鉄道好きたるもの、青春18きっぷのようなフリーパスを渡されると、”いかに長い距離を乗り通すか”を考えがちです。
ほんの何年か前まで、「青春18きっぷ一日分」で東京~小倉間の1,129キロメートルを在来線で乗り通すことができました。JR東日本、東海、西日本、九州の四社に跨った移動です。
コロナ禍での利用減の影響を受けた2021年3月のJRダイヤ改正で、各社が減便や最終の繰り上げを実施した結果、2025年現在では東京から一日で到達できるのは新山口までとなっています。
2024年冬の制度改正で、青春18きっぷのルールが「3日間or5日間の連続使用」に変更されてしまったので、この「青春18きっぷ一日分」という表現も、やがて忘れられてゆくのかもしれません。そもそも青春18きっぷの存在そのものが、いつまでも続くかと問われると微妙な情勢でもあります。
今回は自分にとっての備忘録も兼ねて、2021年の減便改正直前に東京~小倉間を青春18きっぷ一日分で乗り通した記録を残しておきたいと思います。
- 東京(04:41)⇒品川(04:53) 京浜東北線 各駅停車 大船行き
- 品川(05:10)⇒小田原(06:21) 東海道本線 普通 小田原行き
- 小田原(06:22)⇒熱海(06:45) 東海道本線 普通 熱海行き
- 熱海(06:49)⇒浜松(09:19) 東海道本線 普通 浜松行き
- 浜松(09:23)⇒豊橋(09:56) 東海道本線 普通 豊橋行き
- 豊橋(10:03)⇒大垣(11:31) 東海道本線 新快速 大垣行き
- 大垣(11:42)⇒米原(12:17) 東海道本線 普通 米原行き
- 米原(12:20)⇒姫路(14:47) 東海道・山陽本線 新快速 姫路行き
- 姫路(15:07)⇒相生(15:22) 山陽本線 普通 播州赤穂行き
- 相生(15:25)⇒糸崎(18:01) 山陽本線 普通 糸崎行き
- 糸崎(18:29)⇒徳山(21:57) 山陽本線 普通 徳山行き
- 徳山(21:59)⇒下関(23:50) 山陽本線 普通 下関行き
- 下関(23:51)⇒小倉(0:04) 山陽本線 普通 小倉行き
東京(04:41)⇒品川(04:53) 京浜東北線 各駅停車 大船行き
前夜から神田駅近くのビジネスホテルで夜を明かし、午前4時前にはチェックアウト。今に至っても、自分史上最も早いチェックアウトでした。笑
当時はまだコロナ禍も真っ只中、都心のホテルなのに一泊3,000円台というような状況でした。
東京駅まで歩いてやって来ました。旅の始まりは、いつもここから。
最近では観光客でごった返している行幸通りも、コロナ禍×超早朝とあっては、誰一人として人の姿がありません。


小倉までの第一ランナーは、04:41発の京浜東北線大船行き。
この早朝の時間は東海道線の始発駅が品川なので、まずは品川駅に向かいます。
早朝04:25に田端を出発してやって来るこの列車ですが、朝帰りの方や早朝から出かける方など、それなりに需要はあるようです。
品川までは12分ほどの短い乗車。
品川(05:10)⇒小田原(06:21) 東海道本線 普通 小田原行き
品川からの東海道線は、4時台に熱海行きの始発列車が出て行った後、この小田原行きが2本目の列車になります。
モバイルSuicaで熱海までのグリーン券を購入し、誰もいないグリーン車に乗り込みました。
さあ、これで熱海まではのんびりゆったり列車旅。。と思ったのですが。
小田原(06:22)⇒熱海(06:45) 東海道本線 普通 熱海行き
終点の小田原で接続になる熱海行きの列車は、なんと5両編成!つまり、グリーン車が付いていません!笑
平塚始発の熱海行きで、この付属編成の5両のみで運転になる列車が日に何本かありまして、これもそのうちの一本でした。
せっかく熱海までのグリーン券を買ったのですが、結果的に小田原までしか使うことが出来ず、残念無念。


小田原を出てすぐ、根府川や真鶴のあたりで日が昇り始めました。
熱海(06:49)⇒浜松(09:19) 東海道本線 普通 浜松行き
この乗り通し旅行、とにかく息つく暇がありません。5分未満の接続で、どんどん乗り換えです。
”ある程度”まとまった時間が取れるのは、姫路で約15分、そのさき糸崎で約30分です。
持参してきたお茶とチョコレートを頼りに、姫路と糸崎という二大補給ポイントまで凌いでいきます。
沼津を過ぎまして。。
富士のあたりでは進行右手に富士山が見えてきますが、1月というのに冠雪が全然ありません。2020年~2021年シーズンは暖冬だったのですね。
熱海を出てちょうど2時間半で、浜松に到着。まだ朝の9時台です。浜松餃子のお店もやっていません。
浜松(09:23)⇒豊橋(09:56) 東海道本線 普通 豊橋行き
大動脈たる東海道線の面目躍如と言ったところか、接続があまりに良過ぎますね。
豊橋では貴重な7分の接続時間があるので、いったん駅舎に上がってお手洗いへ。
豊橋(10:03)⇒大垣(11:31) 東海道本線 新快速 大垣行き
姫路までは、このアーモンドチョコレートが唯一の食糧です。
豊橋からは座席が転換クロスシートの車両になっており、それまでのロングシートから解放され、幾分楽ができます。
豊橋からはいよいよ途中駅を通過する快速運転の列車となり、名古屋、岐阜というふたつの県都を一気に飛び越して、関ヶ原越えに挑む手前の大垣へ。
大垣(11:42)⇒米原(12:17) 東海道本線 普通 米原行き
JR東海としては最後の区間になる、いわゆる”関ヶ原越え”。古今、東海道本線の難所として知られますね。
峠となる関ヶ原のあたりでは雪は降っていませんでしたが、下り始めの醒ヶ井あたりで雪が降ってきました。
米原(12:20)⇒姫路(14:47) 東海道・山陽本線 新快速 姫路行き
米原からは3社目、JR西日本の区間に入ります。
醒ヶ井あたりから降り出した雪は、米原近辺でもまだまだ降っていました。
JR西日本が誇る看板列車”新快速”で京阪神を一気に通り過ぎ、姫路に向かいます。
東京から長く乗ってきた東海道本線は神戸で終点となり、同時にそこからは山陽本線に入りました。
姫路(15:07)⇒相生(15:22) 山陽本線 普通 播州赤穂行き
米原から新快速で「琵琶湖線」「JR京都線」「JR神戸線」と呼ばれる区間を駆け抜け、姫路に到着。
ここで貴重~~~~な16分間の待ち時間がありました。
まずは補給。姫路駅といえば、ホーム上の「えきそば」。
和だしに中華麺という異色の組み合わせです。戦後の小麦粉が手に入りづらかった時期に、そば粉とこんにゃく粉を混ぜてうどんのような麺を作ったものの保存性が悪く、かんすいを入れて中華麺にすることで改善したのが発祥だそう。
相生(15:25)⇒糸崎(18:01) 山陽本線 普通 糸崎行き
岡山地区に入りました。「末期色」だなんて揶揄される、国鉄型の黄色い115系電車が元気に走り回っていた地区です。
古い電車ですが、座席は転換クロスシートに換装されていて、割かし快適です。
線路の周りはだいぶ山がちになってきました。
政令指定都市である岡山で車内の人が一気に入れ替わると同時に、空の色も赤く変わり始めました。
倉敷を出て、高梁川の橋梁を渡るころには、もう日没が間近です。
17時半近くになると、西日本といえどすっかり真っ暗に。


相生から2時間半、日も完全に暮れた18時過ぎに糸崎に到着。
30分弱の待ち合わせがあるため、いったん改札を出て駅前のセブンイレブンへ。
乗り継ぎ旅のさなかでは貴重な補給ポイントであり、「18きっぱーの聖地」とすら呼ばれるセブンイレブンです。笑
糸崎(18:29)⇒徳山(21:57) 山陽本線 普通 徳山行き
約30分の休憩を終え、旅行を再開。広島を通り越して一気に山口県の徳山へ、なんと約3時間半の乗車。この旅程中、最長の乗車時間になる列車です。
「國鐵廣島」なんて呼ばれて、旧型電車をボロボロになるまで酷使していた広島地区から、それらを放逐した227系電車。通称「Red Wing」。
セブンイレブンで購入してきた食糧で、夕飯。
というかこの太巻き、300円で買えたの??4年間の値段、びっくり。
ちなみに車内はガランガランです。県都である広島近辺でも、乗客は数えるほどでした。
途中、岩国で少々の停車時間。いったん外に出て、体を動かしておきます。笑
コーラが飲みたくて仕方なくなり、岩国駅の自動販売機で買って来ました。
終点の徳山に着くころには、誰もいなくなってしまいました。
徳山(21:59)⇒下関(23:50) 山陽本線 普通 下関行き
いよいよ、”ラス前”の列車です。再び旧型の115系電車。
糸崎から徳山までたっぷり3時間半揺られたあと、解放された~と思ったらまた下関まで約2時間。外も真っ暗で景色も何も無いので、このあたりが一番つらかったですね。笑
景色が無となれば、楽しめるのは音だけです。国鉄型電車の呻りを記録しておきましょう。
下関(23:51)⇒小倉(0:04) 山陽本線 普通 小倉行き
長い長い19時間超の旅路も、いよいよ最終ランナー。最後の一本は、JR九州の区間になります。
本州に別れを告げ、列車は関門海峡をトンネルでくぐって九州へ。
「今日もJR九州をご利用くださいまして、ありがとうございます。」という放送が、なんだか感慨深い。
唯一の途中駅、門司到着が23:59。青春18きっぷ一日分の効力をぴったり使い終える時刻で、終点の小倉駅へ。
思えば19時間23分、1,129キロメートルの長い乗り継ぎ旅になりましたのに、全くダイヤの乱れがありませんでした。素晴らしいことです。
19時間という時間と、お尻の痛みと引き換えに、たったの2,410円で東京から小倉まで移動して来ました。
”移動そのものを楽しめるか”というのは、旅行好きになれるかどうかの重要な分水嶺であります。
正直、小倉に着いた直後は「二度とやるかこんな苦行」と悪態をついていたと記憶しています。しかしながら、人間というのは失って初めて大事なものに気付くもので、今ではどう頑張っても一日では成し遂げられなくなってしまったこの移動、もう一度やりたくて仕方ないのでありました。
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