懐かしい。当時目を付けられていた京成キッズがそれで騒いでてうちらはあれキモいねって冷ややかな目で見ていたっけ(笑)。そいつらもまあ今頃は成人しているんだろうけど、肝心のそれは元号が変わる前にお亡くなりになったのでご冥福をお祈りいたします。そういう意味では当時と半値が違う上にTwitterもあってないようなものである俺も他界したと思われてるんだろうなあ。一番きもかった挨拶をすると死ぬ病気にかかっていた当時中学生のなめてんのか小僧か。今ではいっちょ前にイキってて実に面白い。
さ、せっかく帰ってきたんだから京成の電車を撮ってから実家に帰ります。
3818編成の特急上野行からスタート。そうか、もう既に京成○○表記のアレになってたんだな。とはいえ当時3818編成は3700形で唯一(ゆいいつ)の下枠交差パンタグラフだったみたい。唯一をゆういつって読むやつは知能指数が低いです。それはさておき既にこの3818編成もシングルアームパンタグラフになっているので、もしかしたら現行ROMと下枠交差って実はかなり貴重なのかもしれない。そうではないかもしれない。
この撮影から8か月ほどして廃車になった3520~17+3550-49編成。もしかしたらこれが最後の撮影だったのだろうか。なんかもういないのが信じられない。デビューから1週間経っても未だに新3200形を撮れていない執筆日時点での私もいかがなものかと思うが、その新3200形の第一陣の導入で後ろの2両モハ3550-49の相方でもある3552-51も廃車になってしまった。3500形自体は京成本社内で一部を残したいとの意見もあると鉄道ピクトリアル臨時増刊号で記述があったので、執筆日時点で検査を受けている3544編成とその前に検査を通った3504編成あたりは予備車も兼ねて残ったら動態保存されたらいいなと思う。
3544~41+46-45という組成だった3544編成。この編成はこの数か月後に後ろ2両を切り離してから基本的に4両で運用されて今に至る。生憎内部情報を教えてくれる「俺のダチ」はいないので、執筆日の時点での数か月前までは検査期限だけに鑑みてこの3544編成(と先述のモハ3550-49)が新3200形での廃車筆頭候補だと思っていた。何が俺のダチだよってね(笑)。情弱で結構、こちらは撮りたいものを撮っているだけである。個人的にこの6両は3500形の中でも一番遭遇していたので、特に3544編成がまた検査を通ってくれたのは嬉しいことだと思う。
唯一残念なことがある。それは令和7年4月末以降から順次公開予定の高校生時代の過去画記事において3544はもういないんだろうみたいなことを書いて既に予約投稿してしまっていることだ。穴があったら入りたい。いちいち直すのも面倒だしまあいっか(笑)。
なんか思いの外ちゃんと撮ってなかったみたい。それはダメだろ。できない理由を考えるのではなく、やれや。もー。無能。翌日あたりに京成+JR+京王+JRで甲府に戻っていた。.京王5000系の特急に乗っていたみたい。京王ライナー以外の運用もあったんだなあ。京王は何といっても中央線に比べてガチマジで安く、現に甲府から新宿で安く行くには時折お世話になったものだった。
京王ライナーでも使える座席は特急運用なのでロングシートになっていた。冬までの粉雪は汚れた雨に変わってた。それはイコラブのあの子コンプレックスだろうが(笑)。元交際相手と別れて次のシングルがアレだったのはカウンター食らった感あったな(笑)。こうして笑い話に出来るまで立ち直れたからまあいっか。結局イコラブに救われてる訳だが、この当時の私に年末に別れてるなんて言ったらそんな訳ない!ってヒス起こしそうでめちゃくちゃ面白い。地団駄ダンダンムキー!地団駄は踏まないと思うけど。
京王も撮りに行きたいけど知識がない上に時間もないのがなかなかね。やはり大学生の時にもう少し色々と撮っておくべきだったのかな。
高尾からは441Mの211系長野行で甲府を目指す。記憶が正しければ甲府で一旦帰宅してからバイトに行ってたような記憶がある。
これはどこだろうか、初狩かな。先述の通り桜の季節だった。
甲斐大和では特急あずさ号の通過待ちがあるので撮影兼タバコ休憩ができていた。当時の中央線ローカルは何といっても初狩以西の駅においては通過待ちでタバコを吸えたのがよかった。なんだかんだで大学生の頃は楽しかったなと再確認した。
ま、大学自体のレベルがゴミ未満のFラン国公立なので、大卒(笑)の肩書があるだけで4年間遊んでいたようなものではあったけれど。所詮自分はその程度の人間だ。学歴社会なんとかなんねえかな、俺みたいなバカでも大卒の肩書があるっておかしいだろ。その点、JR東さんが総合職でも高卒から採りますってのはやはりわかってるなと思うし、そこにあの会社を嫌いになれない理由があるのかもしれない。上層部の役員報酬減らせば~なんて憎まれ口を叩きたくない訳でもないが、でもあの会社の上層部ってその辺は頭がいいのを改めて実感した。そんなこともわからずに大卒なんて~と抜かしてきたイキリ流しマウンティング小僧は面白いものだ。いつまでも学歴に囚われてろ(笑)。大切なのは学歴ではなく、何を学んできたかだろう。私の母校である高校の創立者の先生と面会させていただいた際にそう教えていただいたのが今になってわかった私もアホなものだ。
追伸
ずっと先のストックとして放置しておこうと思ったんだけど、なんかE217系に3500形にタイムリーなので令和7年前半のどこかで公開していると思います。多分。