阪神電鉄の普通電車用車両として65年にわたり親しまれた「青胴車」のうち、最後まで活躍を続けていた5001形1編成が本日の運用をもって引退しました。
阪神「青胴車」は、並行する国鉄(JR)や阪急神戸線に比べ駅間距離が短いなど高速運転に不利な路線環境の中で、特急や急行といった雄踏列車を高速運転させるべく開発された加速性能も減速性能も高い普通電車用車両です。その加速性能の鋭さから「ジェットカー」のニックネームもあり、これは「青胴車」ではなくなった現役の5500・5550・5700系にも受け継がれています。
「青胴車」の通称は、1959年に登場した5101形から普通電車用車両の塗装として車体上半分がクリーム色、下半分がウルトラマリンブルー(紺色)のツートンカラーが採用され、ほぼ同じ塗分けで下半分がバーミリオン(赤)の急行用車両が「赤胴車」と呼ばれたのに対し普通電車用車両は「青胴車」と呼ばれるようになったものです。
以来、「赤胴車」「青胴車」は阪神電車のシンボルとして長く活躍をつづけることになりますが、近年の阪神の新型車両では雄踏列車用車両は赤系、普通用は青系という基本は守りつつ外装のデザインや色調も大きく変化し、一方で既存の「赤胴車」「青胴車」は車両の老朽廃車やリニューアルによって徐々に数を減らし、一足早く現役を引退した赤胴車に続き今回青胴車もその長い歴史に幕を下ろすことになったものです。
さて、この「青胴車」が運用されてきた阪神電鉄の普通電車ですが、その主な運転区間は1968年4月に阪神電鉄が阪急電鉄とともに神戸高速鉄道・山陽電鉄との相互直通運転を始めた後も阪神線内の梅田(現在の大阪梅田、以下同じ)ー元町間が主体で、早朝・深夜に神戸高速線内の新開地駅や高速神戸駅まで乗り入れる列車は少数あったようですが山陽電鉄船内まで乗り入れる普通電車は設定されたことがなかったようです。
しかし、2006年10月に行われた阪神電鉄のダイヤ改正で、平日の朝に3往復、阪神の普通電車が山陽電鉄の東須磨駅まで乗り入れるようになったことを当時のブログ友達の方に教えていただき、これはレア列車なので一度乗っておこうと翌年の春に関西への鉄道旅の際に乗ってみることにしました。
当日、正確な時刻は忘れましたが7時半前後発の直通特急で阪神梅田駅を出発。
この列車は今回の目的の東須磨行普通3本のうちの1本目の列車に途中の御影駅で追いつくので、ここでその東須磨行に乗り換えました。
車両は形式は忘れてしまいましたが「青胴車」で、全面・側面の行き先表示幕にもちゃんと「普通 東須磨」と表示されているのが新鮮でした。
車内はラッシュ時間帯の8時前後ながらところどころ空席も見られる程度の乗車率だったように記憶しています。
阪神本線はそれまでにも何度も乗車したことがありますが、その時はたいてい直通特急や特急に乗ることが多く、普通電車に乗ったのは確かこの時が2度目でした。
区間としては短いながら普段は優等列車で通過する各駅に停車しながら走る普通電車に乗るのもなかなか新鮮な気分でした。「ジェットカー」の別名の所以である加速性能の鋭さはあまり体感できなかった記憶がありますが、駅間では短い距離ながらそこそこ高速で走っている感じはありました。
やがて列車は神戸市内の地下区間に入り、元町駅からは神戸高速線内、さらに板宿駅からは山陽電鉄線内へと進んでいきます。山陽線内に入ってもしばらくは地下線が続くのと車掌の声も変わらないので阪神以外の路線を走っている感覚は乏しかったですが、それでも本数の少ないレア列車に乗っていると思うと乗り鉄好きとしては少々興奮を覚えたのは事実です。
やっと再び地上に出ると終点の東須磨駅に到着。
列車から降りてホームで改めて青胴車を眺めたり写真を撮影したりしていると、やっと山陽電鉄線内まで青胴車に乗ってやってきた実感がわいてきました。
その後は後から来る残り2本の阪神線内発の東須磨行き普通電車をホームで撮影し、合間にはもちろんその他の山陽電鉄や阪神電鉄の電車の撮影もしました。
ちなみにこの日東須磨駅まで乗り入れた阪神の普通電車は、青胴車が私の乗車した列車も含め2本、5500系が1本というラインナップで、この両世代の普通用車両を山陽電鉄船内で撮影できたのは今から思うとよい記録になりました。
結局、阪神の普通電車の東須磨駅への乗り入れは2009年3月のダイヤ改正で廃止され、その後の普通電車は現在まで梅田ー高速神戸間の運転が主体(少数ながら1駅先の新開地発着の列車もあり)となっていて、私自身の山陽電鉄船内でのジェットカー乗車もこの時の1回きりでした。
しかし、ブログ友達の方の情報のおかげでレアな列車の存在を知ることができ、乗車体験もできたのは今では貴重な経験です。
今回、65年の歴史に幕を下ろす阪神の青胴車。
今回の引退で、子供の頃から私の中で関西の私鉄電車のイメージとして定着していた昭和時代からの塗装の車両も、阪急のマルーンを別にすればそのほとんどが過去のものかリバイバルカラー社で復活するのが見られるだけになりました。
こんなところにも「昭和は遠くになりにけり」を実感してしまう今日この頃です。