↑王寺冠水により車両が被災した関西本線。首都圏で余剰となった101系が応援に駆けつけ、オレンジ、カナリア色で活躍を始めた。1982年。平野。

201系量産車が活躍をはじめたのは中央線であったと記憶している。中央線快速にオレンジ色、総武線緩行はカナリアで区別されていた。
101系を置き換えるためである。
103系も転配がなされ、武蔵小金井、中原電車区では101系に余剰車が生まれていた。

そんな時に起こったのが関西本線、王寺冠水被害である。1982年8月の台風10号による河川の氾濫である。留置されていた101系、113系は床上浸水し、電気機器を損傷、使用不能になった。
無事だった編成に若干の借り入れ車両が加わり復旧がなされたようだが、到底車両が足りない。
冠水した101系は廃車、113系は修理との判断がなされた。その首都圏で余剰になった101系を活用するための措置である。
これが出来たのも201系が大量に新製配置がなされていたからである。
武蔵小金井からの車両はオレンジ色に前面黄色の帯、中原からの車両はカナリア色のままであった。いずれも前面と側面ドア上に関西本線を識別するウグイス色のステッカーが貼られた。新今宮などでの大阪環状線との誤乗防止にである。
被災を免れた101系はウグイス色であり、応援車両も順次塗り替えられた。その過程で混色編成も登場した。

     ↑修理のために工場に搬入される被災の赤帯113系。編成の形態と搬入ルートからTc21.MM'2.MM'1.Tc'311のモハトップナンバーの編成の可能性がある。同編成は網干に転出し最後まで活躍したのであるが、この時に電気機器を新調したのが長持ちになったのかも?  鴫野。

一方の113系であるが、こちらは余剰車はなかったためか修理となった。網干からも湘南色が応援に入ったが到底車両は足りない。そこで、一部快速の大阪環状線乗り入れを休止などの間引きで対応がなされた。
工場搬入にはDD51が牽引したが、出雲ヘッドマークを付けたままのEF65PFもその先頭に立った。

大和路線では間もなく終焉を迎える201系に注目が集まっている。
その関西本線の最大のピンチを救ったのも首都圏に新製配置された201系なのである。
車両のナンバーこそ違うが、最初と最後、201系が大和路線で終焉を迎えることは感慨深いものである。