列車は府中に向け出発。
三次の次は八次。
三次は「みよし」だが八次は「やよし」ではなく普通に「やつぎ」である。
男は黙ってサッポロビールを飲みながら到着した駅は
神杉。
いい味出してんな。
そして塩町へ。
塩町・・・そう、福塩線の「塩」を担当の駅がここである。
福山と塩町を結ぶ線、それが福塩線なのである。
塩町で芸備線を左に分け、福塩線へと入っていく。
福塩線も負けずと山深い。
トンネルをくぐり
集落駅へと向かう。
甲奴とか上下とか中学・高校の頃は「どこの世界よ?」って感じだったがこの辺である。
我が母校、広く県内・・・特に県北から生徒が集まってくる。
時に県境を越えて島根からも。
で、甲奴やら上下やら吉舎やらかも集まってきてたけど、当時は「どこ?」って感じだった。
西城とか東城とかね。
寮やら下宿があったから、県北各地から集まってたなぁ。
そして終点の府中にとうちゃこ。
いったん下車。
ここから先は電化区間。
懐かしの105系である。
福塩線の105系、もともとベースは黄色なんだけど可部線同様車体にラインが入っていた。
今はこの通り真っ黄色(末期色)である。
跨線橋を渡り反対側のホームへ。
ま、もうちょっとしたらまたあれに乗って三次に引き返すんですけどね。
105系・・・以前は可部線でも走ってましてね。
僕の中で可部線と言えばこれ。
色は違いますけどね。
福塩線も可部線もNゲージで持ってる。
最近Nゲージ走らせてねーな。
久々にレイアウトに行ってみようかね。
これもNゲージで持ってる。
ただしカラーリングは三江線。現状の山陰線で走っている車両である。
ここ、可部線で言えば以前の可部駅のポジション。
福山ー府中間が広島ー可部間、府中ー三次間が可部ー三段峡間に当たるイメージ。
昔から福塩線は備後の可部線と思ってた。
昔はキハ40系が走ってたんだろうね。
高校時代の同級生、吉舎出身のタカオはこの120形を見た時に「銀色のめっちゃかっこいい車両が走ってる」「あんなのが福塩線を走っていいのだろうか!?」とか言ってたけど僕的にはキハ40形の方が好きである。
きっと広島色で走ってたんだろうな。

↑これ
そして
福山に向け出発!
また逢う日まで。
そして改札の外に出る。
懐かしいよね。
自動改札に毒されていないのがいい。
昭和だねぇ。
昔の可部駅を思い出すわ。
帰りは17時07分発。
それまで自由時間。
東京にもありますけど
ここにもあります。
通常頭に「備後」がついてもおかしくないんだけどね。
ちなみに山陽線にある「赤坂」駅にはきっちりと「備後」がつき「備後赤坂」駅となっている。
駅前はこんな感じ。
ここにも田中学習会と東進が。
県内に幅広く展開してますな。
駅舎に戻る。
三次駅ではみどりの窓口が無くなっていたが、ここ府中駅でもみどりの窓口が無くなっていた。
つーかやりすぎだよなと思いながらも時代の流れかなと。
その代わりに置かれたみどりの券売機で切符を買ってみる。
接続待ち。
買いたい乗車券は帰りの乗車券。
浜田から宝塚までの乗車券である。
朝の一発目に三次駅でも買おうとしたんだが、自動で買えるのは当駅を起点とする場合(終点も?)のみ。
別の駅発の乗車券は買えなかったので駅員氏に確認するとその場合はオペレーターとのやり取りになるという。
でまぁ府中の駅で時間があるので府中駅でオペレーターさんと話をしながら買おうと思ったのである。
あ、つながった。
オペレーターのお姉さんとお話をする。
すると「この場合は買えません」とのこと。
え~マジで!?
だが事情を聞かれ「バスで浜田駅に向かうが乗り換え時間が短くて乗車券を買えないかもしれないのであらかじめ買っておきたい」と伝えると「そのような正当な理由であれば大丈夫です」となり買えることになった。
「浜田から宝塚まで」と伝えるとお姉さんが経路を示してくれて、こちらが画面で確認。
初めは浜田ー益田ー新山口ー尼崎ー川西池田の経路が出たが「いや、そうじゃなくて山陰線と福知山線経由」「鳥取経由で福知山から福知山線に入る」と説明すると上の画面となりこちらで無事購入。
最後にどういう時が買えてどういう時が買えないのかを確認。
基本的には発駅(着駅)のものしか買えないんだが、今回の僕のようなケースはOKとのこと。
なんで?と思ってたら正当な理由があればOK。ただし、A駅からB駅に行く場合に、途中の区間を切って買うと安くなる時があるでしょ?ああいうのは不可って言ってた。
多分JRからすれば本来の買い方ではないし発券するにも煩雑なんだろうな。手間も時間もかかるし。
切符買えた。
まぁみどりの券売機でオペレーターさんから切符を買う術を身につけた。
つーかこの時はなんか知らんけど宝塚までの乗車券を買っちゃったんだよね。
ほんとは川西池田まで買わねばならなかったんだが。
帰りね、こうのとりで帰るんですよ。
で、そのこうのとりを降りるのが宝塚。
それが深層心理にあって宝塚って頭になってたんだな。
福山にも大学がある。
広島で「福大」と言えば福岡大学ではなく福山大学。
母校の同級生でここの薬学部を出て薬剤師になった子がいたな。
ところで福島とかに行けば福島大学は「福大」とか呼ばれてるのかな?
福井大とかもそうなのかな?
というわけで懐かしいラッチを通ってホームに向かった。
続く