「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪れる〜その20 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。



今年(2025年)で、京阪特急の誕生から75年。本題の「8000系」について取り上げる前に、その歴史について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示や、手元の参考文献などにも触れながら項を進めています。出典①。



昭和40年代後半から平成はじめまでの約20年にわたり、京阪電車のフラッグシップとして活躍した5代目京阪特急「3000系(初代)」の経緯について、ここまで述べています。守口市にて。



「8000系」のデビューを受けて、1993(平成5)年夏には1編成7両(加えて予備車2両)となった「3000系(初代)」。


しかしながら、1995(平成7)年12月に従来車両を大改造した「二階建てダブルデッカー」をデビューさせ、予備車を使って8両編成化されます。淀屋橋にて。



内装を後身の6代目京阪特急「8000系」とほぼ同一のグレードにリニューアルしたこともあり、後にその「8000系」に編入された、というところまで触れて来ました。淀屋橋にて。


いよいよ、「3000系(初代)」最後の活躍の頃に入ります。引き続き、解説は「フリー百科事典Wikipedia#京阪3000系車両(初代)」より。




2012年(平成24年)7月5日、京阪に在籍する本系列最後の1編成の営業運転を翌2013年(平成25年)春をもって終了する旨を発表、あわせて各種グッズの発売やイベントの実施が告知された。


「旧3000系特急車 最後の夏」と銘打たれたメインイベント。三条、萱島にて。



同年9月29日からは先頭車両の前面デザインを改修前のイメージに近づけた「クラシックタイプ」として運行された。続いて2013年(平成25年)1月8日、最終運転日を同年3月31日に決定したと発表された。車両番号も「3000系(初代)」時代に復元される。樟葉にて。

営業運転終了までの経緯ならびに引退記念イベントの内容は概ね以下のとおりである。



特設サイト名を「旧3000系特急車〜ラストランに向かって〜」から「さようならテレビカー ありがとう旧3000系特急車」に改題、トップページに通常運転終了までの残り日数を表示。通常運転は同年3月10日までとした。

「クラシックタイプ」運行時は、昭和から平成はじめまで取り付けられていたヘッドマークも掲出。これは「びわ湖外輪船ミシガン連絡」の列車に取り付けられていたものを復刻。表情が一気に引き締まりました。枚方市、萱島にて。



同年3月23・24・30・31日の計4回、ダブルデッカー(8831号車)を外した7両編成で中之島発出町柳行き(または三条行き)「臨時快速特急」として特別運転。
ブログ主が乗車した、2013(平成25)年3月24日の運行の様子より。中之島にて。

31日をもって「テレビカー」は1954年(昭和29年)以来約60年、本系列は1971年(昭和46年)以来42年の歴史にそれぞれ幕を降ろした。



なお、8000系0番台で実施された新塗装への変更、車端部ロングシート化およびテレビの撤去は未施工のまま営業運転を退いた。

晩年はBS放送を中心に流したものの、地上デジタル放送化以降は、地下線内での放送が技術的に不可になりました。鉄道車両に搭載することから特殊装備が施された、大きなテレビです。



2013年(平成25年)4月30日付で廃車された後同年6月14日に、8531(改番前車番3505)号車がトレーラーで建て替え工事中のくずはモール敷地内に搬入された。


現在、こちらで展示中の「3505号車」がまさにそれでした。最終運転時の様子。三条にて。




同年7月4日にはダブルデッカーの8831号車が富山地方鉄道に譲渡のため、堺市西区築港新町へ陸送された。中書島、淀屋橋にて。

かの地、富山では「ダブルデッカーエキスプレス」として、看板列車のひとつとなっているのはうれしいことです。



そういったことで、ここまで5代目京阪特急「3000系(初代)→8000系30番台」の経歴について、あれこれと触れてまいりました。

物心ついた時から、京阪間をノンストップで駆け抜ける特別な存在だったこの車両でした。


それゆえ、平成に入って姿形が変わって、後身の6代目京阪特急「8000系」に主役の座を譲っても、その憧れの心持ちはいまなお強く印象に残っています。まさに思い出の車両、でした。中之島にて。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「京阪時刻表1995」京阪電気鉄道株式会社編・刊 1995年3月発行)