
去日、115系 D-26 D-27編成のラストランそしてファイナルイベントにて、一緒に撮影会を務めた115系 N-04編成です。
ただ、撮影したのはそれよりもだいぶ前となる、昨年の9月29日です。
1982(昭和57)年11月ダイヤ改正。
それまで湘南色6両編成で運転されていた115系が、シティネットワークとして大増発されるダイヤが組まれました。



ダイヤ改正よりも少し前、115系3000番台が先行投入されて、突然現れて走り去って行った姿に、呆気に取られた思い出があります。
クリーム色に青いラインが入っただけのカラーリングに、たった4両の短い編成。
広島専用形式が新車で配備された嬉しさと、これまでのアイデンティティが否定されたような喪失感とが、心の中で交差して複雑な心境な高校3年生でした。
当時、広島の快速列車と言えば153系で、朝のラッシュ時の下関行きは急行時代を彷彿させる12両編成での運転。



中には老朽化が著しい車両もあったのですが、まだまだキレイでしっかりしていた153系も、乗降にかかる所要時間が問題となって、115系3000番台の新車投入へとなりました。
京阪神エリアで新快速が153系から117系へと置き換えがなされ、広島エリアでも117系のボディを持った115系が投入されたのですが。
結局、2ヶ所しか扉が無いことが足枷となり、下関エリアへ全編成が追いやられて、現在に至ります。
所属表記が広ヒロではなく広セキでもない瀬戸内色ですけれど、やはりこの電車にこのデザインは高校からの青春の思い出です。



並んでいる黄色い115系も同じ3000番台で、N-16編成はかつて117系だった3500番台を組み込んでいます。
岩国~下関区間は閑散エリアでもあるので、広島色や快速色もリバイバルしたら、観光資源として地域貢献になるのでは?とも思ってしまいます。
が、ニュースなどで見る、お金を落とさず迷惑や犯罪紛いばかりぶちまける、そう言う人が多く訪れることになるやも知れないので、難しいのかも知れませんけれど。
もうねぇ、齢を重ねてくると昔々の日常が、懐かしくて恋しくて、心の中が少し空洞化してしまうもので、そう言った懐古的な物を欲してしまうんですよ。