「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪れる〜その11 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。



「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。



来年(2025年)で、京阪特急の誕生から75年。本題の「8000系」について取り上げる前に、その歴史について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示や、手元の参考文献などにも触れながら項を進めています。淀屋橋にて。



4代目京阪特急「1900系」について延べております。1963(昭和38)年4月の、淀屋橋延伸を期してデビューした車両です。出典①。

この時に登場した新造車両は、丸みを帯びた優美な顔つき。特徴は正面裾に取り付けられた銀色のバンパーでした。



白黒ながら「テレビカー」も引き続き連結。


1956(昭和31)年から製造された「1810系」を編入し、最大7両編成まで増結されるなど、大阪・京都間の旅客輸送において、競合他社より優位な地位を築いた車両でした。


しかしながら「1900系」が特急専用車両として活躍した期間は意外にも短く、新造車両では、最長でも10年に満たないものになりました。

「1810系」から編入された運転台付き車両。ヘッドライトや顔つきが新造車両とは大きく異なります。出典②。



次の項で取り上げますが、5代目特急専用車両「3000系(初代)」が1971(昭和46)年にデビューしたことによるもので、「1900系」は1974(昭和49)年までに随時、通勤型車両に格下げ改造が施されたのでした。

ここ「SANZEN-HIROBA」で保存されているのが、その5代目「3000系(初代)」。


ところでわたしにしますと、京阪特急75年の歴史の中、この「1900系」でようやく実際に見たり乗ったりした特急車両が出て来ました。出典③。



ただそれは、華々しい特急時代ではなく、緑濃淡をまとった通勤型車両としての姿。昭和40年代の格下げからなんと平成半ばに至るまで、特急時代よりはるかに長い期間、通勤型車両として地道な活躍を続けていたのでした。出典④。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「カラーブックス日本の私鉄7 京阪」奥田行男・野村董・諸河久共著 保育社刊 昭和56年8月発行)
(出典②「私鉄ガイドブック・シリーズ 第5巻 阪急・京阪・阪神」慶應義塾大学鉄道研究会編 誠文堂新光社刊 昭和42年12月発行)
(出典③「私鉄の車両15 京阪」飯島巖・青野邦明・諸河久共著 保育社刊 昭和61年4月発行)
(出典④「カラーブックス日本の私鉄 京阪」井上廣和・藤原進共著 保育社刊 平成11年8月発行)