身近に走っていたちょっと特別感のある列車 | あさかぜ1号 博多行
2025-03-07 08:04:11

身近に走っていたちょっと特別感のある列車

テーマ:鉄道ネタいろいろ

本日のお題:初めて乗った特急列車

国・私鉄の別、特急料金が必要かどうか、ロングシート車か特急用車両化の別にこだわらなければ、生まれて初めて乗った「特急」という列車種別の列車は、おそらく京急の特急か快速特急(現在の京急快特のかつての正式な列車種別名)だったと思います。
具体的に何年前のことかはわかりませんが、両親や父方の祖父母と一緒に東京都大田区で暮らしていたまだ幼稚園入園前のことだと思います。
当時、家の近くに同年代の子供があまりおらず遊び相手が少ないことを心配したらしい祖父が、時々あちこちへ電車で連れて行ってくれていました。
当時住んでいた家の最寄り駅は京急の雑色駅で、神奈川方面へ行くときには2駅先の京浜川崎(現在の京急川崎駅)で特急か快速特急に乗り換えて目的地へ向かうことが多かった記憶があります。
その頃、地下鉄浅草線乗り入れ列車が大半の特急はもちろん、最優等列車の快速特急にも当時の京急の主力形式だった旧1000形が運用につくことが多かったようですが、快速特急に乗るときにセミクロスシート車の600形(先代)に乗れ、クロスシートに座れた時には何だか得をしたような気分になったのを覚えています。
また、昔も今も京急の快特や特急のスピードが最も上がる川崎ー横浜間では、いつ乗っても特急や快特の飛ばしっぷりに子供ながらに興奮したのも思い出の一つです。

乗車のためには特急料金が必要で、専用の車両で運転する特急ということであれば、西武の5000系「レッドアロー」が初めてでした。
それは、両親と私が大田区から同じ都内の清瀬市に引っ越し、幼稚園に入園して初めての遠足の時でした。
この時、遠足の行き先が西武秩父線沿線の芦ヶ久保ということで、芦ヶ久保へ向かう時に園や自宅最寄りの池袋線秋津駅から芦ヶ久保駅まで5000系に乗ることができました。(帰りにも乗車したかは覚えていません)
実は、この時乗車したのが定期特急の「ちちぶ」だったのか、それとも5000系を使用した貸し切り列車だったのか、今となっては確認の術がありません。
私の通っていた幼稚園はそれほど園児の数は多くなかったと記憶しているので、平日午前中の下りであれば特急の利用客も少ないということで6両編成の1~2両を貸し切にして「ちちぶ」に乗ったということも考えられるし、かといって団体客の乗車のために通常停車駅でない秋津駅に特急を臨時停車させたのかという疑問もあります。
まあそれはともかく、当時の私としてはいつも線路端で見ていて一度乗ってみたかった「レッドアロー」に乗れたのがめちゃくちゃうれしかったのは今でも覚えています。
その後現在も住む埼玉県某市へ引っ越してからは、日曜日に家族と都内まで出かけた帰りなどに池袋から所沢まで特急に乗ることができました。
現在もそうですが池袋駅の特急専用ホームには中間改札で特急券のチェックを受けないと入ることができず、また日中に運転される列車では国鉄や小田急の特急のようなワゴンによる社内販売もあるなど、当時の西武の特急には今以上に急行などの一般列車とは違う特別な列車の雰囲気が漂っていました。(そのせいか、駅員や車掌によっては、特急ではなく「特別急行レッドアローちちぶ○号」などと案内する人もいました)
そういうこともあってか、当時特急に乗れるのは年に数回の「たまの贅沢」という感じだったのを覚えています。

ちなみに国鉄の特急に初めて乗ったのは、小学5年だった1982年のGWに家族・祖父母とともに修善寺へ旅行した帰りに修善寺駅から(たぶん)品川駅まで185系電車の「踊り子」に乗った時のことだと思います。(伊豆への行きにどんな列車に乗ったかは覚えてません)
当時すでに修善寺から都内まで乗り換えなしの列車で行こうとすれば「踊り子」の一択だったので自然にこの列車に乗ることになったのだろうとは思いますが、「子鉄」の私としてはまだ登場してまだ半年あまり、185系事態のデビューから数えても1年ちょっとのまだ新しい電車に乗れるということで、それなりにワクワクして乗った記憶があります。
ただ、185系事態は鉄道雑誌などで写真や乗車記をたくさん見たり読んだりしていたせいもあり、新鮮味はあまり感じませんでした。また寝台車や食堂車など子供が興味を惹かれるような設備の車両があるわけでもないので、この時の185系初乗車の印象は正直あまり残っていません。
今から思うと、国鉄特急初乗車が新幹線やブルートレイン、「はつかり」や「ひばり」などといった16:15 2025/03/06食堂車付きの長距離特急だったら、また違った思い出もできたかもしれませんが…

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