皆さんこんばんは。 前回の続きからです。
急行河原町行 7304F。 見にくいんですけど この黒地に黄色の急行幕が好きでしてねえ。
臨時急行嵐山行8314F。 嵐山行の臨時急行は、梅田発で9時ごろから11時20分ごろまで1時間に4本 合計11~12本ほど運転されていました。 午前中は嵐山行 午後から梅田行の変則運転でした。 6両編成が10本程度必要になっていたので 2+6に分割できる編成も総動員で運転されていました。
次の臨時急行は総持寺駅で。
臨時急行嵐山行 8311F。 初期型額縁スタイルの臨時急行も記録できました。
この列車が 午前の最終だったので このあとは正雀車庫に向かいました。
1995年震災のあったこの年 正雀車庫一般公開は 中止も言われていたのですが、復興を応援することだったかで静かに開催されていました。
JR側の敷地に保存されている車両の展示が主な内容でした。 P-6 新京阪100系電車。確か まだ動態保存にはなっていないはずでしたが、車内は開放されていました。 でも 車内の写真は撮ってないんです。 残念。
箕面有馬電気軌道1形電車 1号車。 1910年の開業と同時に走り始めました。 1957年に保存が決定し、一時期は、宝塚ファミリーランドの乗り物館で公開されていましたが、閉園後は、正雀車庫に移設保存されています。 そういえば 今年フェスティバルに行った時は見なかったですね。
阪神急行電鉄900形電車のトップナンバー900号車。 1930年に製造された神戸線特急世に製造されました。 この後の阪急スタイルの礎となった車両です。
右奥の車両は フイルムの関係で撮影できず。 こちらを記録していました。
修理中の車両群。 震災発生から3ヶ月。被災した車両は正雀車庫に集められて修理の真っ最中でした。
左から2両目の連窓の車体は 確か2842号車で 3072Fに組み込むために改造中だったかと思います。
反対側から見ました。
左手前が、7027号車。震災の日 三宮駅を発車直後に脱線した編成です。
その隣の2両は、どちらか不明ですが 2251号車6125号車だったと思います。 宝塚大劇場の横で被災した編成です。
工場内では 被災した車両で一杯の大変な状況の中でも 公開してくださった阪急電車さんには、感謝でした。
その阪急電車では、宝塚線の乗務員さんが企画した撮影会が実施されるようです。
申し込みは今日2月13日から見たいですが。
8000系5編成を集結させた 撮影会です。
御覧頂きましてありがとうございました。