18.東海道本線愛知御津と西小坂井の駅取材
三河大塚で取材を終え、冷房の車内に居たいがために、
15:35の岐阜行きでいったん三河三谷まで戻り、
三河三谷15:32発で愛知御津へ来た。
JR愛知御津駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
駅舎側の単式ホームは1番線に付番、上り線が使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番、下り線が使用する。
3番線が主本線となっていて、2番線は待避線などが使用する。
愛知御津に駅が出来たのは1888年9月1日で、
武豊から大府を経由して木曽川まで敷設された区間の、
大府から浜松までの区間が開通したのと同時に開業した。
開業当時の駅名は「御油」だった。
戦時中の1945年8月7日に空襲で駅舎が焼失、
戦後、1948年4月に駅舎が再建され、
同年8月1日に駅名が「愛知御津」に変更された。
駅舎再建計画と同時に駅名変更が検討され、
「御津」や「三河御津」も候補に挙がったが、
音読で常磐線の「水戸」と同じ事や、
「三河三谷」と一文字違いであることから、
旧国名ではなく県名の「愛知」が使用されることになった。
駅取材を終えたが、次の上り列車は16:09で20分以上ある。
そこで駅前を少し散策することにした。
足の調子はだいぶ良くなって違和感もなくなっていたが、
踏切を渡って駅舎の反対側から隣の踏切まで歩く。
さすがにここまで歩くと、再び足が攣ってしまった。
予定していた16:09で隣の西小坂井に行く。
JR西小坂井駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
駅舎側のホームは1番線、2番線に付番され、上りが使用するが、
現在は1番線は柵が設置され使用出来ず、実質的には2面3線となっている。
駅舎と反対側の3番線、4番線は下りが使用され、
どちらか一方が主本線となっているわけではなく、交互に使用される。
西小坂井に駅が出来たのは1948年8月1日で、
戦時中の1945年6月10日に軍需工場への引き込み線のために、
この地に西伊那信号場が設置され、戦後にこの信号場を一般駅化された。
軍需工場への引き込み線は戦後、富士紡績への貨物専用線に転用されたが、
1972年3月1日に貨物扱いが廃止され、専用線も廃止された。
西小坂井で駅取材を終え、これで本日の取材予定は全て終了した。
16:43で隣の豊橋まで行く。
4番線に到着したが、隣には名鉄本線3300系が停車していた。
豊橋駅は5面8線のホームを有する地上ホームを有し、
東海道線のほか、飯田線の発着駅でもあり、
また名古屋鉄道本線も乗り入れていて、同線の終着駅となっている。
4番線の単式ホームに隣接する頭端式ホームが1番線から3番線となっており、
1、2番線を当駅発着の飯田線が使用し、
3番線を名古屋鉄道本線が専属で使用し、
そのためホームの高さが名鉄の車両に会わせて少し低くなっている。
5番線から8番線は島式2面4線のホームとなっており、
4番線から8番線が東海道本線が使用している。
また東海道新幹線もホームをあり、11番線から13番線を使用し、
上りが島式1面2線、下りが単式1面1線となっている。
また下り線は現在は1面1線だが、
島式1面2線に改造するだけのスペースが確保されている。
東口を出たところには豊橋鉄道東田本線が乗り入れている。
明日は午前中浜松まで駅取材し、午後は飯田線の一部で駅取材、
新幹線の時間までこの路面電車の取材に当てることにしていた。