JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
上田丸子電鉄 特殊補充券(出札用)
廃札券ですが、上田丸子電鉄(のちの上田交通。現在は分社化されて上田電鉄)で使用されていた特殊補充券です。
緑色TTDてつどう地紋の券で、日本交通印刷で調製されたものと思われます。
御紹介の券は駅の出札口で使用されていた駅用のもので、社名の変更によって使用されることが無くなって上田交通の本社で保管されていたものです。まだこのような廃札券類に価値が見いだせなかった頃でしたので、まだネットで情報が仕入れられなかった昭和50年代に上田駅前にあった本社へ情報収集に伺ったところ、「もう使用しないから」と戴いたものです。
裏面の注意書き部分です。まだ列車区間のキロ程が20km以内の区間の乗車券が通用当日限りで下車前途無効であった時期で、かつ税率が2割、特別2等車券の記載があることから、1958(昭和33)年10月から1960(昭和35)年6月の間に設備されたものと推測されます。(大森山谷様から御教示いただきました)
今から51年前の1972(昭和47)年2月20日、同社の真田傍陽線(電鉄上田~真田・傍陽間)が廃線になりました。
真田傍陽線 は、国鉄信越本線上田駅と真田町(現・上田市)の傍陽駅と真田駅を結んでいた路線で、起点の上田駅は別所線の上田駅とは信越本線を跨いだ反対側で、現在の上田ステーションホテルが建っているあたりにあり、電鉄上田駅という駅でした。
上田駅を起点として市街地を時計回りの方向に迂回し、上田城の掘割の中を通り、県道35号線に沿って傍陽駅までを、さらに国道144号線に沿って真田駅を結んでいました。
菅平高原や群馬県への交通手段として、さらには真田町で収穫された高原野菜やリンゴなどの農産物を輸送するための路線としても利用され、それなりの黒字路線であったようですが、上田駅から直接菅平高原へ行くバスが増発されたり、農産物の輸送がトラックに移行したため、1960年代後半から赤字路線に転落し、1972(昭和47)2月20日に廃止されてしまっています。
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課税率が変わったのは昭和37年4月1日。特別2等車券は35年6月末で廃止されているので、この券が該当する期間は1年半もなかったことになります。
特2等の記載を見逃していました。実際にいつまで使用されていたかは不明ですが、かなり前に制度が変わっていますので、制度が適合する時期がかなり狭まって、設備された時期が絞られてきますね。
内容を修正させていただきます。