前回、鹿児島へ向かう時のことを書いていたら、

(2025年2月2日)


1977年7月に、初めて鹿児島へ行った時のことを思い出しました。


新幹線が博多まで開通したのが1975年3月

博多開業時の時刻表(1975年3月号・JTB)

それからそれほど経っておらず、また周りに誰も博多まで乗ったことがある人がいなかったこともあり、まだ小さかった私はとても晴れがましい思いがしたことを憶えています


朝4時半に母に起こされ急かされるように準備をして、5時23分発の南海電車の始発に乗り、難波で地下鉄に乗り換え新大阪に到着したのが6時半過ぎ


乗り遅れたら大変なので、母は必死だったのでしょう。


そして、エスカレーターを使ってホームに上がり暫くすると、私たちが乗車する団子っ鼻の0系の「ひかり53号」が入線してきました。


初めて乗る新幹線

とてもワクワクしました。


6時57分、定刻に出発した新幹線は一路九州へ。

時刻は1977年7月のJTB時刻表から


11時1分に博多に到着し、 在来線ホームへ移動して少しすると小倉発の有明3号が入線してきました。

今は上りが奇数、下りが偶数ですが、当時は上り下りに関係なく、それぞれ番号が振られていました。


見ると、「ハズレ特急」といわれた、リクライニングしない向かい合わせの4人掛けのボックスシートが並ぶ583系

写真は九州鉄道博物館館の展示車両

(暗示するかのように、上の時刻表の表紙と同じ車両ですね。)

このシートでした。
夜は寝台になる画期的な仕様


やはり485系のようなロマンスシートの特急らしい特急を期待していたので少しガッカリしましたが、それでも初めて乗る特急だったので、それはそれで嬉しかったですね。


食堂車が連結されていましたが営業を休止していたので、車内販売で駅弁とビニールの容器に入ったお茶を購入しました。


まあ、食堂車が営業していても高かったので駅弁になったでしょうけどね。


熊本に12時55分、八代に13時23分に到着と八代までは既に複線電化されていたのでスムーズだったのですが、八代から先は電化されていたものの単線

また、海岸線に沿ってカーブの続く路線

さらに、何度か運転停車して上り列車を待避したりして、景色はいいのですがかなり時間が掛かりました。


川内に到着したのが15時29分

川内からは線形が良くなったのでスピードが上がり、西鹿児島に16時12分に到着


新大阪を出発したのが6時57分だったので、ここまでの所要時間は9時間45分

ちなみに現在の九州新幹線なら最速で3時間45分


新幹線が博多まで開通しても、鹿児島はまだまだ遠いところでした。