門司港~西鹿児島間の九州東岸、日豊本線回りの夜行列車は普通列車として伝統的に運転されていた。急行列車に格上げされたのは昭和47(1972)年3月改正時で急行“みやざき”と命名された。その後宮崎~西鹿児島間は普通列車扱いとなる。新幹線博多開業の昭和50(1975)年3月改正は対本州の夜行列車大幅削減により、京都・大阪を結んでいた“日南”の愛称は九州内急行へ委譲され、夜行が“みやざき”から“日南4号”に改称された。10系寝台車と旧形客車で運転されてきた編成は、昭和53(1978)年3月に転機を迎え、20系寝台車と12系座席車に衣替えすることになった。
旧形客車で編成された夜行列車は新形に置換えられるといった便りを聞き、501レ“日南4号”を撮りに深夜の大分駅へと赴く。
501レ“日南4号”は深夜1時22分、大分3番線に滑り込む。乗車客が数多く待っているのは意外であった。門司港を出ると、門司・小倉・行橋・中津・今津・柳ヶ浦・宇佐・杵築・豊後豊岡・別府へ停車して大分に到着する。
車内はいたって空いていた。スチームが漂う3号車はナハ1035〔鹿カコ〕で、窓上のRの付いた水切りが浮かび出ているのがわかる。車体の痛みは引退の時を迎えていることを告げているようだ。
寝台車はオハネフ12・オハネ12・スハネ16の3輛が門司港方上り寄りに連結されている。“みやざき”時代は宮崎方下り寄りに組まれていた。寝台車の連結位置が前後で替ったのはどのような理由だったのだろうか。
6分停車で1時28分発車。大分を出ると臼杵・津久見・日代・浅海井・佐伯・延岡・南延岡・日向市・高鍋・佐土原へ停車して宮崎到着。宮崎で寝台車を解放、普通列車として西鹿児島へ向かう。 大分 S53(1978)/3
“かいもん”と“日南”の編成は郵便荷物車以外は共通で鹿児島運転所の所属であった。運用は“かいもん”102レ→“日南”501レ→“日南”502レ→“かいもん”101レの順序で運転されていたようだ。
趣味誌に掲載された旧形客車から20系+12系置換え時の上り編成がこの表で、3月17日門司港着は旧形最後の上りである。ということは運用順から下りは3月15日門司港発が旧形最終となる。
実は私が撮った編成は3号車ナハ1035なのでこの表の編成に該当する。しかし寝台車6号車と指定席5号車の連結面を撮った写真はオハ47ではなくてナハフ10が写っている。私が撮りに行った編成は5号車欠車もしくは5号車ナハフ10であったかもしれない。ということは運用順序からして下り最終日の4日前だったことが考えられるが真偽の程はわからない。