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京都鉄道博物館12 幻の蒸気機関車とジオラマと運転席

2025年03月15日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 梅小路機関車庫から隣の旧二条駅舎に入った途端、嫁さんが「あっ、大きな蒸気機関車の模型がありますよ、すごーい!」と右側の大きなウインドーを指差して言いました。上図の1/12スケールのC63形1号機の模型でした。

 

 説明板です。嫁さんが「ほんまに幻のSLとして終わってしまったんですねえ・・・」と一通り読んでから少し残念そうに言いました。

「そうすると、さっき見たあの赤いナンバープレート、この機関車に関わる唯一の形見であるんでしょうね」
「まあ、レプリカでなくて本物であればな・・・」
「本物ですよ、きっと。他のナンバープレートも全部本物なんでしょう、やからC63の1のナンバーも本物なんですよ」

 

 C63形は、日本国有鉄道が計画し設計したテンダー式蒸気機関車の一種です。国鉄最後の制式蒸気機関車として計画されながらも、1956年(昭和31年)に設計図が完成したのみで、実際には製造が行われませんでした。それで、幻の蒸気機関車とも呼ばれています。
 計画では、地方ローカル線での客貨両用目的での使用を前提とし、主として老朽化が特に深刻化していたC51形を置き換える目的で設計されました。構造はC58形をベースにして、できるだけC51形に近い性能を得ることを目標とし、国鉄最後の新製蒸気機関車ということもあって、多くの新設計が取り入れられたといいます。

 

「なるほど、C58形がベースか、言われてみればよく似てるなあ」
「うん、うん、C63っていうからC62形と同じような大きな機関車かと思ってましたけど、違いましたね」
「主要路線じゃなくて地方ローカル線で使うのが目的やったんなら、ローカル線での万能機と言われたC58形がベースに相応しいわけやな。当時の主要路線はもうC62形とかが活躍しとったんやから、地方路線に新型機を入れるということでC63形を計画したけれど、国鉄の電化や無煙化への取り組みのほうが優先されたから、結局は開発中止になったと・・・」
「・・・それで、ナンバープレートだけを作って終わりになってしまったと・・・ですねえ」
「そういうことやな」
「なんかもったいないですねえ・・・、折角設計図まで出来てね、ナンバープレートも作ったのにねえ・・・」
「そういう声が実際に多かったやろうし、残念がる人々も当時は大勢居たんやろな、だからせめて模型で作って、その姿を後世に残そうとしたんやろな」
「そういうことですかー、だからNゲージでマイクロエースがC63形を出したんですかねー」
「たぶんね」
「やっぱり、買おうかなー・・・買っていいですか?」
「買っちゃうの?」
「だってねえ・・・、C63形って地方ローカル線向けに計画されたんでしょう、C51形を置き換える目的で計画されたんでしょ、山陰線でもC51形は走ってたそうやから、C63形がもし製造されてたら、山陰線にも配属されてC51形と置き換えになった可能性はあるんですよね?」
「言われてみればそうやな、山陰線にはC58形も走ってたんやから、その後継機タイプのC63形も運用される可能性もあったわけやなあ」
「うんうん、それそれ・・・、ですから、うちの山陰線ジオラマにマイクロエースのC63形も入線させて走らせますよ。幻のSLが甦って走ります、ってなんか素敵じゃないですか・・・」
「・・・まあ、好きにやって、楽しんで下さい・・・」
「わーい、やったー」

 

 旧二条駅舎の館内の展示は模型がメインでしたので、Nゲージの模型も沢山陳列されており、上図の大きなジオラマも展示されていました。モケジョの嫁さんにはたまらない空間であったのは間違いなく、いちいち私の肩をたたき、腕を引っ張り、あちこち指差してはハイテンションのまま各所の展示ケースにビタッと張り付いてゆくのでした。

 

 とくに上図の、昭和期の山陰線の丹波エリアの景色を模したとされるNゲージジオラマには、20分ぐらいは張り付いて観察し、スマホであちこち撮っていました。特に段々に連なる田畑や藁葺き屋根の民家の表現に見入り、「まるで美山かやぶきの里みたい」と言いました。

 

「これ、昭和でも初期の頃の景色みたいな感じしません?」
「あー、それはそうかも。この木造の橋なんて、戦後はもう見られなかったみたいやね」
「橋もそうですけど、道路がみんな未舗装っぽいんで、昭和の田舎でも思いっきり山奥の未開の村って感じ・・・」
「そのわりには奥に赤い立派な鉄橋が架かってるんやけどな・・・」
「そう、そうなんですよ、あれが全然この景色にマッチしてないんですよ、えらく浮いて見えちゃう・・・、あの鉄橋だけ近代化されててどーすんの、って感じ・・・」
「あははは」

 

「この駅も、思いっきり田舎の駅って雰囲気ですよね、田舎過ぎて・・・、ウチの山陰線ジオラマにはちょっと時期感が合わないかなあ・・・」
「君のジオラマは、だいたい昭和40年から60年代の時代幅で作ってるやろ、これは昭和30年代か、もうちょっと前の20年代の終戦直後の日本の山村って感じやもんな、車なんて走ってなさそうな、実際どこにも車が置いてない・・・」
「千代川も馬堀も並河もこんな田舎やった頃はあったんでしょうけど、昔の写真見てもあんまりそういう景色じゃないんですよね、亀岡や園部はもっと町っぽい感じだったし・・・」

 

 ジオラマの線路に置かれた機関車はC11形でした。かつての山陰線の主力機関車の一種でした。
「これの写真、よく見ますよ。山陰線の福知山とか亀岡とかで色々使われてたみたい・・・」
「確か、福知山駅だったか、保存車輌あるって聞いたな・・・」
「あー、それ福知山駅の南の公園ですよ、もとは機関区のあった場所らしいですよ、橋の上に機関車を置いて保存してあるらしいですよ、今度フクレル行く時に見ましょうよ」
「そうやな」

 

 それにしても、なかなか良くできたジオラマです。この時代の景色を再現したものはあまり見かけませんので、嫁さんにとっては色々と参考になったことでしょう。

 

 昔の日本の村の風景、という感じですが、やっぱり奥の赤い立派な鉄橋がミスマッチですね・・・。

 

 民家の並びや石垣、斜面の畑、段々の水田などは細かくリアルに造られています。奥の里山の部分も紅葉の彩りを添えて秋の風情を醸し出しています。

 嫁さんは、山陰線ジオラマの参考にしていましたが、こちらも大井川鐡道ジオラマを作っており、いまでも昭和レトロスタイルの鉄道設備のままで運行している大井川鐡道の沿線には、上図のような農村の景色も割と普通に見られますので、民家の藁葺き屋根を瓦葺か銅板葺きに換えるだけで、そのままいけそうな感じがあります。
 現在は井川線の範囲を作っていますので、メインは山の中の渓谷沿いの地形になっていて、民家は一軒も無いジオラマに仕上がる予定です。

 

 最後に嫁さんが関心を示したのは、C11形蒸気機関車の324号機の運転室のカットモデルでした。

 

 御覧のように運転室だけを保存して中に入れるようにしてあります。嫁さんは「運転席に座ったら、山陰線も大井川鐡道本線もどっちも雰囲気が楽しめますねー」と言い、上図の運転席に座ってハンドルやレバー類にも手を伸ばしてタッチして、御機嫌でした。ガチのモケジョさんですが、同時に完全な鉄子でもあるな、と思いました。

 

 色々楽しんで学んで体験して大満足、超御機嫌の嫁さんを先にして、京都鉄道博物館の旧二条駅舎より退出したのは16時27分、閉館時刻の3分前でした。

「次はね、福知山のフクレルに行きましょうよ、ね?」
「・・・はいはい」
「いつがいいですかねー」
「君に任せます」
「本当?わーい、やったー」  (了)

 


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