
数日前に区役所から郵便物が届いた。封筒に「敬老」の文字があったので、てっきり母親宛てと思ったのだが、よく確認したら何と自分宛てだった。遂に「敬老」の仲間入りかと、一気にジジイになった気分だった。
内容物を確認すると、区内の銭湯で使える優待券と、区内循環バスのパスが入っていた。今月末に65歳の誕生日を迎えるので、早々と送ってきたのだった。
物心がついた頃はまだ町中に戦争の爪痕が残っているのが感じられた。本日、3月10日は東京大空襲から80年だが、幼少期に祖父からその体験談をよく聞かされたのを覚えている。下町では広範囲で火災が発生、猛火に追われた人々は逃げ場を求め、隅田川(イメージ画像)にかかる橋の上はどこも人で溢れた。火から逃れるために川に飛び込む人も大勢いたそうだ。
今の子供たちにこういう戦争体験談を語り聞かせると、空襲とか焼夷弾とか疎開といった言葉が理解出来なくで、なかなか話が通じないらしい。これも一種の平和ボケかな。

そして今日は、山陽新幹線が博多駅まで延伸開業した50周年の日でもある。改めて思うのだが、敗戦から30年で東海道・山陽新幹線を全通させたのだから、当時の日本人は凄いと感心する。それに比べて最近の震災からの復興スピードの遅さが何とももどかしい。
博多開業では新幹線の速達性を実感させられた。夕方、学校帰りに東京駅で出発していく列車を眺めていたのだが、九州行きの寝台特急と新幹線がほぼ同時刻に出発していく。新幹線が終点の博多駅に到着する頃、ブルトレはようやく大阪駅へ着くかどうかだ。歴然としたスピード差は、のぞみのデビューでさらに広まり、夜行列車は廃止へと追い込まれた。
博多開業で、新幹線にも本格的な食堂車(画像はリニア鉄道館の36形式)が登場した。車体の大きさを活かして、通り抜け通路を別に確保したレイアウトは落ちついて食事が出来る空間だった。その後、二階建て食堂車も登場。東海道・山陽新幹線を利用する時、ちょっと贅沢をして食堂車を利用するのが楽しみだったが、それもなくなってしまった。