徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

72系970番代が存在した時期の仙石線はどのような時期だったのか

今から50年前の1975年2月1日,仙石線に新型車両が導入されました。車体は最新の103系と同じながらも足回りは従来のままとした72系970番代が導入,その一番列車が運転を開始しました。72系970番代が存在していた時代の仙石線はどのような状態だったのでしょうか。

約30年振りの新車両の直接導入

72系970番代は車体こそ72系の機器流用によって誕生したものの,車体は紛れもなく当時首都圏に導入されていた高運転台仕様の103系そのものであり転属を挟まず仙石線へ直接導入された仙石線としては初の新車両の投入となりました。これは1946年に宮城電気鉄道が発注し国鉄が購入したモハ800形の増備車4両以来29年振りの事でした。ただし,あくまでも改造車である為完全新車では無く,この時点では従来の72系と同一の形式であるという型となりました。実際,駆動方式は吊り掛け駆動のまま,パンタグラフはPS13と72系の部品を主にそのまま使用しています。また,台枠に関してはよく改造時に新造した72系相当の台枠を使用しているという記述が見られるものの,実際には誤りであり,72系970番代は種車の台枠をそのまま流用している事が確認されています。72系970番代は1974年の末より改造が開始され,1975年2月1日に営業運転を開始する事となりました。

(103系改造後) 画像出典 裏辺研究所 デューク様

72系970番代が居た時代の仙石線

72系970番代が導入された1975年前後の仙石線はどのような状況だったのでしょうか。この72系970番代が導入された目的にはある車両の置き換えとサービスアップが目的でした。72系970番代が置き換えた車両というのが20m級3扉のセミクロスシート車であるクモハ54・クハ68・モハ70の3形式でした。モハ70以外のクモハ54・クハ68はどちらも戦前製の車両であり老朽化が進行していました。同形式の置き換えという事からも主軸となる運用は快速列車となり特別快速や快速列車に72系970番代を優先的に充当する事となりました。4両5編成の計20両が出揃った段階では同車は配置時の12両残っていましたが3月以降には大糸線に一部が転属した以外は1977年までに全てが廃車となり仙石線の在籍車両は全てが72系で統一される事となります。

また,72系970番代にはもう一つの目的を持って導入されました。以前より仙石線では通勤環境が問題視されていました。1966年に72系が導入された当初,17m級のクモハ11が主力だった中20m4扉と収容力が高い72系は通勤輸送力の改善が期待されたものの,別の問題が浮上します。72系は4扉でかつ3段窓という63系由来の設備のままの状態であった事から隙間風が入ってくるという問題が浮上したのです。当時の河北新報の記事によれば,1969年には利用客が暖房強化を求めて仙台鉄道管理局へ署名を提出しており,寒冷地対応の新車を直接導入して欲しいという声があったようです。当局の方でも72系やクモハ54の半自動化を行ったり暖房増設などを行ったものの,抜本的な対策としてはまだ不十分でした。この状況を打開する為にも72系970番代は導入されたのです。72系970番代はこの要望に答えるように暖房能力が従来の72系よりも強化されており冬場の車内環境が改善された事が確認されています。72系970番代はその後快速列車の主力車両として活躍し,1980年に従来の72系が全廃した後も仙石線で走り続け1984〜85にかけて103系に置き換えられたのち,川越線で103系として再起を果たす事となります。

終わりに

72系970番代が導入された目的に車両置き換えとサービス改善という二つの目的を持って導入されたのです。車体更新車であったとは言え,同車が仙石線に与えた影響は大きかった事が分かります。