前回に引き続き、「青ガエル」こと元東急初代5000系に乗車した時の思い出です。
前回も書いた通り、私の「青ガエル」の東急線での乗車経験は1982年か83年頃の一回だけに終わり、その「青ガエル」も1984年には最後まで残っていた目蒲線からの引退をもって古巣の東急の線路上から姿を消しました。
しかしこの「青ガエル」は軽量でサイズがローカル私鉄にとってちょうどいい車体のおかげもあって、多くの車両が福島交通・上田交通(現在の上田電鉄)・長野電鉄・松本電鉄(現在のアルピコ交通)・岳南鉄道(現在の岳南電車)・熊本電鉄と各地のローカル私鉄に譲渡されて第二の車生(?)を送ることになりました。
そんな、各地のローカル私鉄で再度の活躍を始めた「青ガエル」たちも、私がやっと心おきなく長距離の鉄道旅に出られるようになった1990年代前半には新天地でもそろそろ引退の時期が近づきつつあり、結局のところ私が乗車することができたのは、熊本電鉄に譲渡された車両だけでした。この他、乗車中の別の列車からの「見る鉄」ができたのも松本電鉄と岳南鉄道のものだけでした。
それでも、熊本電鉄では短い区間ながら2度にわたり乗車することができたので、今回はその時の思い出を簡単ですが振り返りたいと思います。
最初に熊本電鉄の青ガエルに乗ったのは、確か2000年の夏休みの九州への鉄道旅の時だったと思います。
熊本市電の乗り歩きをした後、JRの上熊本駅のすぐ前にある熊本電鉄の上熊本駅へ向かうと、1面1線だけのホームに北熊本駅行の青ガエル(5100形)が停まっていました。塗装は上半分が水色、下半分が青、その間に白い縁取りのある赤帯が入った派手なものになっていました。
早速熊本電鉄の終点の御代志(みよし)駅までの乗車券を買い(一日乗車券を購入したのかも?)、やがて私も含め数人の乗客を乗せて発射。
車窓は10数年前に青ガエルに乗って眺めた目蒲線のものとはもちろん異なり、単線のせいか家並みなどの間をすり抜けて走るように感じた区間が多かった記憶があります。
スピードも目蒲線で乗った時よりもさらにゆっくりした走りでしたが、やはり線路状態の差か、揺れは結構激しく吊り革が派手に揺れ動いていたのを覚えています。
青ガエルの車内はワンマン運転用の運賃箱などが設置されてはいるものの、それ以外は東急時代と大きな変化はないようで、地方私鉄へ譲渡された元東急車両の「あるある」ともいえる「東急百貨店」などの広告ステッカーが貼られたままの吊り革も見ることができました。
ただ、座席モケットが一部破れたのかガムテープで補修されているのが痛々しく、熊本の青ガエルの余命もそう長くはないことを予感させられました。
上熊本から7~8分ほどで車庫のある北熊本駅に到着。
乗ってきた電車は北熊本折り返しなので、乗り換え時間の間にもう一度じっくり青ガエルを眺めて藤崎宮前駅から来る御代志行に乗り換えました。
そしてそれからしばらく経った2007年の夏休みにやはり九州へ行った際に再び熊本電鉄に乗りに行きました。
この当時の熊本電鉄の青ガエルは、6両転入したうちの2両がまだ健在で、しかも塗装は東急時代の緑一色に戻されていました。
7年ぶりに乗った青ガエルは塗装もきれいで車内もきれいに整備されていてまだまだ現役で頑張っていることを主張するかのようでした。
この時は上熊本ー北熊本間を往復乗車し、上熊本・北熊本両駅での停車時間には前回できなかった写真の撮影をたっぷりとすることができ、熊本電鉄の青ガエルのよい記録を残すことができました。
私がこの時乗車した5101A号車は、最終的に2016年2月まで現役を続け、各地の地方私鉄に移った青ガエルの中でも最も長生きした車両となり、引退後も北熊本の車庫で運転体験のイベントなどで構内走行することがあるようです。再び本線走行するのは難しそうですが、最後の動く「青ガエル」として末永く動態保存されてほしいものです。