「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪れる〜その18 | ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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趣味の鉄道の話題を中心に、お出かけ記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。


今年(2025年)で、京阪特急の誕生から75年。本題の「8000系」について取り上げる前に、その歴史について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示や、手元の参考文献などにも触れながら項を進めています。



さて、昭和40年代後半から平成はじめまでの約20年にわたり、京阪電車のフラッグシップとして活躍した5代目京阪特急「3000系(初代)」の経緯について、ここまで述べています。


平成に入り、後身の6代目京阪特急「8000系」が増備される中、1編成7両(加えて予備車2両)のみとなった「3000系(初代)」。ところが1995(平成7)年12月、想像だにしなかった大変貌を遂げることになります。「二階建てダブルデッカー」の連結です。出典①。



ここからは、手元の京阪電車広報誌「くらしの中の京阪」より。沿線情報のみならず車両の情報も満載で、毎号必ず貰って帰っていました。


では「二階建てダブルデッカー」がデビューした翌月、1996年1月号を見てみましょう。


新年を迎えた号ということで、京阪名物?の「おおみそかダイヤ〜正月ダイヤ」の案内。
沿線に全国的にも有名な寺社仏閣の多い京阪電車は、正月期間は普段とはまったく異なるダイヤで運行することが知られています。

右上には山口智子さん。この頃、京阪電車のイメージキャラクターを務めていました。いまの「おけいはん」シリーズに至るまで、数多くの豪華な女優、俳優さんが登場したものでした。


京阪名物の「正月ダイヤ」。
特急・急行・普通の3本立てで、それぞれ10分間隔での運行がなされるという、全国的に見ても高頻度なダイヤが長らく組まれていました。

コロナ禍を経て15分間隔となり、今年の正月から12分間隔へと変遷しています。余談でした。


さて、本題に戻ります。見開きには、くだんの「二階建てダブルデッカー」が詳しく紹介されています。7両編成の、大阪側から3両目に連結されるというもの。

わたしはこれでダブルデッカーの仔細を知ったのですが、駅(確か京橋)でこれを貰った側から食い入るように見入ってしまい、しばらくその場から動かんかったのを覚えています(汗)それくらい衝撃的なことでした。


ではここからは、毎度おなじみフリー百科事典Wikipedia「#京阪3000系電車(初代)」より。

1995年(平成7年)、車体改修工事に合わせて、中間付随車1両(3608号車)を自社の寝屋川工場で2階建て車両(ダブルデッカー)に改造することとなった。




2階建て車両への改造は容易ではなかったが、幸い本系列は鋼製車であり、長年にわたり寝屋川工場で行われてきた諸工事のノウハウを生かして改造された。

旧車体の台枠を上手く利用する改造方法が構想を大きく前進させ、具体化設計と並行して制作された実物大モックアップとあわせて、極めて珍しい改造ダブルデッカーの実現に寄与した。



「思い出に残る小旅行気分」をコンセプトとしながら、手すり兼用の荷棚や乗降円滑化のための直線階段など、ラッシュ時の混雑にも対応した設計とされた。



改造工事は3608号車の台枠下面に「バスタブ」と呼ばれた巨大な階下室鋼体を取り付けることから始まり、その後特設の工事場に定置させて、車体に歪みが出ないよう拘束のうえ、鋼体改造が開始された。(中略)出典②。


車両メーカーの助言を仰いだとはいえ、その施工経験と使用実績は量産車というべき8000系増結用ダブルデッカー車の設計にあたって貴重なデータを提供した。



8000系ダブルデッカー登場までの約2年間は、本系列1編成1両のみのダブルデッカーに待ってでも乗ろうという状況や、運用の問合せがしばしば見受けられた。



いまや「京阪特急」名物となった「ダブルデッカー」ですが、この「3000系(初代)」改造に用いられた技術を応用し「8000系」全編成にもこの後、導入されたのでした。これについてはまた後日項にて。出典③。



また、「3000系のイメージを形成する部品」として、ダミーのステンレス製幌枠が取り付けられ、全盛期の精悍な状態がほぼ再現された。


車内は座席を8000系と同一仕様のものに交換したほか、化粧板のみならず窓枠などの金具までもが新品に交換され、新車並みの状態に仕上がる徹底的な工事が行われた。(後略)



そういったことで、ダブルデッカーへの改造に合わせて、他の平屋6両にも大規模なリニューアル工事を施行。

看板車両の主役の座を譲った「8000系」とほぼ同一のアコモデーションとなり、1971(昭和46)年のデビュー以来、再び大きな注目を浴びることになったのでした。


次回に続きます。
今日はこんなところです。出典④。


(出典① 京阪電車広報誌「くらしの中の京阪」VOL.240 1996年2月号)

(出典②「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 2011年3月発行)

(出典③ 京阪電車広報誌「くらしの中の京阪」VOL.267 1998年5月号)

(出典④ 京阪電車広報誌「くらしの中の京阪」VOL.257 1997年7月号)