
(承前)
抜海駅から4325D列車に乗りました。
次の駅は南稚内です。
次といっても11.7キロもあります。
南稚内駅が近づく頃になると、ようやく住宅などが車窓に見えてきますが、それまではひたすら雪原や丘陵が続きます。
雪がない季節なら、そこが牧草地なのか湿原なのかといったことが分かるのでしょう。
しかしいまは、1月末なので、車窓の風景は、雪と裸木ばかりのさびしくも厳しいモノクロームの世界です。
筆者は、車窓を眺めながら、ドイツ・ロマン派の画家フリードリヒが描く冬景色の絵を思い出します。
「崇高さ」という語も念頭に浮かびます。
フリードリヒと、文学方面のシュレーゲル兄弟やノヴァーリス、ヘルダーリンといった人たちが、ほんとうに同じ精神的気圏の中にいるといっていいのか、共通する思想はどこなのか、といったことが気になっているのですが、それは今後の勉強の課題です。

一瞬、視界が開けました。
下の方に道道106号稚内天塩線が並走し、さらに奥には鉛色の日本海が望まれます。
夏の好天のときなら、絶景ポイントでしょう。
地図を見ると、宗谷線の線路が道道106号の近くまで来ている箇所があることがわかります。
こんなに接近していても、宗谷線は海岸段丘の上のルートを取り、道道106号が伸びる海岸沿いには一度も降りてこないのです。
留萌―苫前間の旧国鉄羽幌線が一貫して日本海沿いの低地を走っていたのとは対照的です。
もし抜海漁港の近くに駅をつくっていたら、住民には便利でしょうが、汽車は勾配の上り下りを強いられ、速度も遅くなっていたことでしょう。
海岸段丘を上ったり下りたり、あるいは河谷の奥と海岸線を行ったり来たりするのを繰り返すルートをとると、近年廃止となった日高線の区間のように、所要時間が延びてしまいがちです。
キハ54系の車内。
ボックスシートの坐席でないぶん、キハ40よりは新しく感じられますが、そこは昭和の国鉄型車輛。
天井には扇風機がついています。
列車はもちろんワンマン運転なので、乗った駅で整理券を取り、降りる駅で現金といっしょに現金箱に入れます。
そのへんの手続きは、列車というよりも路線バスのようです。
南稚内駅は特急も停車する有人駅なので、降りてから駅員に整理券とお金を渡します。
340円でした。
稚内まで行かずにひとつ手前の南稚内でおりたのは、このあたりも市街地であり、むしろ地元民向けの飲食店は稚内駅のほうよりも多いのではないかと推察したためです。




その推察は、半分当たり、半分外れでした。
たしかにお店は多いのですが、夜にならないと開かない飲食店ばかりだったのです。


開店しているお店もいくつかありましたが、どうもピンとこないというか、入ってみる気がおきません。
ネットでさがして、歩いて10分余りの住宅地の中にあるラーメン屋まで足を延ばすことにしました。
ここなら観光客もやって来ず、地元民に支持されている店なのではないかという気がなんとなくしたのです。
先ほどタクシーで渡った「抜海道路踏切」を徒歩で再び渡ります。
しかし、無情にも、玄関には
「本日休業」
の札がさがっていました。
やれやれ。
がっかりして、南稚内駅のほうまで戻ってきました。
しかたなく、牛丼チェーン店の「S」に入りました。
「なんでここまで来て…」
と内心思いましたが、やむを得ません。
この店は日本最北の牛丼チェーン店のようです(ここから北には、当の「S」も、「Y野屋」や「M屋」なども立地していない)。
寒かったので、豚汁付きセットメニューにしました。
ほかに選択肢がすくないということもあるのでしょうか、サラリーマンや若者、家族連れなど多彩な客層が次々と入っては出ていきます。
かなり繁盛しているようで、店員もてきぱきと働いていました。
意外な収穫は、食後に飲んだ「フェアトレード・コーヒー」が、バランスの取れた味わいでかなりおいしかったこと
Mサイズ110円(税込み)という価格も、一部コンビニエンスストアより安いです。
この後、さらに西に向かい、稚内唯一のデパート「西條」で時間をつぶしました。
西條にファミリーレストランがあり、ラーメンはもちろんいろんなメニューがそろっていたことに気づきましたが、後のまつりです。
西條は名寄、枝幸、稚内にお店があり、規模としては西友やヨーカドーのような感じです。
もしこれらのマチに西條がなかったら、どんなにさびしいことでしょう。
稚内店の2階には本屋もありました。
郷土資料的なものがあれば手に入れようと思っていましたが見当たりません。
弥生書房の詩集シリーズが5冊置いてありました。いずれも千円以下です。
「稚内で北原白秋やハイネの詩集を買うのもオツかもな」
と一瞬思いましたが、荷物になるのでやめました。
抜海の漁港も駅も訪れたので、あとは札幌に帰るだけです。
とはいえ、せっかく稚内に来たのですから、宗谷岬まで足を延ばすことにしました。
ところが、思わぬ展開が待ち受けていたのです。
抜海駅から4325D列車に乗りました。
次の駅は南稚内です。

南稚内駅が近づく頃になると、ようやく住宅などが車窓に見えてきますが、それまではひたすら雪原や丘陵が続きます。
雪がない季節なら、そこが牧草地なのか湿原なのかといったことが分かるのでしょう。
しかしいまは、1月末なので、車窓の風景は、雪と裸木ばかりのさびしくも厳しいモノクロームの世界です。

「崇高さ」という語も念頭に浮かびます。
フリードリヒと、文学方面のシュレーゲル兄弟やノヴァーリス、ヘルダーリンといった人たちが、ほんとうに同じ精神的気圏の中にいるといっていいのか、共通する思想はどこなのか、といったことが気になっているのですが、それは今後の勉強の課題です。

一瞬、視界が開けました。
下の方に道道106号稚内天塩線が並走し、さらに奥には鉛色の日本海が望まれます。
夏の好天のときなら、絶景ポイントでしょう。
地図を見ると、宗谷線の線路が道道106号の近くまで来ている箇所があることがわかります。
こんなに接近していても、宗谷線は海岸段丘の上のルートを取り、道道106号が伸びる海岸沿いには一度も降りてこないのです。
留萌―苫前間の旧国鉄羽幌線が一貫して日本海沿いの低地を走っていたのとは対照的です。
もし抜海漁港の近くに駅をつくっていたら、住民には便利でしょうが、汽車は勾配の上り下りを強いられ、速度も遅くなっていたことでしょう。
海岸段丘を上ったり下りたり、あるいは河谷の奥と海岸線を行ったり来たりするのを繰り返すルートをとると、近年廃止となった日高線の区間のように、所要時間が延びてしまいがちです。

キハ54系の車内。
ボックスシートの坐席でないぶん、キハ40よりは新しく感じられますが、そこは昭和の国鉄型車輛。
天井には扇風機がついています。

列車はもちろんワンマン運転なので、乗った駅で整理券を取り、降りる駅で現金といっしょに現金箱に入れます。
そのへんの手続きは、列車というよりも路線バスのようです。
南稚内駅は特急も停車する有人駅なので、降りてから駅員に整理券とお金を渡します。
340円でした。
稚内まで行かずにひとつ手前の南稚内でおりたのは、このあたりも市街地であり、むしろ地元民向けの飲食店は稚内駅のほうよりも多いのではないかと推察したためです。




その推察は、半分当たり、半分外れでした。
たしかにお店は多いのですが、夜にならないと開かない飲食店ばかりだったのです。



ネットでさがして、歩いて10分余りの住宅地の中にあるラーメン屋まで足を延ばすことにしました。
ここなら観光客もやって来ず、地元民に支持されている店なのではないかという気がなんとなくしたのです。
先ほどタクシーで渡った「抜海道路踏切」を徒歩で再び渡ります。

しかし、無情にも、玄関には
「本日休業」
の札がさがっていました。
やれやれ。
がっかりして、南稚内駅のほうまで戻ってきました。
しかたなく、牛丼チェーン店の「S」に入りました。
「なんでここまで来て…」
と内心思いましたが、やむを得ません。
この店は日本最北の牛丼チェーン店のようです(ここから北には、当の「S」も、「Y野屋」や「M屋」なども立地していない)。

寒かったので、豚汁付きセットメニューにしました。
ほかに選択肢がすくないということもあるのでしょうか、サラリーマンや若者、家族連れなど多彩な客層が次々と入っては出ていきます。
かなり繁盛しているようで、店員もてきぱきと働いていました。

意外な収穫は、食後に飲んだ「フェアトレード・コーヒー」が、バランスの取れた味わいでかなりおいしかったこと
Mサイズ110円(税込み)という価格も、一部コンビニエンスストアより安いです。

この後、さらに西に向かい、稚内唯一のデパート「西條」で時間をつぶしました。

西條にファミリーレストランがあり、ラーメンはもちろんいろんなメニューがそろっていたことに気づきましたが、後のまつりです。
西條は名寄、枝幸、稚内にお店があり、規模としては西友やヨーカドーのような感じです。
もしこれらのマチに西條がなかったら、どんなにさびしいことでしょう。
稚内店の2階には本屋もありました。
郷土資料的なものがあれば手に入れようと思っていましたが見当たりません。
弥生書房の詩集シリーズが5冊置いてありました。いずれも千円以下です。
「稚内で北原白秋やハイネの詩集を買うのもオツかもな」
と一瞬思いましたが、荷物になるのでやめました。
抜海の漁港も駅も訪れたので、あとは札幌に帰るだけです。
とはいえ、せっかく稚内に来たのですから、宗谷岬まで足を延ばすことにしました。
ところが、思わぬ展開が待ち受けていたのです。
(この項続く)