駅のホームに看板、
大和朝倉から1駅、といっても駅間距離は3.7キロ、
反対側の榛原まではさらに遠く4.5キロ離れています。
ホームから下りて地下通路からそのまま改札に出ます。
駅舎を正面から、
そのまま振り返ると大きな碑と観光案内図、
門をくぐり案内標記のまま連続する石造りの階段を下り、
下りきったところを左方向に進むと国道165号線の初瀬交差点に出ます。
赤い欄干の参急橋、この下を流れるのが大和川上流の初瀬川、
去年しまかぜやひのとりを撮影していたこの地点からさらに上流にあたる場所です。
途中の郵便局も瓦屋根で和風に、
路面に大きなペイント、途中の案内板なども含め辿り着くのに迷いようのないほど親切な標示がされています。
入口までやってきました。
受付を済ませ入山します。
ここ長谷寺は真言宗豊山派総本山にして西国三十三カ所の八番札所、
ちなみに去年訪れた石山寺は十三番、京都の清水寺は十六番。
仁王門をくぐると
本堂へと続く登廊、339段あり、途中2カ所折れながら下登廊、中登廊、上登廊と三棟に分かれています。
季節になると咲き誇る牡丹園、初瀬は牡丹の名所で長谷寺は花の御寺と呼ばれています。
ここから中登廊、
途中にある蔵王堂には吉野金峯山寺から来たという蔵王権現の三鈷、
紀貫之の古里の梅
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の 香ににおいける
この囲いの中の木はこの歌に詠まれた梅の子孫なのだとか。
小林一茶の句碑
我もけさ 清僧の部也 梅の花
ここから上登廊、
登り切ったところで上から、
鐘楼 、尾上の鐘。
ここで本堂にお参り、
ご本尊が祀られている本堂内は撮影禁止、
そういえば以前にも同じようなことをここで書いていました。
東日本在住の方には長谷寺といえば
鎌倉の紫陽花のお寺をまず思い浮かべられると思います。
実はこの両寺には深い縁があって、
ご本尊である十一面観音像は徳道上人の手により同じ木から2体彫られ、うち1体がここ奈良の長谷寺に安置、
その後もう一体は有縁の地で衆生を救うようにと行基上人により伊勢湾に放たれ、その流れ着いた先が相模国長井浦、その像を本尊とし開山されたのが鎌倉の長谷寺だということです。
本堂でお参りしたあと外舞台へ、
同じ西国参りの観音寺、京都の清水寺と同じ懸造りになっています。
登ってきた登廊をはじめ境内を眼下に見渡せます。
舞台を時計回りに進んで行くとここにも歌/句碑があります。
大伴坂上郎女(おおともさかのうえのいらつめ)の歌碑
こもりくの初瀬の山は色付きぬしぐれの雨は降りにけらしも
大伴坂上郎女は大伴家持の叔母、大伴旅人の異母妹にあたる女流歌人。
松尾芭蕉の句碑
春の夜や こもり人床し 堂のすみ
愛染堂
朱印所で御朱印をいただいたあと本堂の西側に進みます。
弘法大師御影堂、
本長谷寺(もとはせでら)
長谷寺の開祖僧である道明が天武天皇の病気平癒のために建立したという長谷寺の起源となる場所。
五重塔
実は昭和29年の建立と新しく、明治期に焼失した三重塔の代わりに建てられたもの。
そしてこちらが焼失したという三重塔の跡地、
天武天皇の代に創建、その後豊臣秀頼により再建、明治9年に焼失。
西側から見た本堂、
石段を下って入口まで戻ってきました。
西国三十三番御詠歌
幾度も 参る心は 初瀬寺 山も近いも 深き谷川
来た道を戻ります。
その途中にも道路脇に万葉歌碑、
三宝のやまみつつゆけ吾が背子がい立たしけむ厳樫が本
額田王(ぬかたのおおきみ)
参急橋を渡って国道165号線まで来ると登り、
あまり意識していなかったため帰りのこの上り坂がきつく感じました。
往路あれだけ階段下ってきた分上るんだから当たり前なのですが、
地形的に駅と寺の位置が高くなっていて間の川と国道が谷間になっているため上りと下りを繰り返すことになるわけです。
線路が見えたところでちょうど上りの大阪関西万博ラッピング車が出発していきました。
長谷寺駅まで戻ってきました。