今日はKATOの12系、整備した予備車3両をどう使うか?の話です。増結して6+6の12連、’85年頃の表題列車;急行ばんだい・ざおうを再現します。実車写真を交えて記載、走行動画も出て来ます。
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通常はJR東日本時代;9両編成の急行ざおう81/82号運転ですが、整備した↓増4~6号車、急行ばんだいのサボシール(自作)を貼った車両を増結して12連に..(写真左が増4号車)
ED75 700重連牽引を楽しみます。ED75 734+ED75 705で運転しました。前者は24系夢空間編成、後者は14系”サロ東”の先頭に立っている機関車を持ってきました😁。いずれも'85年には福=福島在籍だった機番です。
これは丁度40年前;国鉄時代に撮影した実車写真です。見落としていて不意に後ろからやって来た夕方の列車、12系客車1両目しか写らなかったので実際12連だったか?の確証は無いんですが😅、
1985/08 東北本線 新白河-白坂 8102レ
1985年の時刻表復刻版に臨時急行ばんだい・ざおう52号として掲載されていた列車で、新庄発の6連と会津若松発の6連が併結して郡山から12連、福島区のED75 700重連牽引だったものと推測します。これを模型で再現しよう でした😁。板谷峠をEF71やED78牽引で越えて来た列車と、ED77牽引で磐西を走って来た列車が郡山で併結、国鉄時代はそれぞれ6両が基本、JR化後の3両運転とか無かったと思います。下りは夜行、上りは昼間の運転で黒磯で直流機(EF65PFかな?)に交代、夜上野に到着でした。
1~6号車がざおう、増4~6及び7~9号車がばんだいという設定になります。7~9号車はざおうサボのままとか、東オク編成に増結車は国鉄時代の北オク(右)が混ざるとか色々と矛盾は発生するんですが、
あくまでも9両編成の急行ざおう単独、JR東日本時代を通常の姿としています。
以下記事↓に載せた写真、板谷峠末期の臨時急行ざおう82号です。2列車併結ではなくなっていましたが、下り夜行、上り昼行の運転スタイルは国鉄時代からの伝統を受け継いでいたのかも知れません😁。
1991/08 奥羽本線 板谷駅付近 9402レ ざおう82号
(模型車両はリニューアル製品になる前です。)
12両運転の走行動画です。40年前の記憶に残る姿に近いイメージ、後追いで撮ってみました😁。7~9両目が増結車になります。
時にはこういう運転もいいな~ と思います。元々12両運転を想定して残していた予備車=旧製品が見劣りするため結局増結をやらなかった😅から始まった話↓、リニューアル品の予備車を整備して運転体制が整いました😁。
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