みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。
今年(2025年)で、京阪特急の誕生から75年。本題の「8000系」について取り上げる前に、その歴史について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示や、手元の参考文献などにも触れながら項を進めています。
さて、昭和40年代後半から平成はじめまでの約20年にわたり、京阪電車のフラッグシップとして活躍した5代目京阪特急「3000系(初代)」の経緯について、ここまで述べています。
平成に入り、後身の6代目京阪特急「8000系」が増備される中、1編成7両(加えて予備車2両)のみとなった「3000系(初代)」。ところが1995(平成7)年12月、想像だにしなかった大変貌を遂げることになります。「二階建てダブルデッカー」の連結です。出典①。





1995年(平成7年)、車体改修工事に合わせて、中間付随車1両(3608号車)を自社の寝屋川工場で2階建て車両(ダブルデッカー)に改造することとなった。



「思い出に残る小旅行気分」をコンセプトとしながら、手すり兼用の荷棚や乗降円滑化のための直線階段など、ラッシュ時の混雑にも対応した設計とされた。
改造工事は3608号車の台枠下面に「バスタブ」と呼ばれた巨大な階下室鋼体を取り付けることから始まり、その後特設の工事場に定置させて、車体に歪みが出ないよう拘束のうえ、鋼体改造が開始された。(中略)出典②。
車両メーカーの助言を仰いだとはいえ、その施工経験と使用実績は量産車というべき8000系増結用ダブルデッカー車の設計にあたって貴重なデータを提供した。
8000系ダブルデッカー登場までの約2年間は、本系列1編成1両のみのダブルデッカーに待ってでも乗ろうという状況や、運用の問合せがしばしば見受けられた。
いまや「京阪特急」名物となった「ダブルデッカー」ですが、この「3000系(初代)」改造に用いられた技術を応用し「8000系」全編成にもこの後、導入されたのでした。これについてはまた後日項にて。出典③。
また、「3000系のイメージを形成する部品」として、ダミーのステンレス製幌枠が取り付けられ、全盛期の精悍な状態がほぼ再現された。
車内は座席を8000系と同一仕様のものに交換したほか、化粧板のみならず窓枠などの金具までもが新品に交換され、新車並みの状態に仕上がる徹底的な工事が行われた。(後略)
(出典① 京阪電車広報誌「くらしの中の京阪」VOL.240 1996年2月号)
(出典②「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 2011年3月発行)
(出典③ 京阪電車広報誌「くらしの中の京阪」VOL.267 1998年5月号)
(出典④ 京阪電車広報誌「くらしの中の京阪」VOL.257 1997年7月号)