みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。

来年(2025年)で、京阪特急の誕生から75年。本題の「8000系」について取り上げる前に、その歴史について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示や、手元の参考文献などにも触れながら項を進めています。
前回より、京阪特急の第4代目専用車両「1900系」について取り上げています。守口市にて。

大阪という大都会に近い割に、鬼門と呼ばれる北東方向に路線が延びていたため、開発が進んでいなかった京阪沿線。しかしながら、昭和30年代に入ると、沿線の開発が劇的に進んで来ました。地上駅時代の京橋駅の混雑。出典①。
そして、京阪電車の悲願だった大阪市内中心部「淀屋橋」へ地下線で延伸を果たしたのが1963(昭和38)年4月のこと。
これにより沿線が一気に近代化する中で、京阪電車のフラッグシップとして活躍を続けたのが「1900系(右下)」でした。出典②。


先ほど触れたように、支線での運用が主だった格下げ後の「1900系」。しかしながら、朝夕には本線の急行や準急、区間急行として充当される運用も幾つかありました。淀屋橋にて。
同じ5両編成の「2600系」と運用は共通だったようですが、これに出会った時はうれしかったのをよく覚えています。

そのうち、夕方のラッシュ時に出町柳から樟葉へ運行されていた「準急」に充当されていた編成にある日、運良く遭遇。
2000(平成12)年6月、伏見稲荷にて。当時、この駅近くの大学に通っていたブログ主撮影。

下位種別(区間急行、普通)の運用が主だったために、準急運用の際は行き先の入ったコマはなく、種別表示のみ。珍しいものでした。
さらに、大阪方の朝夕の区間急行運用でも、この頃は割に出くわしました。同、守口市にて。
京阪電車の「区間急行」は、守口市を出ると京橋までノンストップ。その守口市の下手から京橋手前までは、1933(昭和8)年にはすでに高架複々線化されていたのですが、およそ3kmにわたって、直線区間がひたすら続くところ。
ここを、最高時速110km/hでぶっ飛ばす姿たるや。特急時代を知らないわたしでさえ、その乗り心地の良さを噛み締めながら、でした。グーグル地図を加工。

とかく「1900系」は、他の車両とは雰囲気も、乗り心地も明らかに違うものでした。
片開き式の一枚扉は、ゴロゴロゴロ、バンといいながら閉扉。空気バネ台車という高性能な台車を履いていたからでしょうか、動き出すとほわん、ほわん、と縦揺れするのですが、高速走行に入ると、あるはずの揺れさえも包みこまれるような感がしたものでした。
表現が難しいのですが、なんだか車両と一体化しているような、といいましょうか。古い車両ではありましたが、乗り心地は最高でした。
いまでも、これと同じ乗り心地の電車には出会ったことがありません。中書島にて。



そして「中之島線」開業の前日の2008(平成20)年10月17日に、最後の2編成が定期運用を終了。その後、同年12月のさよなら臨時特急運転を最後に引退しました。枚方公園にて。



そして、淀屋橋延伸開業を期して1963(昭和38)年春にデビューした新造車、合計28両。
顔つきはまったく異なりますが、どちらも、車体や内装、性能には変わりがないために、前者は「1900系」に編入され、活躍を続けました。
ただし、一般通勤型車両へ格下げされた後は、「1810系」から編入されたグループは1両を除いて中間車に改造されます。伏見稲荷にて。
先頭車両は淀屋橋延伸を期して登場した、新造車両のグループが殆どを占めました。
例外は、この「1914号車」でした。
車体改修工事を施された先頭車両のうち、これだけが「1810系」からの編入車両を改造したもので、ヘッドライトが角型になっているのが特徴でした。
さらに、元車両にはなかった銀色バンパーも追加されるという、念の入れようでした。このあたりが大変京阪電車らしいもの。守口市にて。

いや、引退からもう20年近く経過するのですが乗り心地然り、どっしりした存在感然り、思い出話しは尽きません。「宇治線」直通の「宇治快速もみじSPECIAL号」に充当された姿。
大阪から急行で通学していた大学4年間、これが丹波橋で待っていたならば、それだけでテンションが上がったものです。わたしも、若かったですね(苦笑)淀屋橋にて。
次回に続きます。
今日はこんなところです。古川橋にて。
(出典①「私鉄ガイドブック・シリーズ 第5巻 阪急・京阪・阪神」慶應義塾大学鉄道研究会編 誠文堂新光社刊 昭和42年12月発行)
(出典②「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 2011年3月発行)