しかし、西鉄の福岡市内線が順次廃止されますと、昭和51年から昭和54年にかけまして熊本市交通局に4編成譲渡されまして、5000形電車に形式を変更されております。変更の際は、西鉄時代の車番に+4000を足した形として譲渡されておりましたが、この+4000も、昭和50年代に導入されたと言う事からその番号で付番されていた経緯でもあります。
さて、今回再び引退しました5014号に関しましては、新製導入時は福岡市内線で運行されておりましたが、その後約3年間一旦北九州線でも運行されていた経緯を持つ車でもありまして、それから昭和53年まで再び福岡市内線で活躍しておりましたが、福岡市内線で廃車となりまして、この年熊本市電に譲渡されるに至っておりました。
熊本市電では、他の3編成とともに複数の塗装変更がなされておりましたが、この編成のみ平成14年に西鉄時代の塗装であります上部ベージュ・下部マルーンのツートンカラーに復元されておりまして、当時の西鉄時代を象徴させられるような姿へと変わっておりました。
(平成20年撮影)
この電車の特徴としましては、何と言いましても連接車である事ではないかと思いますが、まさに2両固定編成ならではな印象を出しているのではないでしょうか。やはり、両車体の間に台車がある訳でもありますので、見ていてこの電車ならではな所でもありましょうか。
その後、この5000形電車は、平成11年に1編成(5010号)が廃車となりまして、さらに平成21年に新車の導入などもありまして3編成とも休車となりまして、このうち2編成(5011号・5015号)が廃車へと至っておりました(5015号は施設として再活用~現・閉鎖)。そして最後まで残りました5000形電車は画像の5014号のみとなっておりまして、それから長い休車の期間へと進む事になりました。
(平成27年撮影)
そして、8年に渡りまして休車中でありました5014号は、平成28年に特注の部品で修理される事になりました。修理の際には、電気配線やギア部の老朽部品を製造元では生産を終えておりましたので、特注の部品を西鉄の協力でつくりまして、西鉄筑紫車両基地におきまして修理を行った末に平成29年3月に運用復帰へと至っておりました。
平成29年復帰後の姿が画像の姿であります。当時の西鉄電車で見られておりました、マルーンとベージュのツートンカラーがきれいに塗り替えられておりますし、また台車や機器類もきれいに変わっておりまして、上の画像の平成21年撮影当時の頃としますと見栄えも変わっている事がお分かりいただけます。
(連接台車の部分)
ここからは乗車の模様であります。この電車にはパンタグラフの引きひもの姿も見られておりましたが、この引きひもこそ、昔の電車ならではな所ではないかとも思いますし、見ていて懐かしさも感じさせる所でもありましたでしょうか。
(アップ)
この電車の銘板です。先述のように、この電車は昭和32年(1957年)に川崎車輌で製造された電車ではありますが、昭和32年と言う事で、ちょうど復活しました平成29年で還暦となっておりました。それにしても、熊本電鉄の5000系電車も昭和32年製でありましたが、この年になりましてまだ活躍できるようになっていた事は正直ありがたかったでしょうか。
5014号の車内です。車内の化粧板は、これまで通りの薄い緑色となっている事がわかりますが、車内のシートに関しましては、これまで採用されておりました青地のシートから緑地のシートに換装されておりまして、熊本市交通局と言う事で熊本市の市章のカラーであります緑色に合わせておりました。それにしても、シート柄を見ましても広島電鉄の5100形電車(「グリーンムーバーマックス」)のような印象さえも感じさせられる所でもあります。
(シート部アップ)
もちろん、優先座席も存在しておりました。優先座席は青地となっておりましたが、緑と青、見た目からもわかりやすくていいのではないでしょうか。
5014号の運転台です。よく見ますと狭い運転台である事がお分かりいただけますが、ガタイがいい方でしたら少々窮屈ではなかったでしょうか。そういったものこそ昔の電車ならではな所ではありますが、この電車は先述のようにギア部が新しくなっておりましたが、マスコンに関しましてはこれまで通りのマスコンとなっておりました。
ここからは、撮影時に見られておりました、新旧のプレートやステッカーなどの紹介です。
まずは「危険物持込禁止」のプレートでありますが、このプレートをよく見ますと、「西日本鉄道株式会社」とも記載されておりまして、これから西鉄時代のプレートが残されていた事がわかります。それにしても、字体から見ましても昔の電車ならではな所が見られるのもわかるのではないでしょうか。
こちらは、ICカードステッカーでありますが、この熊本市交通局では「でんでんnimoca」と言う独自のICカードを発売しております。このICカードでは、JR九州の「SUGOCA」やJR東日本の「Suica」などが使用できまして、それらカードを利用する事ができておりますので、上の画像にあります読み取り機、そしてその下の画像にもありますようにICカード対応の自動両替機付運賃箱も装備されておりまして、こうした所で近代化が見られておりました。尚、その後はクレジットカードのタッチ決済も採用された事から、その読み取り機も装備されておりました。
(自動両替機付運賃箱)
また、こちらは車内各所にあります押しボタンでありますが、このボタンの新しさからも、再運行に伴い取り付けられたものであるようですが、古い電車にこのような新しい押しボタンが取り付けられているのもまさに復活した証ではなかったでしょうか。
こちらは行先表であります。その下の画像にもありますように、運行開始に伴いまして方向幕も新しいものに交換しておりまして、行先表示を見ましても様々な行先が入っている事もおわかりいただけます。やはり、A系統であります赤い行先、B系統であります青い行先が主ではありますが、それでもそれ以外の行先も正直見たかったです。尚、幕回しは手動で回すようになっておりました。
(B系統、「健軍町」行先)
そして、運賃表であります。撮影当時は、運賃表自体はこれまでのデジタル式をそのまま採用しておりましたが、現在は液晶運賃表に換装されておりました。また、運賃も当時は大人170円・子供90円でありましたが、現在は大人が180円に値上げしております。
この後、私は辛島町電停まで乗車しました。この5000形電車は、普段は平日の朝夕を中心にA系統・B系統におきまして運行されておりまして、いわゆるラッシュ時を中心に運行されておりました。この電車の運行には、ワンマンではなくツーマンの形で運行されておりまして、運転乗務も行う方が車掌も兼務して運行を行っておりました(運行表によります)。
(車掌乗務シーン)
電車は、上熊本駅前電停を発ちます。画像は上熊本電停に隣接します車庫でありますが、この電車も普段の寝床を発ちまして夕方のお仕事へと向けて出て行く所でもありました。
ご紹介しておりますように、この時私自身久しぶりの乗車でありましたが、音も一度休車前まで聴く事ができていた音や、揺れのあるシーンなどが懐かしくも感じられました。私自身も、生まれていない事もありまして福岡時代の事は存じませんが、福岡でもそう言った感じであったのかなと思ったほどでもありました。
さてここからは、超特急スーパーひのくにさん画像提供によります、最終日2月22日の模様であります。運用は、朝上熊本駅前電停よりB系統で健軍町電停まで運行、それからA系統で健軍町~田崎橋間を6往復運行しまして、夜上熊本駅前電停に戻る形でありました。
(行先部分アップ)
東端であります健軍町電停での折り返しシーンであります。行先を手動で変えまして、系統サボも「B」から「A」に変えまして、これから田崎橋電停までを6往復運行する事になります。
こちらは、夕方熊本駅前電停で収められたものであります。この時は田崎橋電停より折り返してきたもののようでしたが、よく見ますと多くの乗客の姿が見られている事がお分かりいただけるのではないかと思います。
そして、こちらは最終運行時の画像です。数往復の健軍町~田崎橋間の運行を終えまして、車両基地があります上熊本駅前電停へ運行する前の姿でありますが、行先の「上熊本」から見ましても、これでこの電車の運行が終わる事を実感するような姿ではないかとも思う所ではありましょうか。
超特急スーパーひのくにさんも、この後ラストランに乗車されまして、上熊本駅前電停まで乗車されておりました。それにしても、ホーム上では多くの乗客らの姿が見られておりまして、まさにラストランを見守ろうとしている姿が実感できるようではないかとも思う所ではありましたでしょうか。
こうして、上熊本駅前電停に到着、この後車両基地へ移動する姿を動画で撮影されておりましたが、やはり周りの「ありがとう」はまさにこの電車に対して感謝をしている事が感じさせられる所でもあります。正直、私自身もラストランを見たかった・乗車したかったですが、遠くから見守らないといけなかった事も仕方なかったかなとも思う所ではありましたでしょうか。
それにしても、今回のラストランでは各所で罵声やマナーが悪い方も見られていたそうでもありましたので、これに関しましては残念に思う所ではありましたでしょうか。それでも上のように無事に終わる事ができた事は正直良かったとは思っております。
今回は、2月22日で引退しました熊本市交通局の5000形電車5014号に関しまして、私自身の乗車の模様・ラストランもご紹介しましたが、この電車は還暦を迎えた平成29年に復活しました電車でもありましたが、その8年後には運行を終了しないといけなくなった事は正直残念に思う所ではあります。それほど先述のように老朽化も見られていた事も要因ではありますが、それでも同僚が姿を消した中で孤軍奮闘ぶりを見せていた事はそれだけ必要な存在であった事には間違いなかったでしょうか。今後、この5014号はどうなるのかはわかりかねますが、とにかくこの電車に対しましてお疲れさんと言いたいと思います。